第76話 会談
白旗を掲げた二人が国道195号線を西へ進んでいるという情報は、昼前に、太政官にもたらされた。
白旗を掲げているということは軍使である。無視するわけにもいかず、結局、前線基地であった、旧上那賀中学校で出迎えることとした。
出迎えにあたったのは、斎部美嘉である。
白旗を掲げた二人――旭さんと卜部さん――が国道を進んできて、霧の中から現れる。旭さんは、美嘉の姿を見るなり、ぎょっとした。
「あ、あなたは、昨日の……」
美嘉ももちろん気づいたようである。
「ああ、あんたさん、たしか抜刀隊の……」
「旭美幌、です」旭さんは言った。
「はいはーい!」卜部さんも言った「ボクは、卜部りん、だよ。よろしくね」
「卜部……いうたら伊豆か?」
「ざんねーん。ボクは対馬だよ」
「あまりお国訛りがあらへんな」
「そうだよ。東京ぐらしが長いから。お姉さんこそ、その訛り、不自然じゃない?」
「訛りやない。京言葉や」美嘉はムスッとして言った「まあええわ。うちは参議で神祇伯を務めとります斎部美嘉いう者です。まあ、立ち話もなんでしょうし、こっちへおこしやす」
美嘉は二人を連れて国道を西へと歩く。しばらくして旧中学校にたどり着いた。
美嘉は、二人を応接室に通した。
「旭さん、いいましたか」美嘉は言った「お国はどちらどすか」
「え、北海道ですけれど」
「ああ、どおりで、あまり聞かんアクセントや思うた」
「お姉さんは? 産地偽装してないかな?」卜部さんが言う。
「ウチは安房の出身や。まあみやこ暮らしが長いからな。こういう言葉を喋るんや」
「それ、本当の洛中の人に怒られない?」
「心配あらへん。洛中の人は自分ら以外の関西弁は同じく劣っとる思ってはるし、東人には京言葉も播州弁も一緒くたに聞こえるわ」
「いや、それは流石にないんじゃないかな~。大津や摂津ならまだしも、播州や泉州と聞き間違えることは無いと思うよ~」
「どうやろな」そして言った「あんたもそうやろ、標準語、みたいな何かを喋っとる。対馬を出たんはなんでや」
「だって対馬にいてもねえ」彼女は言った「だって観光客もめっきり減っちゃったんだよ。せっかく韓国語も頑張って覚えたのに。なら東京に出たほうがいいかな、って思って出たところ、陰陽寮に就職できたんだよ」
「斎部さん」旭さんが言った「お話の途中悪いですが、私達は世間話をしにきたのではありません。交渉に来たんです」
「それくらい分かっとりますわ。ほんの挨拶や」美嘉は言った「用件いうんを聞きましょうか」
「我々は、停戦交渉の場を設けたいと考えています。互いの条件を突き合わせて、合意に至ることができれば、と」
「それは政府の意向ですか?」
「いえ、これは、我々としての」彼女は若干言いよどんだ「これ以上血を流さないために、交渉の場を持とうと思っているわけで」
「うちらの休戦についての条件を、あなたらがどうにかできるとは思えへんな。うちらが求めとるんは唯一つ、皇位をこっちに渡すことや」
「そ、それはまた政治的に解決すべきことです」旭さんは言った「とにかくここは一旦矛をおさめるのが、よいのではというのが私達の考えです。このままでは双方、そして国民も疲弊してしまいます」
「うちらが生ぬるい覚悟でこんなことしとると思ってはるんやったら、見当違いですわ。宝剣を持っとるうちらこそ、真の皇位にふさわしい。これがうちらの考えであり、確信や」
「でも、玉と鏡はそっちにないよね」卜部さんが横から割り込んだ「なら、2:1で、ボクたちの勝ちじゃない、それ?」
「奇特なことを言いますな」美嘉は笑いながら言った。同時に安堵していた。相手の発言からするに、宝剣が持ち去られたことを、まだ彼らは知らないのだ。いや、同じ内務省のはず、伝えられていないのか。とにかく彼女は続けた。
「神器が大切なんをようわかっとんやったら、神器を持たずに即位した後鳥羽天皇の子孫をなんで祀り上げとるんや。そのとき神器を持っとったんは、安徳帝に他ならん。それを無理やり弑逆して奪い取ろうとしたわけや」
「しかし、交渉をしてほしいのです。ともかく一度話し合いを」
そう旭さんが言ったとき、ノックの音があった。
ドアが開き、大宮幼女が入ってきた。旭さんはまたしてもぎょっとしたが、大宮嬢は一瞥しただけだった。
「そういやお昼の時間も近いわけや。お腹はすいとりませんか?」
「いいえ、私はまだ」旭さんは言った。
「ボクはお腹すいてるよ。なんたって頭も胸も、そして可愛らしさも育ち盛りだからね」
このガキ、栄養全部胸に行っているんじゃないのか、それにしても別に大きくもないな、などと美嘉は思いながら、しかし顔色は変えず大宮幼女に言った。
「ちょうどええわ。この人らに、お茶漬けでもお出しして」
「いいえ、私は結構で……」旭さんは言った。
「本当~、ボク、鮭茶漬けがいいな」卜部さんは能天気にのたまう。
これには流石に美嘉も若干顔をひきつらせた。しかし平静さをできるだけ保とうと努力していた。
結局卜部さんのもとにはお茶漬けが運ばれてきた。彼女はあろうことかおかわりまで要求したのであった。
そして肝心の話し合いはもちろんまとまらず、話が平行線であることにしびれを切らした旭さんが「交渉決裂ですね」と言って席を立った。
これには美嘉も安堵していた。これ以上長引けば先にキレていたのは自分の方であったかもしれないのだ。敵の手前無体な様は見せたくない。
「そうですか、それは残念どすな」美嘉は白々しく言った。そしてお土産だと言って包みを渡した。
「なんの手柄もなく帰すんも悪いですから、心ばかりのもんです」
「あ、いいえ、受け取るわけには」旭さんは固辞しようとしたが、「隊長がもらわないのならボクが」と言った卜部さんの言葉で、それよりはマシだと結局自分が持ち帰ることにした。
美嘉は国道に張られた注連縄の近くまで彼女らを送った。
「また会う時は戦場でしょうか、それとも」旭さんは別れ際に言った。
「さあ、わからんな」美嘉は言った「まああしかし、お互い苦労やな、色々と」
美嘉の視線の先にはお腹いっぱいになってニコニコしている卜部さんがいた。旭さんも溜息をつくのだった。
そして踵を返して旭さんが立ち去ろうとしたとき、美嘉が思い出したように言った。
「あ、そうそう、大事なこと、伝え忘れとったわ」
「なんですか」旭さんが振り向いた。
「あんたんところの捕虜やけどな、全員無事や。昨日の2人も、怪我しとるけと命に別状はあらへん」
旭さんはその声を聞いて、ほっと胸をなでおろした。そして了解したというように頷くと、霧の中へと消えていったのである。
「すいません! 何の成果も得られませんでした!」
本陣に戻った旭さんは会議で端的に報告した。一緒について行った卜部さんからの報告はゆず茶がおいしかっただのこちらも何の役にも立たなかった。
一同を安堵させたのは捕虜の生命が全員無事であるということだった。ならば捕虜交換も手札の一つとなる――あいにくこちらにあちらの捕虜はいないわけであるが。
会議が終わったあと、ふと安西一尉は、旭さんのそばに置いている包を見つけた。
「これはなんでしょうか」
「ああ、これは向こうの担当者がお土産だと言ってくれたんです。中身は開けていませんが」
「そうですか、どれどれ」
安西はするすると包みを解く。中から現れたのはきなこがまぶしたおはぎであった。
「おはぎ、ですか」旭さんがつぶやいた「でもなんでおはぎなんて」
安西はそのうち1つをふたつに割った。なんのことはない、餡をごはんが包んでいて、その周りにきなこがまぶしてある。
それを安西は口に放り込んだ。
「そんないきなり、毒があるかも!」金城さんが叫んだ。
「彼らはそんな事しませんよ」安西は咀嚼して飲み込んだあと言った。そして残り半分を見ながら言う「なるほど、米が全部潰されていますね……」
「つまり、みなごろし……」旭さんがハッとした。
「そう、皆殺し、です」安西が繰り返して言う「これは本当に厄介です。相手はあくまで、徹底抗戦のつもりらしい」
「交渉の余地もないということですか」金城さんは言った。
「そうでしょう。さあ、旭さん、また皆を集めてください」彼は言った「明日以降に向けて、全面攻勢のプランを練りましょう」
補足説明:卜部は大和朝廷の祭祀貴族で、対馬、壱岐、そして伊豆の三国の出身者が採用された。卜部りんの発言には西国訛りが乏しかったため、伊豆出身と思われたのである。




