第87話 食堂
小泉さんの車が見えなくなった後、私はみどりさんに言った。
「さて、どうしましょうか。夜までの間」
みどりさんは答えた。
「できるだけ目立たないようにいましょう。それでいて、情報を集めたい」
「そんな虫のいい話がありますか」
「人が多いところなら情報もなにかあるのでは」
そう言いながら我々は近傍の思いつく限りの人の多そうなスポットを回った。新宿、渋谷、原宿……。
しかしもちろん情報など得られるわけなかった。人ごみに流されるように、うだるような暑さの中コンクリートジャングルを歩き回った末、みどりさんは言った。
「もうここは離れましょう! もっと情報に近く、そして安全ともいえる場所があります!」
そう言いながらみどりさんは歩き始めた。私はと言えば、とにかく冷房のあるところに行けるのであれば何でもいいと言いながら、後についていくのだった。
「そういってなんで霞が関なんですか!」
私は官庁街の中で狼狽していた。
あの後みどりさんに連れられてすぐ地下鉄の駅に向かい、銀座線、次いで丸ノ内線に乗った。そして霞が関で降りると、当然のことながら、中央省庁の官庁街のど真ん中の地上に出るのである。
こんな敵の本丸のど真ん中にいたくはないぞ、と思ってビルを見上げると、そこには外務省と書かれている。皇居の方向を見ればレンガ造りの建物があり、近くにあった案内板によれば法務省である。その向かい側の建物が内務省である。
「おちついてください」みどりさんは言った「さすがに敵も我々がこんな近くまで近づいているとは思わないはずです。調べるには好都合です」
「とはいいましても」
そう言いながら周りを見回した。
なるほど、たしかに観光客然とした人々もいるが、歩いている人の多くは首からIDカートを下げた公務員である。我々がここで張り込んでいては明らかに怪しい。みどりさんの染めた金髪も渋谷や新宿ならまだしも、ここでは目立つ。
「こんな路上でいるわけにもいきませんよ、どこかに行かないと……」
そう言った時、目の前を一台のトレーラーが走り過ぎた。それはすぐ信号で停まった。
何故か我々はそのトレーラーの方を見ていた。そして眼を見開いた。
トレーラーの荷台は白く塗装されていた。そこに黒と赤の文字でこう書かれていたのである。
『今こそお救いください天皇陛下
皇軍を率いて逆賊を討て』
「な、なんでしょう、あれは」みどりさんは目をぱちくりさせて言った。「新たな右翼の街宣車でしょうか?」
「いや、あれは和菓子屋ですよ」私は言った。
関西では有名な和菓子屋だった。もともとは兵庫県の和菓子屋であるが、東京にも支店を出しているのである。トレーラーは神戸ナンバーであり、おそらく本社から商品を運んできたのであろう。
「なぜ和菓子屋があんな政治的活動を?」
「さあ、わかりませんが……」
「とにかく追いかけてみましょう」
みどりさんはトレーラーを追いかけた。すぐにトレーラーはとあるビルの前で停まった。
「変わったビルですねぇ。一階に神社がありますよ」
「そんなことはどうでもいいのです」みどりさんは言った「この店のほうが気になります」
みどりさんはその神社があるビルとは向かい側の建物を指差した。
そこには、例の和菓子屋の東京支店があった。
「ああ、この店ですね。この政治広告を出しているのは」
「入ってみましょう」
みどりさんはつかつかと店内に足を踏み入れた。
店内はこざっぱりとしており、棚にはおかきや煎餅といった和菓子が並んでいる。どれもそこまで値が張るわけではない。
どこにでもあるような、和菓子屋なのである。別段おかしなところはない。
「さあ、別に変ったこともないでしょう、はやく出ましょう」
そう私が言おうとしたとき、みどりさんはすでにレジに並んでいた。お徳用せんべいを抱えている。
「……買うんですか」私は尋ねた。
「ええ、試食をしたら、おいしかったので。非常食にもなります」
彼女はそう言ってお徳用せんべい詰め合わせ税込み540円を購入していた。それなりにはいってこの値段は確かにお得である。
それを見つめていると、みどりさんは言った。
「わたしのです。ほしいと言っても、あげませんよ」
「いや、別にそういう意味では……それはそうとおなかすきましたね」
まだ時間は12時にもなってはいなかったが、炎天下で歩き回っていたのである。体力の消耗は思ったより激しい。
「近くに食堂はないでしょうか」
「そうですね……そうだ、あそこなら安く食事がとれますし、きっとなにかよい情報が耳に入るでしょう」
そう言ってまた彼女は歩き始める。これまでの行動からしてあまりいい予感はしないのであるが、しかし、ついて行くしかないのであった。
やってきたのは農林水産省の食堂であった。
ちょっと待った、と思った読者諸氏もいるかもしれない。役所の食堂に一般人も入れるのか、と。
しかし心配ご無用、農林水産省の食堂は誰でも入ることができ、数々の国産食品を用いた健康的な食事を安く提供してくれるのである。しかも食事当たりの食料自給率まで書いており自分たちがいかに農林水産業の内需を満たしているかがわかるのである。
だがそれでも待ってくれ、と思う人もいる。そもそもそんな中央省庁の中に入るなんて、隠密行動をとるべき身からすれば逆ではないか。金髪サングラスなど明らかに怪しいのではないか、と。
しかし安心せられよ、これも大きな問題にはならない。この食堂は例えば幼女が一人で入ろうとも……申し訳ない、勘違い。登場したのは別のグルメ漫画である……入るようなことがあろうとも大丈夫なのである。おそらくは。
別に我々は見咎められることもなく庁舎に入ると、そのまま食堂へと向かった。普通の弁当や定食もあればウナギやクジラも安く食べられるようである。私はとりあえず「国産鶏の」から揚げにしたが、みどりさんは「くじらなんて久しぶりです」と言ってクジラのステーキを頼んでいた。
食事をしながら、もちろん周りの会話に聞き耳を立てるわけであるが、もちろんすぐに知りたい情報が出てくるわけではない。農林水産省以外には外務省や文部科学省、そして内務省からも食事に来ていると思われる人がいたが、しかし、丹生谷への対策や宝剣についての話題はついぞ聞こえてこなかった。
そして食事を終えると、その後長居するのもかえって怪しく、また店内も混みあってきたので、席を立ったのであった。
だが少し、もう少しの忍耐と勇気があれば、もっとはやく事実に気づけたかも知れなかったのだ。
庁舎を出るとき、夏であるがスーツに身を包んだ3人組とすれ違った。IDカードがちらりと見えたが、内務省であるらしい。
その中の一人が、私の聞き間違いでなければ、こう言っていたのだ。
「しかし、アレで陸送とは……まったく宮内省は……」
何かを感じた私はとっさに振り向いた。そして引き返そうかとも思ったのであるが、しかしそれば分が悪かった。怪しい行動と見られてもおかしくないのである。
「どうしましたか」みどりさんが尋ねた。
「いまの……いや、なんでもないです」後で話すのが良いだろうと思った。「行きましょう、おなかもふくれたことですから」
「そうですね」
そう言ってみどりさんと私は桜田通りに出ると、それを皇居方面へと歩き始めたのであった。




