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大東京西域記  作者: 大和麻也
本編1 大東京西域記
12/15

#09 水の始まり、水のつながり@羽村

水は渦巻き、誰かに届く

「物足りない」

 横田トンネルの入り口まで引き返して、独り言。もう少し長旅になると思っていたのに、まだ自転車で出発してから一時間も走っていない。これで全日程終了では、自転車のレンタル代が損になってしまう。

 軽便鉄道の痕跡は遊歩道として保存されていた。いくらか進むと案内パネルが設置されていて、遊歩道――当時の軽便鉄道――の行き先を教えてくれる。

「資材って、多摩川の砂利だったのか」

 青梅線とも交差しているから、遠方から運ぶ資材にはそこでアクセスしていたのだろう。

 しかし、良いことを知った。この軽便鉄道を辿っていけば多摩川に至る。しかもそこは羽村(はむら)市内。羽村といえば、玉川上水の始まりの地だ。帰りは上水に沿って走れば迷子にならないので、いいサイクリングになりそうだ。

『羽村まで脚を伸ばすことにした』

 千里に送信して、ペダルに足をかけた。



 遊歩道を最後まで辿ってみたいのが本音だが、その痕跡は途中でアメリカ軍の横田基地の敷地を通過している。早々に諦めて、青梅街道を下っていく。少々骨は折れるが、箱根ヶ崎(はこねがさき)駅のすぐ手前まできて折り返す。進路を今度は南西方向にして進めば、やがて羽村へと至る。

 羽村駅を過ぎて坂道を下れば、水の音が私を誘ってくれる。川の気配を探すだけでも、羽村堰入口なる交差点を見つけられた。そこから伸びる小さな橋が玉川上水を渡っているようだ。

 多摩川と玉川上水の分岐点付近は広場のようになっている。日向でくつろぐお年寄りや、走り回る子どもなどの憩いの場になっているらしく、犬の散歩やジョギングの場として利用する人も見られる。

 玉川(たまがわ)兄弟の像も見つけた。玉川上水の工事を仕切ったといわれているふたりのことは、小学校時代の副読本でよく教わった。確か写真も載っていたと思う。そういう「見たことのあるもの」は、実物を目の前にすると案外あっさりと感じてしまうものだ。

 取水堰のすぐ近くまで歩いて行ってみる。ごうごうと音を立てて流れる水は壮観だ。多摩川を流れるごく一部を借りただけでも、上水には凄まじい水量が流れ込んでいる――そう思うと、江戸時代の人々は侮れない。土木や測量の技術もさることながら、これだけの水を要する社会活動の活発さときたら。

 狙っていたかのように、スマートフォンが震えた。

『羽村には着いたか?』

 返事をする代わりに、取水堰の写真を一枚撮って送信した。

『歴史の綾が少し違えば、そこに堰はなかったそうだ』

『というと?』

『当初取水堰を日野(ひの)に、府中あたりを通る計画だったらしい』

 地図アプリを開いて確認する。日野は羽村から見れば下流。もしそこに取水堰があったとしたら、きょう私がサイクリングで訪れることもできなかっただろう。上水が府中で見られたというのも面白い。

『計画は失敗だったの?』

『府中で関東ローム層の餌食になったらしい。「かなしい坂」というのが残っている』

 関東ローム層といえば、その名の通り関東を特徴づける火山灰の地層だ。そこまでは高校の授業で聞いたことを憶えているが、それの何が悪いのか。千里に尋ねると、「水はけが良いから」とのこと。火山灰の積み重なった地層は、目が粗くて水をよく通す。水を流そうにも、地面に吸い取られてしまったのだろう。

 水が消えた責を問われた役人は、処刑の折に「かなしい」と漏らしたという。それで「かなしい坂」だそうだ。なるほど、多くの人の利害があって上水が造られたのだから、犠牲になった者がいてもおかしくない。

 まあ、その水が小平の監視所から先は下水処理水になることなど、当時の誰も想像つくまい。

 見るものは見たので、引き返すつもりだと千里に送信したら、『ついでなら』と紹介したいところがあるという。

『井戸も見て来なよ』

『井戸?』

『羽村駅の場所はわかるよな。その裏の五ノ神(ごのかみ)にある』

 ミッションを課され、達成するゲームのような昂りを覚えた。すぐに自転車にまたがり、あえて地図で確認することはせずに、羽村駅方面へと引き返す。少し回り道して踏切を渡り、東口へと至る。案内地図を見ると、住所は五ノ神だ。

 井戸ということは、古民家や公園に付随する野外展示なのだろうか。うろうろと自転車を走らせれば、じりじりとすっかり夏めいてきた日差しが私を焦がす。上北台駅の自販機で買った麦茶もそろそろ尽きる。

 でも、「もう少し」という気持ちが途切れない。ペダルを漕げば漕ぐほど、進路を自分で決めれば決めるほど、目的地に辿りつけるという根拠のない自信が重なっていく。時間も気になるのに、挑戦する気持ちが勝る。

 千里も自転車に乗っているとこういう気持ちになるのだろうか。

 駅前をぐるりと一周したころ、神社らしき敷地の脇道を走っていることに気づく。社と思しき建物に、紙垂が揺れている。

「お」

 もしかすると境内で井戸が保存されているかもしれない――そう思ってのろのろと車輪を転がしていたら、柵で囲われた窪地を見つける。

 柵の外から窪地の底を覗きこむ。雑草と落ち葉でワイルドな状態だが、渦巻き状に通路ができているのがわかる。丸太とロープで柵ができているから、明らかに人の手で整備されている。

「さてはこれか……?」

 独り言が漏れるくらいには高揚していた。

 あまりに得体が知れないので、すぐ近くにあった看板を見に行く。

「東京都指定史跡まいまいず井戸……すごいな、東京都の史跡か」

 見る人が見ればただの穴、子どもの遊び場のようなところなのに。

 看板の写真を撮って、『これ?』と千里に送信しておく。間髪入れずに『正解』と返された。ミッションコンプリートだ。

 神社には済まないが鳥居を素通りし、自転車を停めさせてもらう。史跡らしく柵につくられた門から、石が敷かれた螺旋を下っていく。

「マイマイってカタツムリのことだよね。『ず』って何だろう?」

 とりあえず一番下まで降りてみた。

 井戸の本体と思しき穴があるが、塞がれている。子どもが落ちたら困るから当然か。

 本日二度目の「あっさり」だ。

「まあ、こんなものだよね」

 見上げてみる。

 神社の境内らしく大きく育った木々が空を覆っている。日陰だし、コンクリート張りでもなくて、地表より低いこともあってか、井戸の中は日陰になっていて少し涼しい。窪の深さは……目測には自信がないけれど、一メートルや二メートルではない。四、五メートルはあるだろうか。窪そのものの直径はその倍以上ありそうだ。

 地表から数十秒で行ける地下世界だ。

『なんか見覚えがある』

 下からの景色を写真に撮り、一言添えて千里に送信する。ふう、と一呼吸置いたら返信が飛んできた。

『そりゃそうだ。見たことあるはずだぞ』

 そんなこと言われても。

 千里がそのように断言できるということは、私が東京にいたころの話なのだろう。東京に住んだ期間はおよそ七年と長いけれど、それと同じくらい東京にはブランクがあった。見覚えがあったとしても、記憶の輪郭は曖昧だ。螺旋の道を下って突入する穴など、幼心には楽しくて仕方がないはずだから、思い出せそうなのだが。

 ワクワクした記憶。幼いころの記憶。もしかして府中でのことだろうか。

「あ、そうか。府中にもあったな」

 小学校低学年か中学年くらい。遠足か社会科見学かは忘れたけれど、府中にある野外博物館――郷土の森で見たことがある。そこでも、螺旋状のスロープと、擂り鉢の底に残された井戸の遺構に喜んだものだ。さっそく、幼き日からの友人にその旨送信する。

『よく思い出したな』

 それっぽっちの言葉だが、画面の向こうの千里の表情が思い浮かぶようだった。

 羽村取水堰に行くと伝えたときから、私たちの地元と結びつけるような話題ばかり振って。回りくどくせずに素直に伝えてくれればいいものを。

 あえてそれ以上の返事はせず、私は帰路に就いた。


【おまけのチリばなし】


質問者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)

Q「まいまいず井戸って何?」


回答者: 田町理さん(19歳、東大和市)

A「『まいまい』つまりカタツムリの名の通り、地面を螺旋状に掘ったところにつくる井戸だよ。かつて『堀難之井(ほりかねのい)』と呼ばれたそうだけど、いつの間にか『まいまいず井戸』になったとか。井戸を掘る技術がまだ低い時代、螺旋の一番下まで稼いでから井戸を掘って、地下水に届かせたようだね。府中市の井戸は平安時代から昭和ごろまで使われていたらしいよ。郷土の森博物館にある井戸は再現で、もとは別の場所にあったんだって」


挿絵(By みてみん)


【#09 水の始まり、水のつながり@羽村】

主な訪問地:羽村取水堰、まいまいず井戸(ほか関連する府中のスポット)

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1bNHoZZNuWHfTDDviUzs4ldH8fmmytT8e&usp=sharing

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― 新着の感想 ―
[一言] 最新話まで拝読しました。 理さんの名前の由来に感心です。いい名づけですね。 そして、勇気があるなぁ。私なら、廃トンネルをひとりで、とか絶対無理ですね(^-^;おかげさまで、だんだん豆知識がつ…
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