第83話 卜部
旭美幌はコーヒーを飲んでいた。
向かい側には安西が座っている。かれはいつもの狐のような顔で薄ら笑みを浮かべているが、しかし心の中は同じであろう。
無為に時間が過ぎている。これは由々しき事態である。
昨日、丹生谷への侵攻作戦を討議し合った。安西一尉は、珍しく旭さんの意見も聞いてくれた。そしてそれも少しは反映してくれた。それを金城さんは冷たい目で見ていた。
しかし作戦は実行されなかった。今日9日、全線に渡り休戦命令が出されたのだ。
それはもちろん戦争の解決を意味しているものではなかった。戦争の中止命令は6日と同じ理由であった。
旭さんたちは11時2分に黙祷を行った。そしてその後昼食をとって、いまこうやって天幕にいるのである。
「旭さん」安西は言った「申し訳ありません。せっかく案を頂いたのに」
「いいえ、そんな」旭さんは言った「めっそうもない」
「しかし、これは弱りました。政治的判断というのは、ほんとうに困ります」
「本当に政治家というものは……」そこまで言って口をつぐんだ。官僚や軍人が政治的に云々するのはあまり褒められたものではないからだ。民主主義をないがしろにして、文民統制を守らなければどうなるかというのは昔の我が国を見ればわかる。だけれどもここまで現場の声を無視するのもどうか。コーヒーを啜った。コーヒーは苦かった。
天幕の入り口が開かれた。はいってきたのは金城香子であった。
「東京から通信文です」彼女は言った。「暗号電文、のようですが」
金城さんはその紙が挟まれたバインダーを机の上に置いた。
「どれどれ」手に取ったのは安西である「なになに、『アマノイワトヒラク』ですか」
そして旭さんの方を見た。
「意味がわかりますか?」
「ぜんぜん」旭さんは答えた。
「でしょうね」安西はため息をついた「暗号表くらい残してくれればよかったものを、本当にあの男は不親切です」
「はいはーい」
戸口の方で声がした。声の主は卜部りんであった。屈託のなさそうな、悪く言えば何も考えていなさそうな顔で言う。
「ボクならわかるかも」
「そうなんですか、卜部さん」旭さんが言った「でも暗号は」
「三種の神器は揃ったという意味だと思うよ」卜部さんは言った「内務省は宝剣の確保をした。それはきっと東京にあるんだよ」
「なんでそんな事わかるんですか」
「女のカン、っていうやつかな」
金城さんが睨む。卜部さんはびくっとなってすぐに言い直した。
「うそうそ、冗談だよ。そうだね、天岩戸を開かせたのは八咫鏡、つまり三種の神器のひとつ。だからこれも、神器が手に入った、という意味だよ」
「すごく雑じゃない?」旭さんが言った「当てずっぽうね」
「そんな事ないよ、おじいちゃんが言っていたんだもん」
「おじいじゃん?」
「そうだよ。本物の宝剣が名古屋の熱田神宮にも、東京の賢所にもないことを知っていた。そしてその宝剣が天子様のところにもどれば、天照大神の子孫たる天皇陛下の御代は、輝く日のごとく、栄光に満ちたものになるんだって」
「待ってください、そのおじいさんというのは誰なんですか」金城さんが言った。
「あれ、言ってなかったっけ。ボクは卜占をおじいちゃんから受け継いだんだよ。今の日本で、亀卜を必要とするところなんて、そうそう多くはないよ」
「亀卜が必要――」そう聞いて金城さんはやや考え込んだ。そしてはっとした。そうだ、たしかにこいつの履歴書は見ていたはずだ。たとえ少々妙な経歴であっても、この呪術集団であればまったく目立たない。もっと注意していればもっと早く気づいていたはずなのに。
「卜部さん、あなたは、宮内省からの出向ですね。いや、宮内省から引き抜いたと言うべきか」
「そうだよ」彼女は答えた「そしておじいちゃんも宮内省にいた。おじいちゃんの最後の仕事は、前の大嘗祭で、斎田を決めることだった」
斎田点定の儀――大嘗祭の劈頭を飾る神事であり、これをもって大嘗祭における神饌の産地が決定される。ここで決められた斎田からの米が紙に供されるのである。
「そして今なお貴女は宮内省とのパイプがある、そうですね、卜部さん」
「そうだよ。でもやだなあ、そんな言い方」卜部さんはにやりと笑った「まるでボクが、宮内省のスパイみたいじゃないか」
旭さんはその光景をみていて寒気を感じていた。卜部りんの豹変ぶりが恐ろしかった。なんださっきまでの頭のネジが何本か抜けたような姿は演技だったのだろうか。するといまの姿が本来の姿――
「でもそうでしょう? 内務省の上層部はおそらく、和田くんが失敗した際の代替手段を用意していた。それがおそらくは宮内省との共闘――だからこそ勅使が四国に入ったのでしょう」
「ある程度は正解だよ。宮内省の息のかかった人が丹生谷内部にもいる、そしてそれが宝剣の持ち出しに成功した。そしてそれを、勅使が回収した――数日前に高松へと入った人々がね」
「そして勅使はそれを持ち帰るのに成功した。しかし妙ですね、特公の情報では、勅使はまだ香川県にいると聞いています。そうですよね、旭さん」
「え、そ、そうですね」旭さんが言った「詳しい動向は不明ですが、香川県の五色台の山中に勅使はとどまっている、という報告を受けています」
「内務省は宮内省を見張っているんだね」
「それはお互い様ではないですか」金城さんが言った「あなたは、その情報を知っていながら、私達には言わなかった。つまり宮内省のスパイみたいなものです」
「まあまあ、いまの抜刀隊には宝剣奪取の余裕もないわけじゃない。戦線も突破できない。知っていてもどうなるものでもないよ」
「知っていればもっと気を楽にして、そして集中して攻めることができたでしょうに」安西が言う「宝剣の奪取にまで人員を割く必要もないし、少なくとも、自暴自棄になった敵が宝剣を破壊するなどという自体はありえないわけですから」
「いや、宮内省に手柄を横取りされるなんて、特公のプライドが許しません」金城さんが言った「なんとかしてあれは私達が手に入れたかった。悔しい」
そう言って卜部りんを睨んだ。
「そんな怖い顔しないでよ」卜部さんは言った。「まあ宝剣は回収できたんだから、ここからは思う存分攻められるよ」
「それができれば苦労しないわよ」旭さんが言った「戦線を突破できもしないわけだから、ご覧の通り」
「くくく、となればまた宮内省の出番になるのかな?」
「どういう意味?」
「さっきも言ったよね、勅使はどうしてまだ香川県にとどまっているのか、って」
「そうね」
「宝剣は天子様のところに戻った。しかし、未だに皇土の一部は叛徒の手の内にある。叛徒共は、怨霊やら鬼神やらを使役して戦争を挑んてきている。こんなものがまだ国内にいることは、宮内省としては許せないわけだ」
そう言って卜部さんは叫ぶように吟じた。
「草も木も我が大君の国なればいづくか鬼のすみかなるべき」
そして一呼吸おいて続ける。
「しかし残念ながらそれに対抗出来ないのが現状。すると、昔の人が言ったように、『毒をもって毒を制す』、つまり『化け物には化け物をぶつける』ことが必要になってくるんだ。その準備をいま勅使はしているんだよ」
「ちょっと待ってください」安西は言った「いま、『化け物』といいましたよね。まさか、讃岐の五色台といえば……」
「そうだよ、アレを使うつもりなんだよ」
「恐ろしいことを!」安西は声を上げた「あれを呼び出せば何が起こるかわかったもんじゃないぞ。なんたって日本国の大魔縁――」
後ろでひゃあ、と金城さんも悲鳴を上げた。
「本当にアレを起こすんですか、正気で!?」
「ちょっと、何の話をしているんですか」話について来れていない旭さんが言った「私にも分かる言葉で話してください」
「隊長、いいですか、讃岐の五色台には、あの御方の御陵があるんです」
「あのお方?」
「そう、保元の乱で平清盛らに敗れ、讃岐に配流され、失意と怒りのうちに没し、『日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん』と呪詛の言葉を残した、あの――」
そう聞いてやっと旭さんははっとした。流石に日本史を少しでも勉強したことがあれば知っている人物だ。
「まさか、でも、それは日本最大の怨霊では――」
「そう、道真公、平将門とならぶ日本三大怨霊の一角です」安西が言うのだった「五色台の白峯陵――そこに眠る方こそ、崇徳院であらせられるのです」




