#10 牛とクジラと会いに@昭島
既知に敬意を、未知に憧れを
その日の午後は、あまり気乗りしなかった。
朝は小雨で、予報によれば午後からは晴れ間も見えるというが、ジメジメが居座っている。講義室内は当然の如く湿度が高く、それと格闘するように高出力のエアコンが私の肌をいじめてくる。こんな日に一限から三限までぶっ続けでは気分も上向かない。
サボって帰る選択肢がないくらいには、私は真面目なのだが。
「あ、みっちゃん。これからお昼?」
「すず。そう、お弁当。ここで食べちゃおうと思って」
昼休み中に来ていた三限目の教養科目の講義室。同じことを考えていたらしく、隣の学部のすずも手に弁当を携えていた。平均的な大学生にありがちな、「何となく」続いている友人だ。
「天気が悪いと気が乗らないねぇ」
長い髪に垂れた目、ほどよくふっくらとした頬と笑窪の浮かぶ口角。紫陽花色のシャツに気取らないベージュのボトム。容姿、表情、語り口、果ては服装まで穏やかな友人は、私の別の友人とは対照的な人物である。
失礼なことを考えていたのが悟られたのか、好対照なほうの友人から写真が届く。通知をタップすると、自転車のハンドルとそれを握る右腕。
『ちょっくら牛とクジラを見に行こうと思う』
何が「ちょっくら」だ。
「千里め、二限が臨時休講なんだっけ。余計にやる気を失くす」
思わず漏れた恨み節に、すずが反応する。
「友達? 午後の時間割が空きなんだね。こういうの、午前様っていうんだっけ?」
「それを言うなら半ドンだと思う。これも少し違うと思うけど」
ふと思い出す。数日前、私は武蔵村山と羽村にサイクリングに出かけ、千里に写真を送っていた。もしかすると、千里は同じことをしたくなったのかもしれない。くだらないことにも対抗意識を燃やす性分だ。特に私相手には。
もしかして、講義中にも構わず写真やメッセージを送りつけるつもりか? 試験も近いのに何と迷惑な。
通知を切ったり、電源を切ったりすればいい。しかし、やる気がないときの私は、友達から送られるそれらを講義中にもチェックしてしまうくらいには不真面目だ。千里は、間違いなくそれをわかっている。
三〇分と少し。千里の脚力と自転車の性能を考えれば、最長で一〇キロくらいは移動できてしまうはずだ。府中から一〇キロも移動すると、いったいどこまで行けるのだろうか。西へ向かうのは確かだと思うのだが。
そんなことを考えさせられている時点で、狙い通り受講を妨害されてしまっている。講義序盤からこの調子では、寝ているのと変わらない。ペンケースの隣に置いたスマートフォンが通知のランプを光らせないか、ちらちらと窺ってしまう。
たった一度の瞬きを、見逃さなかった。
「……ん?」
一枚の写真には、一枚の看板。真っ白なそれの背景は、鈍色の雲から覗く梅雨明けの青空と、それを反射する水面であった。河川敷の広さからするに、多摩川だろう。千里はサイクリングロードを走っているのだ。
看板を写すからには、中身を読めということだろう。見ると、河川事務所が設置している看板だった。行政の看板なので面白いことは書いていないが、写真しか情報がないのであれば、記載された「住所」に注目することができる。
昭島市。
立川市の南、もしくは西に接する自治体だ。独り暮らしの候補地として物件を探したこともある。多摩川もいろいろな自治体を流れているものだ。
あえて返信はせず、授業を受けているフリをしておく。千里もまた移動を始めたようで、続けてメッセージが送られてくることはなかった。
一〇分ほど間隔を空けて、次の写真とコメントが届いた。
青い水面――多摩川だ。あとは、ゴツゴツした岩肌くらいしか見えるものはない。
『牛がいるぞ』
そういえば、出発前にも「牛」に会うとのことだった。しかし、多摩川は東京を流れる河川だ。いくら多摩や武蔵野を自虐的に見る千里とはいえ、ベッドタウンの真ん中に牛が歩いている写真など撮れるはずがない。
なぞなぞのようなものか。見て感じろ、という意味かもしれない。
「何見てるの?」
隣のすずが気がついた。すずも、授業中にスマホをいじっている友人がすぐ隣に座っていたとして、あえて小言を向ける御仁ではない。コソコソと液晶を覗きこみ、
「何の写真?」
と自然な質問。
すずのスマートフォンには今時の大学生らしい「映える」写真がいっぱいだ。まさかその中に、用水路や岩石や牛を写したものがあるはずもない。
「どういう意味かな?」
千里のメッセージを指さしてから、写真を拡大する。すずは口を尖らせ考えるポーズを見せる。
「牛っていうか、ヌーかバイソンみたいな?」
「……ああ」
群れているところをイメージすれば、わからなくもない。
性格がひねくれていないほうの友人は、愛想笑いと苦笑いの真ん中の表情だ。
「変わった人なのかな?」
「相当変わっているね」
それからまた一〇分ほど、千里は自転車を転がしていたらしい。そのあいだ、抗議の内容がろくすっぽ頭に入ってこなかったのは言うまでもない。
待ちわびた通知とともに、写真が何枚か続けて送られてきた。古びた車輪と車軸、多摩川を渡る鉄道の橋梁、そして何の変哲もない河川敷。
支離滅裂なあまり、すずとともに首を傾いでいると、千里から説明が付け加えられた。何でも、第二次世界大戦終戦から九日後に橋の上で発生した八高線の列車衝突事故を伝える展示と橋なのだとか。
河川敷を写したのは、かつての砂利鉄道が走っていたあたりだという。青梅線と接続して、資材を運んでいたとか。これには反応せずにはいられず、返信する。
『鉄道の話題?』
『ミチが好きだからね』
『早くクジラを見せろ』
いつの間にか、すずも興味津々で私のタイムラインを見守っていた。
講義が中盤から終盤へと移り変わるころ、千里が私の要求に応えて写真を送ってきた。おそらく、牛と同じで、クジラそのものではなくて「クジラ」と呼ばれる何かだろう。昭島にクジラを飼えるような水族館があるはずもない。
そう思って油断していたから、まんまと驚かされることになる。
クジラだ。まさしく、クジラそのもの。その巨大な身体を見上げる構図で写している。
といっても、骨格標本のようだ。広いホールの天井から吊り下げられている。展示の右手は大きな窓になっているらしく、優れない天候でも眩しいくらいに光が差し込む開放的な空間だ。クジラは「ヌシ」といったところか。
千里からもう一枚、今度はショーケースに展示された骨を写した写真が送られてきた。手前に千里の手も写されている。どこの部分の骨かわからないけれど、まるで比較にならない大きさだ。全身を思うと想像もできない。
『アキシマクジラといって、一九六一年に牛群地形の川原で奇跡的に見つかった』
『昭島は昔海底で、そのころの動物の化石ってこと?』
肯定を表すスタンプが送られてきた。
『化石になること自体奇跡的なことだが、地殻変動や流水で失われなかったのも良かったそうだ』
それから、何枚かまとめて写真が届く。看板のイラストやオブジェなど、昭島の街中で見つけられるクジラたち。街のシンボルになっているようだ。
最初は偶然だっただろう。でも、たまたま見つかった骨の一部が大発見になると信じた人たちがいて、正しい手順で発掘調査が行われたからこそ、街のシンボルになる大発見がもたらされた。しかもその現場は、砂利を削って砂利鉄道で運んだり、八高線が走る大きな橋があったりと、戦後の復興の野心が渦巻く場所だ。調査がないがしろにされなかったことは、実は化石の発見以上の奇跡かもしれない。
すずも「おお」と小さく唸る。
「面白いね、授業の課題?」
ひそひそ話で問うてくる。千里を知らないすずは、授業の研究発表の準備か何かだと思ったらしい。隣の学部の真面目な人たちらしい発想だ。
「私と千里の趣味ってところかな? 散策というか、史跡めぐりというか」
思ったより返事に困る。明確な理由も動機もなく始まったことだったから。
でも、他愛無い趣味かといえばそうでもなく、私も千里も、行く先々で何かしら「発見」を求めている。もとはといえば休日を楽しむための選択肢にすぎなかったが、すでに目的と手段は曖昧になってしまった。
「へえ、何てサークルなの?」
「え?」
そう、私たちは「発見」を求めていたのだ。
【おまけのチリばなし】
質問者:田町理さん(19歳、東大和市)
Q「牛群地形って何?」
回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)
A「それがあたしにもよくわからない。多摩川の八高線橋梁付近に現れた、牛が群らがって走る背中を思わせる見た目の景観だ。砂利採集の結果露出した古い地層が浸食されてできたとされる。研究途上の珍しい地形だったが、河川改修工事で大部分が姿を消してしまった。現在では昭島市内のサイクリングロードから現存する箇所を眺められる。インターネットで上空写真を見るのもおススメだ」
【#10 牛とクジラと会いに@昭島】
主な訪問地:多摩川サイクリングロード、多摩川緑地くじら運動公園、アキシマエンシス
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