#07 幻のスタジアム@武蔵野(2)
何とも思わなければ、何でもない
「そういやさ、ミチは鉄道に興味があったりするのか?」
井の頭池と吉祥寺駅を繋ぐ道のりにあるトルコ料理店。店内飲食ブースで、千里は唐突に問うてきた。ちょうどケバブサンドを大胆に頬張ったところだったので、少し返事を待ってもらってから、
「どうしてそう思ったの?」
と質問で返す。誰よりも私自身が鉄道好きな自覚を持っていない。
「いやさ、この前温泉に行ったときも岩井支線の話をしていたじゃん? その岩井支線の機関車を模したトレーラーバスも気に入っていたみたいだし」
確かにそのときはそうだった。しかし、そもそも千里から砂利鉄道や甲武鉄道の話を聞いていなければ、岩井支線の存在に気づくことすらできなかっただろう。トレーラーバスにも、何の疑問も興味も持たずに乗っていたに違いない。
その旨千里に伝えると、「そうか?」と笑った。
「そうだとしても『好き』のうちだろう。いろいろ知りたいのかもと思って」
最後の「知りたいのかも」が引っかかる。また私を連れまわしたいのだろう。
でも、鉄道への興味云々はともかく、千里が教えてくれることならば興味がある。吉祥寺を擁する武蔵野市は、市域もさほど大きくないはずで、鉄道にまつわる面白い話があるとはちょっと想像しにくい。吉祥寺駅や、市域ではないが三鷹駅など中央線にとって主要な駅に関することだろうか。
思った通り、千里は「実はな」と切り出す。
「本当はこのあとミチと解散したあとで、ひとりで観に行こうと思っていた場所があるんだ。付いて来ないか?」
「面白い話ならやぶさかではないけれど、千里は自転車で来たんでしょ? 私は電車と歩きだから、遠くには行けないよ? しかも、午前中に買い物した荷物もあるし」
「荷物は貸しロッカーに入れておけばいい。自転車は、あたしが停めた駐輪場でレンタサイクルもやっているぞ」
「……わかった、わかった」
私と別れてから行く計画だったなんて、照れ隠しのハッタリだな。
進路は北西方向。五日市街道を進む。八幡宮を横目に走りだし、ケヤキ並木の大学を素通りし、消防署や図書館も通り過ぎた。右折して進路を変え、武蔵野市役所の看板が見えてきたところで、また左折する。
迷い込むような進路でやってきたのは、グリーンパークと名の付いた団地だった。
「団地の何が面白いの?」
集合住宅のあいだを徐行しながら、前を行く千里に正直に感想を述べる。団地が形成される経緯とか、独特な建築デザインとか、そういう話を期待した。
ところが、千里が披露してくれた知識は、想像を上回った。
「ここには一九五〇年代のわずかな期間だけ、野球場があったんだよ」
「野球場? 市民球場みたいなこと?」
「いいや、プロ野球の本拠地だ」
「ええ?」
いささか受け容れがたい話だ。プロ野球の球場といえば東京ドームや神宮球場が思い浮かぶが、いずれも都心に立地している。一九五〇年代といったら、武蔵野市はそれこそ発展途上だったはずで、そんな武蔵野に大都市の象徴ともいえる本拠地球場があったとは驚きだ。
でも、話は少し見えてきた。この団地は、球場が解体されたあとの広大な土地を利用して整備されたに違いない。
「でも、どうして取り壊されちゃったの?」
「都心からのアクセスが悪く、興行に向かなかったから。こけら落としから間もなく、進駐軍に接収されていた神宮球場が返還されたり、新規の球場が次々つくられたりして、球場が飽和になったのも一因らしい」
「結局そういうオチなのね……」
「プロ野球は一六試合しかできなかったという話だ。一年で閉鎖状態になったそうだ」
ということは、まさに幻のスタジアムではないか。知れただけでもステータスだ。今度実家に戻ったら、野球中継ばかり観ている父さんに自慢してやろう。
きゅっと小気味よくブレーキをかけ、千里は団地内の地図の前に停まった。私もその後ろに並ぶ。
「現在では、球場跡の窪地と、外縁らしき道がわずかに見えるばかりさ」
「ううん……ほとんどわからないね」
球場を囲う道があったとすれば、環状の道が残るはずだ。でも、その円も途切れてしまっている。地図で俯瞰してその程度だから、団地内を歩いていてもまず気づけない。
ときに、当然の疑問が思い浮かぶ。
「アクセスが悪いところに、どうしてわざわざ球場を?」
「じゃあ、少し移動しよう。球場ができる前のグリーンパークがわかる」
再び五日市街道方面へと自転車を走らせる。ほんの数分のことだった。ぽつりと立っていたのは、武蔵野市が設置した看板だった。説明をじっくりと読んでみる。
「中島飛行機武蔵製作所、工場正門跡……戦時中の飛行機工場の跡地だったわけだ」
「戦後、工場は当然廃止される。グリーンパーク武蔵野球場は、余った土地と労働力で以て造られたのさ」
曰く、このグリーパーク一帯には巨大な工場が立地しており、戦時中の一大産業となっていたらしい。さらに千里に付いていくと、広々とした武蔵野中央公園というのが見えてくる。この公園も戦中は製作所の敷地で、戦後はアメリカ軍の住宅が並んでいたそうだ。
ぱたぱたとペダルを漕ぎつつ、嘆息が漏れる。
「軍需工場って、当然、空爆されるよね」
千里の声も低くなる。
「もちろん」
「じゃあ、この工場はたくさんの人を殺して、殺されもしたんだね」
「……殺された数も、殺した数のうちかもしれないな」
五日市街道を通って公園の正面を過ぎると、すぐにまた街道に別れを告げて横道に入っていく。江戸時代以来の直交する区画から外れ、住宅街のど真ん中を斜めに突っ切る道だ。車止めを過ぎると、生垣に挟まれた二、三メートルほどの細い幅を進むことになる。
整備された遊歩道だと、ひと目見てわかる。しかし、遊歩道を整備するにあたり、規則的な区画をわざわざ外れる道をつくるのでは手間だ。ということは、何らかの意図があって区画を外れた「線」があり、それを後から遊歩道にしたのだろう。
当然、千里もそれを意図してルート選択したはずだ。道路や地理に明るい千里が、近道をしようと細道へ迷い込むとは思えない。
「ここって、もしかして小川でも流れていたの?」
「惜しいな、発想としてはとても良い」
道が少し開けて、藤棚やベンチが用意された広場に辿りつく。その片隅に、先刻工場について読んだのと同じ案内板を見つける。
「工場引き込み線跡……つまり、線路があったということだね?」
「中央線から武蔵野製作所まで資材を運ぶ貨物列車が走っていたそうだ」
歴史的にみても、この地域は郊外中の郊外。未開の荒野を切り開いて工場を整備したくらいだから、交通の便が必ずしも良いとはいえない。飛行機の材料や部品を運ぶためにも、鉄道を引いておくメリットは大きかっただろう。
「戦時中には空襲で被弾することもあった路線だが、戦後は国鉄の『武蔵野競技場線』として復活も遂げている」
「復活って……ほんの数年の寿命でしょ?」
「バレたか。試合のある日に特別列車が走ったが、球場と同じく短命だったそうだ」
何らかの需要を満たすために鉄道は引かれ、需要がなくなれば廃止される。下河原線、岩井支線、武蔵野競技場線――ごく自然な歴史ではあるが、その痕跡が残るものもあれば、残らないものもある。このごろ私は、目に見えなくなったものこそ知りたいと思えるようになってきた。
案内板をもう少し詳しく読んでみると、また新たに、見えなかったものが見えてくる。
「この引き込み線、境浄水場の引き込み線を利用したと書いてあるね。別の引き込み線の跡があるの?」
地図を見れば、競技場線と同様のいかにも怪しい曲線が見つかる。競技場線とちょうど対になるような円弧状の軌道を描き、中央線を発して市域の南西にある境浄水場へとつながっている。競技場線跡がグリーンパーク遊歩道となっているように、こちらも本村公園として整備されているらしい。これが引き込み線の跡で、浄水場にも資材を運んでいたのだろうか。
発見とは尊いもので、私自身だけでなく友をも喜ばせる。
「やっぱりミチは、鉄道が好きみたいだな」
少なくとも、たくさん知りたいことは間違いないようだ。
【おまけのチリばなし】
質問者:田町理さん(19歳、東大和市)
Q「中島飛行機武蔵製作所の空爆の意義って?」
回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)
A「本土空襲に際して軍需工場が戦略的に狙われていたが、その一例にあたるな。ただ、武蔵野製作所への攻撃は、東京大空襲の事前演習を兼ねていたとも言われている。さらには、その東京大空襲が広島と長崎への原爆投下の前哨だったと解釈されることもある。似通った例として、原爆投下候補地の新潟市が空襲を受ける前に、長岡市に模擬原子爆弾が投下されたこともあった」
【#07 幻のスタジアム@武蔵野(2)】
主な訪問地:グリーパーク球場跡、中島飛行機武蔵製作所跡、工場引き込み線跡
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