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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第6日 8月8日
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第77話 御霊

 御簾の奥に影があった。

 影は子供ほどの背丈である。御座所となった宿坊の部屋の中に灯された蝋燭の火が揺れるたびに、影も形を変えた。だがそれは光の映し出す幻影である。彼自身は身動きせずに座っているのだ。

「主上、本日の戦況は以上のとおりであります」

 薫御前が奏上を終えた。本日の戦況――といっても今日は戦闘はなかったわけであるが――を伝えた。加えて、やってきた特使を追い返したことも付け加えた。

「で、あるか」

 そう主上が答えた時、一陣の風が吹き抜けた。ふっと、火が消える。

 同時に御簾の奥で、ばたり、という音がした。薫御前はばっと立ち上がると、御簾を上げた。

 そこでは、主上が気を失って倒れていた。

「主上!」薫御前は主上を抱き起こす「しっかりなさってください」

 薫御前が主上の身体を揺り動かすと、主上は苦しそうなうめき声を立てたあと、ゆっくりと目を開けた。

「御前どの……」先ほどとは打って変わった、弱々しく、しかし優しさのある声であった「朕は、役目を果たせましたか」

「ええ。立派に役目を果たしておいでです」

「そうですか、それはよかった」主上はほっとしたように目を閉じた「今日はもう疲れました。できれば休みたい」

「ええ、そういたしましょう」そう言って薫御前は後ろを振り向く。横の寝室に内侍らが入っていく。床の準備を整えているのだ。

 薫御前は主上を抱きかかえると、寝室へと連れて行った。そしてその玉体を布団の上へと横たえる。

「ゆっくりおやすみなさいませ」

 薫御前はそう言って布団をかけると、寝室を後にした。そして御座所から出ていく。

 そしてそれを頭を下げて見送っている人々の中に、斎部美嘉の姿があったのであった。


 異変があったのは、偽の大嘗祭――神降ろしの直後だった。

 主上は黒滝寺の行宮に戻った後、現状の説明を薫御前らから受けた。

途中まで主上は話を聞いていたのであるが、しかし、突然気を失ったのである。

 すぐさま側近らは駆け寄り抱え起こしたが、しかしそこで目を覚ました主上の声を聞いて愕然とした。

 それは先程下ろした安徳帝の声色ではなかった。主上の――彼自身の、もともとの、声だったのである。

「これはどういうことだ!」薫御前は美嘉に詰め寄った「安徳帝の霊を下ろしたのではなかったのか!」

 もちろん美嘉にもこれは想定外だった。しかし彼女には確信があった。確かに手応えがあったのだ。そしてその霊は、まだ逃げ出してはいない。

「そう短気を起こすもんやあらへん」薫御前を払いのけるように言った「ちょっと待ってみい」

 そう言うと彼女は主上に手をかざし、そしてぶつぶつと何かを唱えた。

 そして顔を上げた。

「やっぱりや」彼女は言った「安徳帝の霊はまだいてはる」

「では一体どういうわけなのかお聞かせ願おうか」

「簡単なことや。安徳帝の霊はまだ新しい器に馴染んどらん。表に出てこられる時間は限られとる」

「ならそれを保つことはできないのか」

「呼び出す方法はいくらかある。まあ、琴を鳴らしながら祝詞を唱える、いうんが一番ええかもしれん。古事記にもあるな口寄せのやり方や。やけれども、2つの魂が一つの体の中に同居しとるんや。身体の負担は計り知れん。無理に安徳帝の魂を呼び出すなら、それはこの子の体力を――」

「わかった、わかった」薫御前は言った「ともかく、安徳帝の御霊はここにいる、それは確かなんだな」

「そうや」

「ならいい。私としても主上に負担をかけるのは本意ではない。然るべきときに呼び出してもらうようにしよう」

「了解どす」

 美嘉は頭を下げてその場を辞した。しかしもちろん内心は気が気ではない。

 本来なら霊は新しい器に数日かけて馴染んでいき、身体への負担も減る。降ろした霊はもともとの家主の魂に取って代わり表に出てくるが、しかしそれはもともとの魂の死を意味するのではない。もともとの魂は小さく丸まり、眠りにつくのである――起きるかもしれないし、しかしともすれば永遠の眠りに。そのように霊魂を降ろしたのだ。

しかしその魂がまだ安定していない。安定する気配もない。これはすなわち、何かが足りないことを意味している。

そして足りないものは明白だった――宝剣・天叢雲剣。これが持ち出されたことが、天皇霊が未だ不安定である理由にほかならない。宝剣を持たない主上を、本当の天子かどうか、その霊は疑っているのだ。

ならば、すべきことは明らかだ。丹生谷の正当性のためにも、天皇霊のためにも、そして主上の身体のためにも、あの剣は取り戻さなくてはならない。

 御座所を出た彼女は、頭上の満天の星空を仰ぎ見た。彼らは今どこにいるだろうか、無事でいるだろうかと、不安になってくる。

 いいや、奴と、そして浅葱みどりのことである。きっとどうにかするに違いない。しかしそれよりも心配なのはあの二人が二人で行動することだ。吊り橋効果ではないが、ともすれば――。

 彼女は懐から携帯電話を取り出した。そして何処へか電話を掛ける。

 どこからか、ラジオの音が聞こえてきた。当直の衛士がかけているものだろうか。天気予報を流している。

 関東では、明日午後、雨が降るらしい。

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