聖者 セインピット
そしてその日、わたしは出会うべきでない者に出会った。『大地じゃんぬ』がお昼の12時に、うるみ町に帰ってくるその夜中に
すぐに分かった。『大地じゃんぬ』によって、輝きに満たされたうるみ町が、その瞬間に褪せた。決定的に色を失った。その部分だけ、あからさまに。
「あなたは何?何をしているの?」
場所は公園、この一週間で何度も行った。そこにいたまだ幼い子に『あなたは、天へと渡る勇者ですか?』と聞いて不審がられたものだ。公園は特に輝きが、『大地じゃんぬ』の気配が強かった。うるみ町で最も眩しい場所のひとつだ。
今その場所に輝きから最も、遠いものがいた。
「…人払いはしたはずだが」
公園の周りには、不確かな『もや』ようなものが、うようよと漂っていた。黒のような、黒でない塊が。その何かは、わたしとは正反対の性質を持っているようで、近寄るだけで小さく爆ぜて、空間に溶けていった。
わたしは人間界にはあまり詳しくない。でも、こんなものが人間の中にいて良いわけがない事はすぐに分かった。
その、もやの中心にいたのが、それ。
「同類じゃないみたいだ」
「名を名乗りなさい!お前は何をしているの?何をしようとしているの!」
多分『それ』は、声からして、普通の人間の男と変わらない。大きさも。でも、気配が異質だった。こんなに『暗い』者はわたしは知らない。
土色の、人型のかたまり。輪郭はぼんやりとしていたけど、『それ』がこっちを向いて、わたしを睨んでいるのが分かった。
「名を聞くか、お前。俺たちの名前がどういうものか、分かって言ってるのか?」
「知らないわよ!そんなもの!」
土色のそれはゆっくり首を傾げた。『それ』が身動ぎする度に、公園の土に暗い染みが押しつけられて、潰れ歪むようだった。
「敢えて名乗ろう。俺は『オード』。お前が消しとばした『ネズミ』の、あるじの様なものだ」
『オード』と名乗ったそれから『もや』が吹き出し、手足の数が瞬く間に倍へと増えた。
「そして俺からも聞こう。少女、俺が何に見える?」
長く広がる手のひとつが、わたしの方へと伸びる。
わたしが人の世界から輝けるものを見分けられる様に、邪悪な、聖者として討つべきものを見分けることもまたできた。
討たなければならない。わたしがすることは『それ』の問いに答えることじゃない。
ルミナ・ミラクリオン
「《奇跡よ、ここへ》!」
公園一帯の地面がひび割れる様に、地下に太陽でもあるかの様に、砂の奥から光が吹き出し、わたしと『オード』を取り囲む巨大な円を描いた。
円は空間を裂く様に力強くうごめき、せばまり、わたしを取り囲んだ。
円はわたしに沿って競り上がり、わたしの姿を元へと戻していく。人間界での少女の姿と違う、『聖者』としての姿へ。
聖者の衣に身を包まれ、左右2枚ずつ、4枚の羽根が広がる。せり上がった光の輪は、わたしの頭の上に収束し、そこで激しく輝く。
羽根は体にまとわりつき、変化する。少し驚いた。人間界では、完全に天の世界の姿には戻れないらしい。『天の世界』での姿よりも小さな光の輪と、広がらない聖者の羽根はわたしの力が本来のものではないことを示している。
目の前のそれを討つのに、今のわたしは充分なのだろうか。分からない。それでもやらなければならない。ここには私しかいない。
「天の翼、聖者『セインピット』!その暗闇、わたしが還す!」
『大地じゃんぬ』に負けない輝きを。聖者にふさわしくないかもしれないけど、わたしはそんなことを思った。
『オード』と名乗った目の前のそれを、わたしは『悪魔』の一種に違いないと思っていた。『悪魔』であるのならば、わたしは聖者としてそれを討ち果たせる。経験もあった。万全ではない今の姿であったとしても、太刀打ちできると考えていた。
何かが違う。確かに『悪魔』に似てる。でもその本質は
「あなた、人間!?」
「そう見えるか、光栄だ」
『オード』が笑った、ような気がした。
悪魔はもっと、もっと単純だった。真っ黒で、無機質で、お父さまは『不幸を作り出すための機械だ』って仰ってた。形はまん丸で、わたしはそれを光の力を込めて射抜くだけだった。
目の前のこれは、何か複雑で、繊細なものの様だった。ぐにゃぐにゃと形が定まらず、瞬きするごとに姿がぶれ続けた。
手の様なものが伸び、増え続け、わたしに迫ってくる。弓を取り出す暇さえ与え手はくれない。その手を避けながらも、矢だけを取り出し剣の様に構えた。
「わたしがやらなきゃ…」
ここにはわたししかいない。
土色の手は、矢に触れるとじゅわりと鳴って崩れた。『悪魔』を討つときと似てる。未知の邪悪だからって何もできないわけじゃない。わたしは伸びてくる手を矢で叩き落とし続ける。
酷い臭い。見れば公園の土も、砂も、草木も、遊具もぼろぼろに崩れて腐った様な臭いを出してる。輝きにあふれていたはずの場所が、醜く暗い色に覆われていた。ここに来たのはたった一週間前だけど、こんなことがあってはいけない。許せない。輝きにあふれたこの町をぐちゃぐちゃにするなんて、許せない。
すべての手を矢で壊して、胴体を射抜ければ、討てる。聖者の、お父さまの力なら。
じゅわり。
その音は、わたしの矢の切っ先からでなく、わたしのおなかから響いてきた。
「あ、ぁ。あぁ、あ」
何これ、なに?
「ぅ、あ。はぁ、あぁ、ぁ」
わたしになにをしたの?答えなさい!そう言いたかった。でも声が出ない。
手が触れた部分は、その手と同じ土色に変色して、ぼこりぼこりと泡を吹いている。聖者の衣はわたしの身体ごとえぐれ、中から光が漏れ続けてくる。
何これ。苦しい。
「…驚いた、血が光ってる。人間じゃない」
『オード』はわたしに空いた穴へと何本も手を突き刺してくる。
じゅわ、じゅわ、じゅう。
「ひぃああ、あぁんぐあああぃぃあああ」
何?知らない?なに?なに?くるしい。
「俺の手が溶けてる。怪力相もできない。『ネズミ』も出せない。どういうことだ」
「な、に、これ。知ら、ぁない、ぃ」
「これだけしても死なない。生き物なのかこれは。痛いかお前?生きてるのか、お前?」
『痛い』ってなに?分からない、くるしい。
わたしの身体に手は突き刺さり続ける。溶ける。崩れる。激しい音と、おぞましいにおい。
「ごめ、んなさぁ、い」
お父さま、ごめんなさい。お父さまごめんなさい。ごめんなさい。壊れてしまう。わたしが壊れてしまう。このままでは『大地じゃんぬ』に会えない。使命を、果たせない。
「謝るな、胸糞悪い」
わたしが苦しめば苦しむほどに、『オード』の手は増え、大きくなり、力を増していく。
私の視界は、無数の手に覆われた。
腕がえぐられた。脚も、胸も、手も、指も。
「気絶もしないか、可哀想に」
「お、とぉさま」
「嘆くなよ、お前」
一際巨大な手が、わたしの顔目掛けて飛んでくる。
「うおりゃぁぁぁぁー、どっせいぃー!!!」
見えなかった、眩しすぎて。
分からなかった、速すぎて。
その輝きに、『痛み』を忘れた。
遠くから飛んできた光の塊は、『オード』の手を拳で殴り飛ばした。
光は立ち、告げる。
「地の剣、勇者『ピュアジェル』こと、大地じゃんぬ!その子痛がってるから、やめなよ!」
『使命』は向こうから現れた。