第79話 隠家
「なるほど、美嘉さんにはお姉さんがいらっしゃったんですね」
千秋さんの車の後部座席でみどりさんが言う。我々はあの後、言われるがまますぐ車に乗り込んだ。すぐさま車は港を走り去っていた。
この安房の地での助っ人が美嘉の親族であったことはすぐにみどりさんも合点がいったようだ。なにせ美嘉自身が、東遷した阿波忌部の末裔を自称していたわけである。安房国は同音の阿波国からの移住者が開拓したと伝わる土地であった。美嘉の関西弁は彼女のキャラクター付に過ぎず、実際は南房総地域の出身なのである。
「それで、どこへ向かうんですか?」みどりさんは尋ねた。
「私のマンション。市原市にあるわ」
「東京には向かわないのですか?」
「作戦はあるの? 『ガンガンいこうぜ』じゃなくて『いのちだいじに』でいかないと」
「まあ、それはそうですが……」
「着替えるのも必要だし、シャワーも浴びたいでしょ? その杖も気になるわ」
確かにその通りである。白衣や白装束は途中海中に投棄して処分したが、着ている服自体は丹生谷を発ってから丸一日以上着替えていないのである。女の子は汗をかいてもよいにおいがするものであるが、私のにおいはほかの人を不快にするかもしれない。そしてみどりさんの仕込み刀の金剛杖。これも目立つ。
これにはみどりさんも首を縦に振るしかなかった。
千秋さんは話を続けた。
「まあでも、まさか水澤君が関わっているなんてね。美嘉から聞いたときはびっくりしたわ。元気してた?」
「おかげさまで。千秋さんもお元気そうで」
「さあどうだか。あの子があんなことしでかしたせいで寿命が縮む思いよ。いまだってそう。美嘉からのお願いだから聞いているけれど」
「恐れ入ります」
「ねえ、ところでなんだけど、二人はデキてるの?」
「ブッ!」
思わず噴き出した。みどりさんも同様のようで隣でせき込んでいる。
「な、なんですかいきなり!」
「いや、どうなんだろうと思って。わざわざ二人で来てるわけだし?」
「そういう関係じゃありません」
「そ、そうです」みどりさんも言った。咳き込んだせいなのか顔を真っ赤にしている。「なんでこんな人と!」
「あら、そうなのね。美嘉が二人の仲を心配しているようだったし……あ、これは言わないでって言われたんだった」
「なんで神祇伯なんかが私と彼の仲を?」
「さあ。でも水澤君、悪い男よ、あなたは。元カノにそんな気を遣わせるなんて」
「元カノ!?」みどりさんが叫んだ。そして私の襟首をつかんだ「どういうことですか、説明してください!」
「ちょっと待って、出鱈目言わないでください! 僕と美嘉は付き合ってなんかいませんよ!」私は必死に言う。首が締まる。苦しい。
「あら、てっきり付き合っているものだと思っていたわ。一緒に温泉旅行行ったりもしてたじゃない」
「そりゃそうですけどでも」
「温泉!?」みどりさんは真っ赤な顔をさらに近づけた「お、温泉ということはつまり、旅館の同じ部屋に泊まったり……」
「そ、そうだけど、それはみどりさん、あなたも同じじゃないですか」
「それはそうですけれど、しかし!」
「本当に僕と美嘉はそういう関係ではないんです!」
というか万が一私と美嘉がそういう関係だったとしてどうしてこんなにまで首を絞められなければならないのかわからないが。
「本当の本当に、そういう関係ではなかったんですね!」
「断じて!」私は叫ぶように言った。
彼女は私の襟元から手を離した。
「そこまで言うなら信じましょう。しかし――」彼女は金剛杖に手を当てながら言った「もし嘘をついていたなら……私からこれ以上何かを奪うようならあの女ごと……」
「わかった、わかっかたら!」
私は冷や汗を流しながら彼女をなだめるように言った。
「ハハハ!」
運転席の方から笑い声が聞こえてきた。
「あなたたち、本当に面白いわ。変わった人が行くから、とは聞いていたけれど、あの子が変というくらいだもの、あなたたち、相当面白いわね」
「それはどうも」
みどりさんは言った。いや、これ全く褒められているわけではないぞ。わかっているかどうか知らないが。というか千秋さんも千秋さんである。いまみどりさんは美嘉の悪口を言っていたわけである。双方聞かなかったこと、言わなかったこととしているわけだろうか。
私は、はあ、とため息をついた。
ふと窓の外を見る。車はいつの間にか高速道路を走っていた。すでに木更津を過ぎて、その北、市原市に入ろうとしているところだった。
千秋さんのマンションはインターチェンジを降りて10分ほど走ったところにあった。
近くには内房線の駅もあり、交通の便もよさそうなところである。こそこそしていても周囲に怪しまれるので、堂々とマンションに入っていく。
入ってすぐシャワーを借りた。みどりさんは荷物の整理をしてからシャワーを浴びると言っていたので、私が先にシャワーを浴びる。
そして私と入れ替わりにシャワーを浴びた彼女が戻って来た時の姿を見て、思わず吹き出しそうになったのである。
「そのTシャツ、なに?」
「えっ、少納言殿にもらったんですけれど。せっかくですから」
まったく、あのぷちれもん先生はなにを考えているのか。というか絵柄から彼女の作品であるとすぐに分かった私も私であるのだが。
彼女が着ていたのは、いわゆるところのアへ顔Tシャツであった。コ○ケ用だか何かわからないが作ったものの余りを彼女に押し付けたのだろう。おそらくは。
そこに朝食が出来たと呼びに来た千秋さんも、そのシャツを見て、唖然としていた。
「それはちょっとやめておいた方がいいかもしれないわね……秋葉原でもキツいわ」
「そうですか? 海外では人気だと聞いたんですけれど」
「部屋の中はともかく、それを着て外に出るのは……」
「これしか持ってきてないです」
「……せめて上に羽織るものは?」
「ブラウスなら」
「ではそれを上に来てください。ちょっとそれでは会談には……」
「ええと、話の途中すいません」私は割り込んだ「会談、ってなんでしょうか」
「ああ、あなたがシャワーに行っている間に、内親王殿下には先に話しておいたのよ。ちょっと政財界に、もしかしたら役に立つかもしれないパイプがあってね」
「政財界、ですか」
「そう。その、もしかしたら戦争の講和の交渉なんかも請け負ってくれるかも。どうやら現政権にも不満たらたらのようだから」
「たしかにそういうのはありがたいですね。中央に協力者がいるのはいいことです」
「それは本当に信用できるんでしょうか」みどりさんは言った「呼び出して、そのまま私たちを官憲に突き出す可能性も」
「その可能性は低いと思うわ。そのあたりは信頼できる人よ、きちんと筋は通す。昔、私も議員秘書の手伝いみたいなことしていてね、そのときお世話になったんだけど、いい人だったわと。それに会いに行くのは、特使、とだけ伝えているし。まさか首謀者自ら来るとは思わないじゃない?」
「それもそうでしょうね……ええ、そこまでなら信用していきましょう」
「あとそれとだけれども」千秋さんは部屋の端にあるギターケースを指さした「あの杖、もし持ち運ぶ必要があるなら、アレを使うといいわ。かえって目立たいかも」
名案であった。あの杖は仕込み刀であり、護身用にも必要である。それに天叢雲剣を奪還した時もそのまま木箱を運んでいては怪しまれる。あれに入れて運ぶのがよいだろう。
「さて、しばらく何も食べていないんじゃないかしら。食事を用意したわ。そのあとは布団を貸すから、少し休むべきね。会談は夜よ」
千秋さんの言葉に二人は頷いた。彼女が用意してくれたみそ汁やご飯、焼き魚をいただいた後、ほとんど2日ぶりに、やわらかい布団に身体を横たえた。
すぐに睡魔がやってきた。そして気づいたときには、いや気づく間もなく、深い眠りの底へと落ちていったのである。




