第86話 記者
「どういうことでしょう、どうして公安がくれば都合の悪いのでありますか?」
その女性は再び尋ねた。流石に怪訝な様子である。
それは一瞬であった。だが永遠に思われた瞬間だった。
「みどりさん」
目の合ったみどりさんに、私は言った。彼女も頷いた。
次の瞬間、我々は駆け出していた。
裏路地に置かれたゴミ袋やポリバケツを避けながら走っていく。
「ちょ、ちょっと待つであります!」
後ろから女性は追いかけてくる。みどりさんはポリバケツを一つ倒すと、中から空き瓶が散乱した。相手のスピードを殺そうという魂胆である。
案の定、女性は瓶に躓き、前に転んだ。しかし彼女はただでは転ばない。そのまま立ち上がりながら瓶の一つを掴むと、みどりさんめがけて投擲したのである。
ほとんどそれは脊髄反射のようなものだった。みどりさんは即座に背中のギターケースを開けて抜刀すると、迫る瓶を真っ二つ叩き切る。激しく動いた反動で、サングラスが地面に落ちる。
はっとしたのもつかの間、みどりさんはしまった! という顔になる。なぜならこんなところで刀を持ち出したのだ。事態が余計にややこしくなることはうけあいだ。
おかっぱの女性の方は少しの間呆けたような、唖然とした顔をしていたが、すぐに破れを取り戻したらしい。こちらへつかつかと歩み寄る。
みどりさんは刀を彼女の方に向けた。いや、非武装の民間人にそれはだめだろう。
しかし相手の女性はそんなことを気にする様子はない。さらに近づいてく。
「これが見えないんですか」みどりさんは顔をしかめてにらみつけるように言った。
「すごいのであります、今の技、なんですか!」彼女は目を輝かせながら言った「もう一度見せてください!」
「え、ええと……」
みどりさんは、相手の全く想定外の反応に、なんというべきか困惑する。
「刀、本物ですか! 居合道をされているのでありますか?」
「ええ、まあ、近からずも遠からずというところでしょうけれど……」
「おお、しかしどうして逃げる必要があったのでありますか? なにか悪いことでもなさっているわけなのでありますか?」
「それは……」みどりさんはつばをごくりと飲み込んだ。再びもとの質問だ。
「刀を使うお仕事……あっ、わかったであります! そっちの筋の方でありますか」
そっちの筋とはヤからはじまる自由業のことである。
「なるほど、うんうん、なるほど」
女性は勝手にうんうん頷いて納得したように言う。
「理解したであります。小生の想像が正しければ、あなたは組長の娘、そして貴方は(といって私を指した)舎弟で、駆け落ちしようとしているのでありますね!」
「そんなわけあるかいボケぇ!」私は思わず叫んだ。お国訛りが出たが気にしない。
「そうです!」みどりさんも言った「私達はそんな反社会的な集団ではありません、私達は丹生谷の……」
みどりさんはそこまで言ってハッとしたようだ。私も肝をつぶしていた。
自分から、丹生谷を名乗ってしまっていたのだ。
「丹生谷……?」
相手はまだなんとなくピンとこないようであった。そしてみどりさんの顔をしばらくしげしげと眺めた後、目を見開いた。
「あっ、貴女は!」彼女は手をぽんと叩いた「会見のときにちらっと写っていた!」
「は、ははは……」
みどりさんはうつろな笑い声を上げた。刀はまだ相手を向いていたが、しかし殺気はなかった。
「みどりさん、早く逃げましょう!」私は言う。しかしみどりさんから反応はない。
「みどりさん……?」
「ははは、ばれちゃった……ばらしちゃった……」みどりさんは生気を失ったような声で言う。刀の切っ先がガタガタと揺れていた。
「丹生谷の人ですか……」相手の女性は言った「これは僥倖であります! 古今東西にない特ダネであります!」
「通報、するつもりですか」私は尋ねた。
「通報? まさかそんなつまらないことはしないのであります」彼女は言った「小生の取材を受けていただくのであります! そして小生の飯の種になるのであります!」
「取材、それは……」
「もう一度言うであります。小生はA新聞社の記者であります。小生の取材をうけるのであります」
彼女はぴしっと我々を指差していった。自分のミスに意気消沈しているみどりさんや、役立たずの私よりも、よっぽど立派に見えたのであった。
「なるほど、そういうわけで変装して来られていたわけでありますか」
23区某所の喫茶店、我々とその新聞記者は対峙していた。
記者は小泉榛名と名乗った。もともとはネット記事を書いていたが、一念発起で新聞記者に転職したものの、スクープも書けず鳴かず飛ばずであるあるということだ。
そんな中、偶然にも、いま世間を騒がしている丹生谷政権の中心人物と出会ったのである。
それを見逃すわけにはいかなかった。これぞ天佑神助、千載一遇の好機。この取材に成功すれば、記事を書けば、売れること間違いないのだ。
みどりさんは、小泉さんの強い押しについに折れた。そして、自分たちの目的が完遂されるまで記事を出すことは許されないこと、そして絶対に公安に通報しないことを条件に、取材を認めたのであった。
みどりさんは、本来自分たちのものであった宝剣が奪われたこと、それを奪還するためにやってきたことを話した。N議員らの話はしなかった。
彼女はおどろくように目を見開いて話を聞いていた。そして最後に冒頭のように納得して頷いたのである。
今度は彼女が質問を問いかける番だった。
「しかし、どうしてラブホなんかに泊まったのでありますか。はっ、もしかして」
「もしかして?」
「危険な任務、吊り橋効果で近づく二人の距離、そして一線を……」
「超えていません!」みどりさんが言った「さっきから聞いていますが、妄想ばかり挟まれては、なかなかこちらの話もできません」
「す、すみません。小生の昔からの悪い癖なのです。憶測で記事を書いてしまうこともありまして、ネット記者時代はそれで大丈夫だったのでありますが……」
「いや大丈夫じゃないでしょうそれ」
こうやってああいうなんたらペディアのコピペ以下の記事は量産されているのか。悲しい限りである。
「しかし、過去はどうあれ、ともかく今は君子豹変して、真のジャーナリストを目指しているのであります」
「頑張ってくださいよ、我々の偉業を後世に伝える一次史料になるんです。しっかり書いてください」
「もちろんであります。で、ところででありますが、その、奪われたものの所在は明らかなのでありますか?」
「それがわかれば苦労しないのです……政治部の記者の知り合いとかいないですか? 内務官僚に探りを入れるとか……もちろん詳しい話は禁物ですが」
「う~ん、善処してみるのです。それがあったほうがいいわけでありますね?」
「そうです。まるでスパイになってくれと言っているようで恐縮ですが、しかし取材料としてはそういったところになるでしょう。それにそのほうが私達の作戦の成功率も上がるというものです」
「わかりました、小生、頑張って情報を集めて見るであります」
「よろしくおねがいします」
「さて」小泉さんはそう言って立ち上がった「小生はこれから一旦本社に戻る予定ですが、お二人はどうするのですか?」
「ええと、協力員から連絡があるまでぶらぶらしているつもりだけれど」私は答えた。
「夜はどうするのですか? またラブホですか?」
「いやそれはちょっと」「ありえませんね」私とみどりさんが言った。
「それではいかがでしょうか、小生のアパートに泊まるのは!」小泉さんは言った「小さいアパートでありますが、泊めることは可能であります。詳しいお話も聞けます」
「いやそれは悪いですよ、巻き込んでしまうみたいで」
私は固辞しようと思ったが、しかし彼女は首を縦に振らない。
「人の好意を受け入れるであります、あとで連絡入れますので、待っているのです」
そう言って彼女は僕らの分の食事とコーヒー代まで支払うと、外に出た。
直後、彼女の悲鳴みたいな声が外から聞こえた。
「どうしたんですか!」
我々は思わず駆け出して、店の外に出ていた。
外では、路上駐車をしているハイブリッドカーの前で彼女が愕然としていた。車のフロントガラスには駐車違反のステッカーが貼られていた。
「車を、車をここに停めていたのでありますが……」
震える声で小泉さんは言った。
「いや、駐車禁止って書いてありますよ」
「そうですが、いつもは大丈夫なのです。まさか今日に限って。しかも社用車なのです。始末書の山が……」
「しっかりしてください」みどりさんは言った「どんな些細なことでも、警察との接触は避けたいのです。よろしくお願いしますよ……」
「はい……」
小泉さんはそう言うと、ステッカーを片手に、うなだれるように車に乗り込んだのであった。そしてそのまま、我々の方は一瞥もせず、走り去った。
「本当に大丈夫なんでしょうか……」
私は流石に不安になる。みどりさんも同意見のようであり、哀れみのこもった眼で車を見送っていたのであった。




