第88話 風水
私達はそのまま桜田通を歩くと、桜田門から皇居外苑へと出た。
皇居外苑の砂利道を歩いて、二重橋前で写真を取る観光客を横目に見つつ、なお進むと、気がつけば坂下門前までやってきていた。門は皇宮警察により警備されており、その奥にちらりと宮内省の庁舎が見えた。
「それにしてもあまり警備が厳重とは思えませんね」私は言った「徳島で反乱が起こっているというのに、ここは普段と変わらないようです」
「東京の人間は地方のことなんてもとより関心ありません。いたずらに警備を強化して、それを見た国民の不安を煽るようなことはしたくないのでしょう。おそらく、東京政府は、この内乱に国民の目が向くことを望んではいない」みどりさんは言った。そして付け加えた「もっとも、あの人自身が警備の強化を望まないでしょう。特別扱いを嫌うお人柄と聞きますから」
「そうでしょうね」私もなんだかそれは納得できるのであった。
さて、そのまま我々は内堀通りに出ると、道を北上する。左手には皇居のお堀、右手には丸の内の高層ビル群がそびえている。
すぐ東京駅に向かうのかと思ったが、違った。みどりさんは大手門を過ぎてもさらに北上し、そこから1ブロック先を右折した。
高層ビルの間に挟まれて、それはあった。
石に彫られた南無阿弥陀仏の文字。供えられた花やワンカップが今なお都民に畏敬の念を抱かせていることを物語っている。
「これは、将門公の……」
「そうです」みどりさんは言った「平将門の首塚です。新たな天皇になろうとした、我々の大先輩とでも言うべき人です」
みどりさんは首塚の前に進んで、手を合わせた。
「そして、日本最大の怨霊。恨みを呑んで一旦滅び、そしていま復讐を果たそうとしている私達がたのむには、よい相手でしょう」
みどりさんは手を合わせたまま、つづけてなにかぶつぶつと唱えているようであった。私も手を合わせる。
ややあって、みどりさんが顔を上げたようであった。
「さあ、行きましょう」みどりさんは言った「東京の神仏に加護をたのむのです。私の霊力であれば、神仏に働きかけることは叶うはず」
いや、ちょっとまってほしい。東京の神仏に加護をたのむのがどうして我々の益となるのか。べつにその力が遠く四国まで及ぶわけでもないのに。
それを言うと、みどりさんは呆れた顔をした。
「違います。少しでも東京の結界をかき乱す。そのために神仏に働きかけをするのです」
東京は世界有数の風水都市である。
などと書けば、読者の皆さんはどう思うだろうか。近代国家において風水など、単なる俗信として、しりぞけられるものとお思いだろうか。
いや、そんなことはないのである。ここまで読んだ読者なら、オカルトが現代に生きていることを知っているはずである。風水は、都市の基本設計と密接に関係しているのである。
東京という都市はもともと江戸氏の支配するところであった。しかし室町時代になると江戸氏も衰え、変わってこの地を支配し、江戸城を築いたのが太田道灌である。
道灌の死後、江戸城は、その主君であった扇谷上杉氏の居城となる。だが扇谷上杉氏も後北条氏との戦いに敗れ、江戸は後北条氏の領するところとなった。
この後にやってきたのが徳川家康である。
西暦にして1590年、後北条氏は豊臣秀吉の小田原征伐により滅びた。その後関東の抑えとして期待され、その領地を任されたのが徳川家康であった。
古来、家康入城以前の江戸は寒村であったと言われるが、これは正しくない。先述したように、多くの支配者が入れ替わり立ち替わる、交通の要所であったのである。
もちろん家康が江戸を関東支配の居城としたのにはほかにも理由がある。交通の要所というだけではほかにもいくつも街はあったのだ。なぜその中で江戸が選ばれたのか――それはこの江戸という土地が、四神相応の地であったからである!
四神相応とは古代中国由来の風水の思想である。東に青龍になぞらえられる川、西に白虎になぞらえられる道、南に朱雀になぞらえられる海や湖、そして北に玄武になぞらえられる高い山がある土地こそ、都にふさわしく、栄える土地だということである。
では江戸ではそれぞれ何にあたるだろうか? 一書はこう言う――東に隅田川、西に東海道、南に江戸湾、そして北に富士山がある。
ここでちょっとおかしいぞ、と思った方、その感性は正しい。富士山はあきらかに北ではない、西にある。江戸湾も江戸城から見ればどちらかと言うと東である。
だが当時の人々はこの矛盾点を「90度傾いている」ということにした、らしい。らしいというのは史書に記録がないからである。もちろん正しい方角での四神相応を説明することもできる。東に平川、西に東海道、南に日比谷入江(当時はまだ埋め立てられていなかった)、北に麹町台地とする説である。しかしこれはどう見てもインパクトに欠けるし、玄武が麹町台地では役者不足もいいところだ。よって90度傾いていても、前説がいまだに支持されるのである。
そしてこの風水都市計画のブレーンこそが、南光坊天海である。
天海はさらに江戸の霊的防御力を高めた。京都に倣い、鬼門(北東)と裏鬼門(南西)の守りを固めたのである。
まず鬼門に寛永寺を置き自ら住職を務めた。そして上野の不忍池を琵琶湖に見立て、そこに弁財天を祀り(竹生島に相当する)、近くには上野東照宮を建立した。さらに、もともと大手町にあった神田神社――将門公を祀った神社である――を湯島に移動させた。なおこの付近には湯島天満宮もあり、図らずも二大怨霊を祀る社が近接しあったこととなった。
そして裏鬼門の方角では増上寺を徳川家の菩提寺とし、さらに、日枝神社(日吉大社から分祀している)を移し、鎮護を固めたのである。
これが風水によって設計された、江戸の、そして東京の結界なのである。
みどりさんは結界を弱体化させる祈願をするのだと言いながら、道路を北に歩き始めた。
そもそも結界を構成する寺社に我々が祈願したところで何か影響を与えられるのかと思ったが、彼女はそれができると言い張った。
「実際、結界を操るために四国を回ったのです。弱めるため、ではなく強めるためですが」
彼女が言う結界とはあの霧のことだろうか、それともわざわざ丹生谷の外を回る必要があるなら、別のものだろうか。それが気になりはしたものの、その時は聞かずにいた。
それよりも。
「さっきからずっと歩きっぱなしですよね、電車は使わないんですか、地下鉄とか」
「地下鉄では1駅しかありません。それに、海部までの道を歩けたのですから、これくらい大丈夫なはずです」
「それはそうですが、しかし」私は汗をぬぐいながら言った「暑い」
「我慢してください」
みどりさんは無慈悲にもそう言いながら進んでいくのだった。
やがて神田橋(最近知ったが神田川ではなく日本橋川に架かるそうである!)を渡り靖国通りを過ぎて左手に正教会の聖堂を見つつ、今度こそ神田川を渡り、医大のそばを過ぎると、そこが神田明神である。
みどりさんはすぐさま石段を上がると、普通に、そう、普通の観光客化参拝客であるかのように、神社を参拝した。もちろん傍で見ていた私には何とか見えたのだが、彼女は拝殿と同時に何かを拝殿に向かって投げ込んでいたように思えたのである。
参拝した後、ふと並ぶ絵馬を眺めながら私は尋ねた。
「あれは、何を出したんですか」
「式を打ちました。式神が、私に代わって神に働きかけるのです。本当なら札を打ち付けたいところですが、それはちょっと難しそうですから。それにしても……」そう言って彼女は絵馬の方に視線をやった「なんでしょう、この絵馬、なんでアニメ絵だらけなんですか? この大黒天だかサンタクロースだか判別つかぬキャラも」
「いや、それはかくかくしかじかというわけで……」
「なるほど」みどりさんは私の説明を聞いて頷いていた「では我々も絵馬を奉納していきましょう」
「なんでそうなるんですか」
「絵を描いてください。私は裏に呪を書きますから」
「絵なんて描けませんよ」
「仕方ないですね……」彼女はため息をついて言った。そして彼女は絵馬を購入してなにかを書き付けたかと思うと奉納したのであった。
その後は上野に移動し、弁財天や寛永寺をまわった。
その最中に千秋さんから連絡があったが、あまり内容は芳しくないものだった。昨日会った三人との会談のセットは(Xデイが近いというのに!)難航しており、H氏が明日何とか会えそうだというものであった。仕方ないなあ、昨日は自分たちも酔っていたから利用してやろうと思っていたが、しかしあの酔っ払い議員らになにか期待できるかと考えれば、冷静にはあり得ないのである。はあ、とため息をつかざるを得なかった。
そんなふうにしているうちに、夕方となりつつあった。まだ明るい5時前、電話が再び鳴った。
それは小泉さんからであった。夕食をおごり、宿を提供するので、とりあえず池袋まで来い、ということであった。
疲れて、そして歩き回ったせいで腹を空かせていた私たちは、そのまま上野駅から山手線に乗って、池袋を目指したのであった。




