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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第8日 8月10日
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第92話 脱獄

 和田は留置場の独房で布団に横たわり、天井を見つめていた。

 果たして作戦は成功したのだろうか。仲間への連絡はうまく行ったようであるが、その後の消息は一切聞かない。もっとも、二人が関東に発ってからというもの、尋問に訪れる者もなく、食事を運んでくる看守が顔を出すくらいであったのだが。

 自分は内務省を裏切っていた。はたしてそれはバレているのか。もし二人の作戦がうまく行かず、捕縛されるようなことがあれば、自分が協力したこともバレる。すると熊野や吉野の同士もただでは済まない。粛清の嵐が吹き荒れることだろう。

 彼はなんとか外と連絡をつけられないかと考えていた。浅葱みどりがやってきたときは彼女の顔をみてカマをかければ勝手に喋ってくれていた。それで状況がわかっていた。いまは頼みの式神も貸し出してしまっていて、まったく情報のやり取りは出来ない。

 彼ははあ、とため息を付いた。そして時計を見た。

 時間は昼の12時半ごろだった。

 今日は昼飯の配膳が遅いなと彼は思った。普段は12時過ぎには看守が持ってくる。まだその看守が現れていないのだ。

 そのとき、鉄格子の向こうで、留置場のドアがギーッと音を立てて開いた。

「おや、遅かったね、今日は」

 彼はそう言いながら体を起こした。しかし入ってきた人物を見て驚いた。それは看守ではなかったのだ。

「一体何の用かな、昼ごはんを持ってきてくれたようには見えないけれど」

 その人物はその冗談を聞いても笑わなかった。右手には牢の鍵が握られている。看守が持っているものだ。

 そして、鉄格子の前まで来ると、牢の鍵を開けたのである。

「あなたを開放しに来ました」その人物は言った。

 和田は目を丸くしていた。

「驚いたな。まさか君がこちら側の人間であったなんて」

「もっと早く気づいていると思っていましたが」抑揚のない声で言った「意外と特公の人間もそこまで優秀ではないのですね」

「その言い方だとあなたは内務省ではない?」

「ええ。所属は言えませんが……さあ、扉を開けました。この袋に着替えを用意しています。作業着ですが、これなら目立たないでしょう。車も用意しました。外にある屋根に三脚の乗った軽のワゴンです。結界よけの護符も貼っています」

「ありがとう、そこまでしてくれるとは」

 和田は相手の手を握った。彼は安堵していた。一つに脱出できるということ、そしてここで助けがやってくるということは、自分の裏切りはバレていない、翻って言えば東京に出かけた二人は無事であるということなのだ。

「急いでください、看守は眠らしていますが、じきに目が覚めます」

「わかったよ」和田は言った「君は行かないのかい?」

「私はまだここに残ってするべきことがあります。それに、私が消えては私が間諜だとバラすようなもの。それはできません」

「恩に着るよ。そして最後に一点だけ聞きたいんだが、いいかい?」

「はい」

「宝剣を持ち出したのは、君なのかい?」

 相手は一瞬固まった。仏頂面だった顔で、眉がピクリと動いた気がした。

 しかし相手は、平静を保つように答えた。

「どこでそれを?」

「いや、浅葱みどりが、宝剣をどこにやったのだ、と僕を詰問するものだからね」

「なるほど、宝剣の持ち出しはすでに気づかれている、と。なるほど、私が入手した作戦案は完全にフェイクで、兵部卿の狙いは関東へと持ち出した宝剣ですね。そして兵部卿の姿が見えないのはそういうこと」

 彼はしまった、と思った。まだ東京は自分たちの宝剣が狙いだとは気づいていなかったわけだ。この情報が東京に送られれば任務はより難しいものとなるだろう。

 だがここでそれ以上なにかを取り繕うことは出来なかった。話が終わったならはやく行けとばかり相手は促し、それに従うよりほかはなかったのだ。

 かくして和田は自由の身となった。言われたとおり、警察署横の空き地に置かれていた軽のワゴンに乗り込むと、そのまま北へと走り去った。そこが最も山が険しく、警備も手薄であると言われたからであった。

 彼は193号線を途中まで北上すると、車を乗り捨てた。車での峠越えは彼には向いていないと思っていたからだ。

 修験者なら、自分の足で山を超えるのが最も信頼できる方法だった。

 かくして彼は身を鬱蒼とした山の中へと踊らすと、そのまま姿を消したのであった。


******************


 和田の逃走が判明したのはその1時間余後のことだった。

 やっと意識を取り戻した看守や警察官がまだ覚めぬ目をこすりながら留置場の様子を見に行くと、牢の扉は開け放たれ、なかはもぬけの殻だったのである。

 当然、薫御前はその報を聞いて激昂した。もっとも重要な捕虜が逃げたのだ。

 もちろん捕虜の管轄は兵部省であり、みどりさんの管轄である。しかしみどりさんが関東遠征に出た今、それを管理するのは当然刑部を束ねる自分であると思っていたのだ。

「監視任務にありながら眠るとは! 詰腹は誰が切るのだ!」

 彼女はそう叫んでいた。しかし昼間に集団で眠ってしまうなど通常ではあり得るはずはない。いまにも警官や看守を拘束しようとしそうな勢いだった彼女をなだめた役人らは、とりあえず寝てしまった人々を医者に見せるべきだと言って、上野原先生を呼んだのである。

 上野原先生は仏頂面で現れた。疲労の色が隠せていない。

「これは……」診察し、簡単な尿検査を行った彼女は言った「とくに異常はありませんね。おそらく疲労が溜まっていたのでしょう。ここ数日政府軍の攻撃もなく、緊張が緩んでいたせいで、いっきに疲れが吹き出して倒れたのです」

「3人もの人間が同時にか?」薫御前は言った。

「ありえない話ではありません。証拠に、みなさん2日に1回は夜勤に入っています。これでは身がもたないのは仕方ありません」

「そういうものか……しかし気の緩みで寝てしまうとは情けない」

 そのシバキ主義の昭和脳をどうにかしたらどうか、と喉まで出かかったが、ぐっと抑え込んだ。薫御前相手には余計なことは言わぬが吉だと思われたからだ。

「ええ、この人達に必要なのは、懲罰よりも、さきに休養です」

「医者がそう言うなら仕方ないな」

 薫御前は怒りの波は既に過ぎ去ったようで、上野原先生の提案をすんなり受け入れた。

 そしてその上で支配領域全土に、境界の警備強化を通達したのである。

 そこへ遅れてやってきたのが斎部美嘉と、坂本太夫であった。

「熊野別当が逃げたいうんはほんまか?」美嘉は息を切らしながら尋ねた。走って来たらしい。

「そうだ」薫御前は言った「呪術師が通ったあとは痕跡が残るんだろう、どっちへどう逃げたかわかるか」

「まあ分かるやろうけど……」

 たしかに薫御前の言うとおりであり、呪術師の通ったあとにはなんらかの痕跡が残る。しかしこの追跡自体は波長のようなものを追いかけるかごとき作業であり、神道系の呪術に長けている美嘉には、修験者の追跡はあまり得意分野ではなかった。逆に、みどりさんの場合、どちらもある程度は修験道や密教を解しているので、その波長を拾いやすいのである。

「そやけど、いまこれだけ結界の維持に力を使っとるんや、あんまし余計な力を使いたくはないんやけど」

「なら俺がやろうか?」

 手を上げたのは坂本太夫であった。

「あんまり得意ではないけれど、やってみることはできるよ」

「我々の失態の尻拭いまで手伝わさせてすまないな」

「いいよ、ちょっと暇になってきていたわけだし。かれの形見みたいなものはないかな、髪の毛とかでも」

「なら枕についていたこれが」

 そういって役人の一人が坂本太夫に一本の髪の毛を渡した。彼はそれを受け取ると、もってきていたカバンから紙を取り出す。そしてそれを人形に切り出すと、髪の毛を巻きつけた。

 ぼそぼそと呪文を唱える。しばらくして彼は何かを感じ取ったらしい、すっと立ち上がった。

「北の方だ。国道かもしれないな」

「捜索部隊を北に回せ!」薫御前は言った「他にわかることはあるか?」

「現地まで行けばもっと強く気配がわかると思うけれど」

「車を用意させよう、それで捜索部隊と一緒に行ってほしい」

「わかった」

 そう言うと薫御前と、彼女に付き従っていた役人らは警察署をあとにする。坂本太夫も、されに付き従って外に出ようとした。

 ちょうど、玄関のところで診察器具を片付け終わり、診療所に戻ろうとしていた上野原先生と遭遇した。

 とくに気にもとめず通り過ぎようとしたが、しかし、坂本太夫はなにかを感じ取ったらしい、立ち止まって上野原先生の方を見た。

「どうかしましたか」

 上野原先生は抑揚のない声で尋ねた。

「いいや、別に……先生、もしかしてだけど、呪術は使えないよね?」

「まさか」彼女は答えた。声のトーンは変わらなかった。「どうして」

「いや、なんだかちょっと……ううん、気のせいだ。ごめんよ」

 坂本太夫はそう言うと警察署を飛び出した。そして政庁の方へと、薫御前一行を追いかけていったのである。

 その後ろに続いてやってきたのは、美嘉であった。上野原先生は疲れ切った様子の美嘉を見て声をかけた。

「だいぶお疲れの様子ですね。いつもはもっと飄々としているのに」

「人手が足りんのや。ほとんど眠れとれへん。ほんまに、ウチが倒れたらどないするつもりなんや……」

「ごもっともです」

「いうても休むわけにはいかんのや。まだ書類の山ものこっとるさかいに」

「お気をつけて……ところでなのですが、先日のデータ、役に立ちましたか」

「遺伝子のことか?」美嘉は振り返って言った「あれはほんま感謝や。かなり役に立ったわ。あんなデータ手に入るなんて、元宮内省病院いうんは、伊達ちゃうな」

「ありがとうございます」上野原先生はわずかに微笑んだ。

「また何かあったら頼むかもしれへんけど、よろしゅうな」

 そう言って美嘉は警察署をあとにして、足取りも重く、政庁へと戻っていったのであった。

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