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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第8日 8月10日
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第85話 尾行

 私が目を覚ました時、すでにみどりさんの姿はなかった。

 中途半端に終わって悶々として夜を過ごす羽目になっていたわけだが、しかし、アルコールの助けもあってなんとか眠れていた。みどりさんはどこに行ったんだろうかと寝ぼけた頭で思いながら浴室のドアを開けた。

 ここで一つ勘違いしてほしくないのは自分はけっして邪な気持ちがあったわけではない。ただ単にトイレというのはホテルでは浴室についているものだという先入観があったわけである。温泉旅館ならいざ知らず、ホテルと名の付くものはビジネスホテルくらいしか泊まったことはなく、どれも、トイレと風呂は同じ空間にあったのだ。

 であるから、自分はトイレに行こうと思ってドアを開けたのだ。

 中から湯気が出てくる。丁度シャワーを浴びている金髪のショートカットの女性が目に入る。

 一瞬誰かと思いつつ、ああそうだ、変装だとかいって染めていたんだった、と思った次の瞬間であった。みどりさんの投げた金色に輝くスケベ椅子が私の頭に直撃していた。私はその場にうずくまる。

「痛い! いったい何を――」

「それはこっちのセリフです!」みどりさんは顔を真っ赤にして叫ぶ「何の真似ですか!」

「トイレに行こうとしただけですよ」

「トイレはあっち! 別の部屋です! 何ふざけた言い訳してるんですか、この変態!」

 そう言いながら彼女はそばにあったバスタオルを手に取り、すばやく前を隠した。

「やはりこんな変態は切り殺しておくべきです!」

 彼女はそういってドアのそばにおいている刀を取ろうとした。いつ何時も傍に刀を置いているわけだから、浴室にも持ち込んでいたのである。

ああ、これはやばい、と思った次の瞬間だった。

 彼女は石鹸水で濡れた風呂場の床で滑った。そしてそのまま前のめりに倒れそうになる。

 もちろんそんな状況を放っておけるわけはなく、私はとっさに彼女を支えるように前に踏み出していた。

 結局、彼女は私もろとも床に倒れ、私の上に覆いかぶさる形となった。二人を隔てているものはバスタオル一枚だ。

「いてててて」彼女はそう言いながら顔を上げて、そしてはっとした。私の顔がすぐそばにあったからだ。みどりさんは、今にも火を噴きそうな顔をしている。

「あ、あわわわわ」彼女は目を回したように声にならない声を出す。泡を噴きそうだ。

 こんなときは、そうだ、彼女を落ち着かせることが必要だ。なにか気の利いたことを言わなければならない。そう、気の利いたことを……

 とっさに、私がひねり出した言葉は、しかし、まったく逆のものだった。

「昨日の続き、する?」

 次の瞬間視界が暗転した。気を失う直前に、脳天に鈍痛が走ったことだけは、確かなようだった。


 気づいたとき、すでにみどりさんは身支度を整えていた。私はといえば、一瞬なにがあったか思い出せずにいたが、次の瞬間やってきた頭痛ですべてを思い出した。

「ええと、みどりさん、なんていうか、その……ごめん」

「謝る暇があればはやく準備をしてください」

 みどりさんは私を一瞥もせず言った。これが昨日愛し合おうとしたものに対する仕打ちなのかと思うと、悲しい気持ちになるのであった。


 すぐに私も身支度を整え、ホテルを出た。

 できるだけカップルに見せかけようと言って手をつないで出ようと提案したが、しかし、みどりさんははねのけた。

「これは任務なのです、ちゃらちゃらしたことはいけません」

 というのが彼女の弁であった。

 いや、キスしようとしたのはどいつだよ、と思いつつ外に出る。

 みどりさんは周りを見回す。だれも自分たちに目を留めていないことを確認すると、「さあ、行きましょう」

 と言って歩みだした。

「今日はどうしますか?」歩きながら私は尋ねた「作戦は……」

「再度N議員たちと連絡を取りましょう。クーデター計画について、こんどはアルコール抜きで話したい」

「ではまずは千秋さんに連絡ですね、直接連絡は避けたほうが無難でしょう」

「そうしましょう」

 私は携帯電話を取り出すと千秋さんに電話を掛ける。彼女はすぐに出た。

 私が要件を説明すると、彼女は二つ返事で応じてくれた。

『了解~、まああの人の場合アルコール抜きというのは難しいかもしれないけど、後の二人は素面でも話してくれるかも』 

「お願いします」

『あ~、それとね、ウチだけど、やっぱり戻ってこないほうが無難だと思う。検問とかしているようだし』

「それは……困りましたね」

『どこか泊まるところ、見繕って。迎えに行けそうならなんとかするから』

「本当に迷惑かけてすいません。危ない橋をわたらせてしまって」

『まあ可愛い妹から、くれぐれもよろしく、と言われているからね。じゃあ頑張って』

 そう言って電話は切れた。

「と、いうわけで、ここからしばらくはラブホやネカフェを転々としないといけないみたいです」

 それを聞いて、みどりさんは、はあ、とため息を付いた。

「本当に困りました。あなたと毎晩一緒に寝るなんて、貞操がいくらあっても足りません」

「そんな襲ったりしませんよ!」

「それは当たり前のことです。そう、私が言いたいのは、そう、昨日みたいに……」彼女は口ごもった。「そう、昨日みたいに、気が緩んで……流れで……」

「流れで、なんですか?」

「もう、なんでもありません!」彼女は顔を赤くしていった「さあ、行きましょう。連絡があるまで、時間を潰しましょう。それに剣の在り処も探さなくてはなりません」

「どうやって探します?」

「N議員らが知っているとは思えませんし、そもそも利害が一致しているだけで秘密まで共有するつもりはありません。聞き込みも無駄でしょうし、そんな危ないことはできません。なんとか内務省に情報源となる人物を確保したいところです」

「丹生谷の協力員が色んな所にいるはずでは?」

「そうです。ですが私自身はだれがスパイなのかを知らない。だから、丹生谷を経つ前に情報収集を呼びかけるように頼んでおきました。神祇伯どのに」

 結局はあの姉妹が情報源や協力者とのコネクションになるわけである。なんだかんだ言っても縁というのは深いらしい。

 ところでであるが。

「みどりさん」私はささやくように言った「気づいていますか」

「もちろんです」彼女は答えた「というかバレバレです」

 そう、ホテルから出て少したったときのことである。あるきながら話をしている我々は、背中に視線を感じたのだ。通常東京は人が多すぎるがゆえに、個人に注意が向けられることはない。街なかで全裸になるなど明らかに風紀を乱せば別だろうが、少々奇っ怪な様子であっても、たとえば珍しい看板を撮影したり大の大人がぬいぐるみを抱っこして歩いていたとしても、それに注意が向けられることはないと言ってもいいのである。だいいち、我々は奇っ怪な服装も行動もしていなかった。会話は少々物騒かもしれないが、それも雑踏の中で消えるはずだ。

 そんな我々を、誰かが尾行しているのである。

「どうしますか、まきますか」

「いいえ、これはチャンスかも知れません」みどりさんは言った「内務省か防衛省のスパイなら、宝剣の在り処を聞き出せるかもしれません。捕まえて問い詰めましょう。それに我々が東京に来ていることを知られた以上、放置しておくわけにはいきません」

 そう言うと我々はいい感じの雑居ビルの合間の路地裏を見つけたので飛び込んだ。当然後ろから尾行する影は近づいてくる。

 その影が我々を追って路地裏に入った時、みどりさんが相手に飛びかかった。

 相手をビルの壁に押さえつける。襟元を締め上げるようにして相手の自由を奪う。相手はおかっぱ頭で丸い眼鏡をかけた若い女性だった。

「声を上げないでください。あなたはどこの工作員ですか」みどりさんは言った。

「こ、工作員だなんてそんな」彼女はあえぐように言った「小生はただの新聞記者であります」

「新聞記者?」みどりさんが顔をしかめた「それが何の用ですか」

「しゅ、取材を、と思ったのであります」

「取材?」

「そうであります、ですからこの手を離してください」

 みどりさんは彼女から手を離した。彼女は、エアコンの室外機の上によりかかるようにして咳き込んだ。

「すいません、てっきり内務省か公安の誰かかと」

「そんな大層なものではないのであります。ただ、ラブホテルから朝帰りするカップルに突撃取材をかけてみたらいいのではとふと思ったのです。ここのところネタがありませんから……」

「そ、そうですか」みどりさんは少し赤面しながら言った「乱暴な真似をしてすみませんでした」

「ええ、わかっていただければいいのです。ところで……」

「ところで、なんですか」

「内務省や公安とはどういう意味でしょうか。なんでそれを恐れて、小生をそれと勘違いして襲う必要があったのでしょうか」

 みどりさんは私の方を振り向いた。おそらく私も同じ顔をしていただろう。

 しまった。完全に怪しい人物だと思われた。そして暴力をふるってしまった以上、もはや言い逃れなどはできそうにないのであった。

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