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大東京西域記  作者: 大和麻也
番外編1 東京の記述
14/15

ex01 開かれたゲート@池袋

知的好奇心の門扉を開こう

 爽やかなラブコメと骨太なミステリとが融合したネット小説が実写映画化され、池袋の映画館で期間限定公開されるという。少々遠出なので誰かと一緒に行きたいと思い、隣の学部の友達を誘うことにした。上映より早く出かけて、ランチやお買い物をしようと提案したら「私も見たいところがある」と前のめりに快諾してくれた。

 友達は所沢を経由して池袋までやって来た。長旅をさせてしまって申し訳なかったが、さっそく本格的な中国料理を食べようと言い出すので、半ば引っ張られるように地下のお店に入った。

「じゃあ、わたしは麻婆豆腐。みっちゃんは?」

「すずは辛いのに行くか。そりゃ四川料理だし……でも、どうせ食べるなら変わったものがいいし」

「みっちゃんってそういうところがあるよね」

 友人がこだわりに囚われているあいだに、店内を見回す。装飾は堂々たるもので、これでもか、とステレオタイプ的な中国情緒を表現している。窓がない薄暗い空間なので、神秘的な厳かさも漂う。外界を忘れてしまいそうだ。

 しかし、そんな非日常にも不思議と安心感を覚える。

 入り口付近、レジの前の丸椅子に腰かけた中年の女性店員は、もう少し年上と思しき男性客のグループと大声で談笑している。あまりに楽しそうなので、失礼を承知で聞き耳を立てるが――まったく理解できない。中国語だ。

「お店の人も中国の人か」

 思った通りのことを言ってみる。

「本格的な『中国料理』って言ったでしょ?」

 遠回しな返事を、ひどく得意そうに言う。身体を捻って手を上げると、ちょっと照れながら、麻辣燙をオーダーする。わたしも続いた。げらげら笑っていた店員さんが振り向いて、「はいはい」とぶっきらぼうに返事をする。

 不思議な安心感は、こういうところに由来するらしい。

 飲みやすい温度の水で喉を潤す。

「わたし、池袋には何回か来たことがあるけれど、北口って初めてかも。というか、北口があるって知らなかったぁ。西か東だと思っていたから」

「すずの言う通り『北口』という名前のゲートはなくて、最近『北口』が『西口(北)』に変わったらしよ。ここのチャイナタウンは『北口』のころに有名になったけれど、大きく括れば西口のエリアでいいんじゃないかな」

 自然と出てきた「チャイナタウン」の語に得心する。新大久保のコリアタウンがよく話題になるのと同じで、文化的背景の異なる人々の暮らしは身近にある。美味しい食事や興味深い景観を懸け橋に、気軽に異文化と接触できるなんて素敵なことだ。

 店を出たら、店頭を写真に収めることにしよう。何年も経ってから「ここはどこだっけ?」と思えるくらい、エキゾチックな写真がいい。

「東と西の違いはなんとなくわかるの」構図を妄想しつつ、街の景観について思うところを述べる。「言い方は悪いけれど、東口のほうが都会的というか、キレイに整備されているイメージがあるんだよねぇ」

「東は言うに及ばないって感じだよね」みっちゃんは注文を終えたはずなのに、メニューを名残惜しそうにぺらぺらとめくっている。「再開発に注がれた熱量に差があったんだよ」

 みっちゃん曰く、東口エリアは、巣鴨プリズン――東京刑務所をGHQが接収し、戦犯を収容した――の跡地に建てた新ランドマークであるサンシャインシティを核に開発が進んだ。

 一方で西口は、戦後闇市として出発し、夜の街としても栄えてきた。チャイナタウンが形成されたのも、中国からの移民が夜のお店の空き物件に比較的安い家賃で入居していったからだという。おかげで、現在でも西口エリアにはカオスな気配が漂っている。

「それにしてもみっちゃん、詳しいね」

「第二外国語で中国語を選択したときに、よくチャイナタウンの話を聞いていたから。まあ、中国語は読めないし話せないままだけれど。単位もギリギリ『可』だったし」

 照れ笑い。

 料理が運ばれてきた。アツアツだ。スパイスが香り高く、鼻先を湯気が通り過ぎるだけでも身体がほかほかしてくる。みっちゃんの麻辣燙からはパクチーも香る。

 これを夏に涼しい店内で食すなんて、贅沢すぎるかもしれない。

 ぐつぐつ煮える麻婆豆腐にスマートフォンのカメラを向けると、隣の学部の友人が目を丸くした。手には蓮華を持っている。

「あ、私、いつもそういうことしないから」

 また違った照れ笑い。

 遅れまいとスマホを取り出して麻辣燙を撮りだすので、その様子をわたしのカメラに収めた。ちょっといい光景だ。

 わたしも蓮華を手にして、火傷によくよく注意して麻婆豆腐を口に運ぶ。

 おお、辛い。豆板醤の鋭い刺激に襲われる。いや、でも、口の中に広がる少し強めの塩味が嬉しい。そのおかげで、まろやかな豆腐の甘みも際立つ。そして胡麻油の香りが罪深い。幸せな心地で油断することコンマ数秒、花椒の痺れが押し寄せる。

 すごく華やかな味だ。一口ごとに味覚が研ぎ澄まされていき、口に含むたび、同じ料理なのに違う美味しさがある。しかも、強烈な辛味と痺れが一瞬の気の緩みも許さず、無心で料理に集中することができる。

「こんなの初めて食べたよ。一生忘れないかも」

 感動を伝えるまでもなく、みっちゃんも相好を崩していた。

「『本格』に外れはないね」

 緩み切った表情。日常を忘れて、幸せな味覚に溺れているらしい。わたしもあんな感じなのだろうか。

「ねえ、街を歩けばテイクアウトのお店もあるかな?」

「あると思うよ」

「じゃあ、映画観たら点心を買って帰りたいなぁ。小籠包か、餃子か……ああ、でも、胡麻団子と月餅も捨てがたい」

「すずは美食家だね」

 議論の末、月餅をお土産にすることにして、小籠包と胡麻団子は追加注文してシェアした。これで割り勘しても一五〇〇円ちょっとなのだから、小躍りしてしまいそうなコストパフォーマンス。食欲の箍が外れてしまうのも仕方がない。



 それから、みっちゃんの案内でチャイナタウンを歩いて回った。

 雑居ビルの四階には、中国人向けの輸入食品スーパー。二階には、中国語の書籍やDVDを売る書店。店を後にして街を歩くだけでも、景観そのものがにぎやかで楽しい。旅行代理店や理髪店、法律関係の事務所などの中国語の看板を見ると、人々の生活が間近にあるのだと実感する。中国語のフリーペーパーもそこかしこに置かれていた。

 とはいえ、日本語がまったく見えないわけではない。居酒屋チェーンやコンビニが中国語と共存している。多様な言語と装飾が街に溢れていて、いつまでも飽きない眺めだ。

「ちょっと冷やかし過ぎちゃったかな」

 みっちゃんがこぼした。

 確かに、生活が間近にある場所を観光気分で歩いてしまったら、地元の人はよく思わないかもしれない。

 でも。

「わたしはむしろ良かったと思うなぁ。こういうことでしか作れない接点もあるし」

 映画館でチケットを買ってからも、夕方の上映まで少し時間があった。駅の近くまで戻って、公園に面したカフェのテラス席で休憩する。リング状のオブジェが公園の輪郭をなぞり、中央の噴水に家族連れやカップルが集まっている。日本語、中国語、英語、それ以外のよく知らない言語――聞こえてくる幸せそうな声には際限がない。

 野外劇場も併設されている。たまたま催し物がない時間帯だったが、楽しみが尽きない区間を演出している。

「この公園、芸術文化と地域の盛り上げを目指して整備されたんだって」

 みっちゃんは豊島区のホームページを見ながら感嘆している。あまりに魅力的な公園なので、気になったという。

 わたしも、横向きにした液晶で賑わいを切り取った。西向きに傾きかけた陽光がビル群に優しく影をつくる。街灯の明かりも柔らかい。どこか寂しさを抱く喧騒。うん、良い写真が撮れた。

「これから行く映画館ね、インディーズの作品をよく上映するの」

 みっちゃんが顔を上げる。

「そういえば、シネコンとは全然違うラインナップだったね」

「そういう意味でさ、池袋って、最初の拠点なのかもね。アートを志す人、外国から来る人、上京したばかりの人、学生、サラリーマン、観光客……いろいろな人が集まる街なんだなぁって」

「……うん、そうだと思う」

 来る者は拒まない、懐の広い街。

 あとは、自分の足で踏み入れるかどうかだ。



「初めて来たけれど、不思議とそんな気がしないな」

「え? みっちゃん、初めてだったの?」



【おまけのチリばなし】


質問者:蔵前すずさん(20歳、八王子市)

Q「池袋の中華街にも門があるの?」


回答者:田町理さん(19歳、東大和市)

A「牌楼(パイロウ)ならないよ。『中華街には門があるものだ』という認識だとすれば、誤解なんだよね。横浜、神戸、長崎の観光地化した『中華街』がよく思い浮かぶけれど、池袋はもう少し生活感のあるイメージかな。牌楼は街と城壁が一体だった歴史に由来するらしくて、四神思想と結びついた風水的な意味もあるそうだね。中国語ではチャイナタウンを『中国城』と表現することもあるんだよ。何にせよ、閉じる門扉はないってことね」



【(ちょっとだけむずかしい)おまけのチリばなし】


質問者:田町理さん(19歳、東大和市)

Q「池袋には改革開放路線以降の、福建省出身者を多く含む新華僑が進出していると聞いたけれど、福建料理のお店はほとんどなかったよ。どうして?」


回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)

A「知名度の問題だよ。福建料理の看板を出しても、日本人は『?』となることが多い。だから、より売れそうな『四川料理』や『台湾料理』などの名を借りるんだ。老華僑のお店でもよくあることさ。いろいろなバックグラウンドの人々が常套手段としていて、たとえばネパール系の人々がインド料理で出店する例は有名だ。ミチたちが食べた四川料理の店も、果たして四川省出身者の店かどうかわからないな。ちなみに、中国東北部の出身者も増えていて、池袋でも延辺料理をはじめ東北料理のお店が見つかる。時代とともに多少知名度の低い地域の料理でも勝負できるようになったと計算したんだろうな」


挿絵(By みてみん)


【ex01 開かれたゲート@池袋】

主な訪問地:池袋チャイナタウン、池袋西口公園、素敵な映画館

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1SlgMT1hy0Ud3ejBIT91Euhs5OoV2IDSX&usp=sharing

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