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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第7日 8月9日 
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第82話 宿屋

 会談も終わり、そろそろ電車に乗って市川市に帰ろうかと思っていたときである。私の携帯電話が鳴った。

 電話は、千秋さんからであった。

「ちょっとやばいことになったかも」

 千秋さんは電話口でそう言った。

「何かあったんですか?」

「あなたたちが出かけた後、警察が来たのよ」

「げっ!」私は血の気が引く思いがした「それで……」

「あなたたちのことはバレてはなかったわ。丹生谷反乱の首謀者の一人――つまり私の妹について話を聞きたいということだったわ」

「なるほど、それはよかった」

「しかし、私も監視対象になったみたい。マンションの周りにも、あやしい人影がいるわ。たぶん公安ね、近づかない方がいい」

「それは! じゃあ僕たちは」

「ごめんだけど今日は都内でどこか泊まって。明日以降どうにかするから。盗聴されてたら困るし、もう切るわね。頑張って!」

 そう言って電話は切れた。

 みどりさんは「どうしたんですか?」と聞いてくる。

 私は電話の内容を説明した。みどりさんは、はあ、とため息をついた。

「よかった、そんなこともあろうかと着替えも持ってきています。あなたは?」

「一応僕も持ってきていますけど……」

「なら、どこか泊まることを探しましょう……あっ、あそこはどうでしょうか」

 みどりさんが指さした先には、ピンク色のネオンを煌々と輝かせる看板があった。隣には休憩2000円などと書かれている。

「あの、あれって、そういう……」

「えっ、あっ」みどりさんはそう言って顔を真っ赤にした「そ、そういうつもりじゃないわよ! なにを勘違いしているんですか!」

「もちろんわかってます!」私は言った「たしかにラブホはいい選択です。チェックインもチェックアウトも人に会わなくて済みますし……」

「なんでそんなこと知っているんですか」みどりさんはずいずいっと顔を寄せた「まさか行ったことが……」

「行ったことなんてありません!」

「そ、そうなの」彼女は視線をそらした「で、どうしますか」

「雨の中うろうろするのは趣味ではありません。あそこにしましょう」

 そう言って我々は、よそよそしいカップルを演じつつ、ラブホテルに足を踏み入れたのである。


 チェックインは画面で部屋を選択するだけであった。ハワイアンだの和風だの痴漢電車風だのウォータースライダ―だのあったが、オーソドックスと名前のついているのが一番普通だろうと思って選んだ。鍵が自販機の取り出し口のようなところから出てきて、それを持ってエレベーターに乗った。

 そして部屋に入って、すぐ我々の判断の誤りを悟った。

 部屋に入って真っ先に目に飛び込んできたのは、イコンであった。描かれていたのは、永貞童女・生神女マリアである。部屋は、正教会(オーソドックス)の教会風になっていた。ベンチはなく、奥に至聖所風の場所がある。そして『聖堂』の真ん中にベッドがある。

 いや、これマニアックすぎるだろ。

 まだカソリック風ならわかる。シスターのコスプレをして「神様ごめんなさーい」などと言いながらプレイをするのはありうる。しかし正教会風はさすがに見たことない。

 みどりさんも目を真ん丸にしていた。そして「なんです、この罰当たりな空間は」とつぶやいている。

「まあ、でも、ほら、ベッドはあるようですし、寝るには困らないのでは……」

「そのまま被昇天しそうです」彼女は言った「まあしかたない。もう入ってしまったのですから、ここで寝ましょう」

 彼女はそう言って荷物を下ろすと、ブラウスを脱いだ。そしてTシャツも脱ごうとするに及んで、私は流石に止めた。

「ちょっと、何しているんですか!」

「何って、着替えて寝るのです」

 そう言ったみどりさんの顔はこころなしか赤い。たしかに結構飲んでいた気がする。それが今になって回ってきたのだろうか。

「ちょっと、落ち着きましょう。水を飲みましょうか」

「水~? そんなの必要ないですよ」

彼女は言う。ああ、明らかに酔いが回っている。しかも足元がおぼつかない。

「まあまあ、じゃあ、ベッドに横になりましょうか」

「そう言ってなにかするつもりでしょう! その手には乗りません!」

 彼女は私の介抱をから開放されようと暴れる。しかし彼女はふらついている。そのまま、後ろに倒れ込む。私はそれを支えたが、ちょうど後ろにベッドがあった。

 そして、まるで私が彼女をベッドに押し倒したような形となった。

「……ほら、やっぱり」みどりさんは言った。彼女はいつものように、怒ったりはしなかった。

「嫌がったりしないんですか?」私は言った。心臓がなぜだかバクバクする。

「きっとこの部屋の塗料に変なフェロモンがあるんです。だからこうやって私も気持ちが高ぶってくるんです」

「え?」

「ほら、だからこうやって押し倒されても、抵抗できないんです」

「そんなこと……」

 私がそう言おうとしたところだった。みどりさんは人差し指を立てて私の口に当てた。

「そういうことにしておきましょう……」彼女は言った。

 そして彼女は私に顔を近づける。唇と唇の距離が自然に近づく。自分の心臓が爆発しそうなのがわかる。

 そして唇は重なった。

 それは一瞬だったか、それとも永遠だったか。しかしその問いは意味がないかもしれない。なぜなら時として瞬間は永遠の結晶となるからだ。

 やがて唇が離れる。彼女の熱い吐息が顔にかかるのがわかった。彼女の眼はとろんとしていたが、しかし、すぐに、いま自分たちがしてしまったことに気づき、さらに紅潮した。

 私も同様だった。目を合わせているには恥ずかしすぎた。視線を上げた。

 視線の先は入口の方だった。ソファーがあった。そこにあった4つの瞳と目が合う。

 その瞳は、期待に満ちた眼差しでこちらを見ている。

 一瞬状況が理解できなかった。

 フリーズしている私に、みどりさんは言った「どうしたんですか?」

 そして彼女も状態をわずかに起こして、私の視線のやる方を見た。そして彼女も顔をこわばらせた。

 そこにいたのは、二体の式神だったのである。

「あれー、お兄さんたち、続きしないの?」瑠璃が言った。

「そうだよ、ここで見ているからさ」珊瑚も言う。

「あ、あなたたち、どうして――」みどりさんが顔を真赤にして、眼をくるくる回しながら言う。

「ここに連れてきたのはお姉さんだよ」

「でも私は何の呪文も言ってないわよ!」

「だってこんなパワーありそうな部屋だよ。部屋からの霊的輻射で眼が覚めちゃう」

「そうだよ、続きをみたいなぁ」

「子供にはまだ早い!」私は言った。そして起き上がる。

「まだ早いんだって」瑠璃は言う。

「そうなんだ。でも童貞さんに言われてもね」珊瑚は言う。

「そうだよね、私達のほうが大人だもんね」

「ちょっと待って今なんて言った」私が言う。

「怒ったってことは図星だ」

「そっちじゃない」

「あなたたち、うるさいわよ!」みどりさんも顔を真赤にして叫んだ「いいですか、今見たことは秘密、誰かに漏らすことがあれば、決して許しません! 全身を小指をぶつけたような痛みが襲い決して死なない呪いをかけます!」

「わ、わかったよ、冗談だよ~」二体はみどりさんの圧に押されて、冷や汗をかきながらだまった。まあギターケースから仕込み刀を取り出そうとしていたせいもあるであろうが。

 その後、彼女は二体をまた紙に戻すと、封筒に入れてその上からまた御札を貼った。そしてカバンの中に入れる。

「これで大丈夫」

 みどりさんはそういった後ベッドに戻った。そして、やっと続きが……と思った私の期待とは裏腹に、ベッドの端で布団をかぶると、すやすやと眠り始めたのであった。

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