第72話 遺臣
「僕ら南朝の忠臣は南朝復興の機会を常にうかがってきた。しかし知っての通り自天王は討たれ、小倉宮の子孫も歴史から姿を消した。いない――いやいなくなったはずの子孫を探したが僕らは見つけられなかった。しかしそれでも来るべき日に備えて、僕らは潜伏し続けた。奥吉野、そして熊野の深い山に」
和田が話している。一つ一つ言葉を紡ぎだすような口調だ。
「そう、数百年、僕らは潜伏し続けた。そして明治維新がやってきた。新政府は南朝を正統とした。だがこんなのは口先だけの懐柔だ。本当に南朝を正統だと考えているなら、南朝の皇嗣を探し出してそれに皇位を譲るのが正しいんじゃないかな? 吉野山はそれになびいてしまった。だが僕らは、やはり北朝の子孫は認められない、そういう立場は変えていなかった。だが――」
彼は、だが、でいったん区切った。そして深呼吸した。
「行幸があった」
彼は言った。
「行幸があったんだ。陛下が熊野に来られた。そして和解と、協力を申し出られた。いたか? ここまでしたお方が今までいたか? 我々は長老方を説き伏せて、東京政府につくことにした。もはや南朝の子孫はいないからだ。それなのに……」
彼は跪いた。
「不忠をお許しください。南朝の子孫は、ここにおられた!」
「頭を上げてください」私は言った。「私ですら知らなかったのです。あなたが知るわけがない」
「陛下……」
「僕は天皇ではありません。陛下と呼ばないでください」
「では何とお呼びすれば」
「ただの水澤肇です。そう呼んでください」
「水澤さん」和田は言った「そういうわけです。そういうわけだったから、僕たちは東京政府に協力したのです。三種の神器も、そして残された皇統も、彼らのものだったから。失われた宝剣に代わる、新しい宝剣を擁して、彼らは正当性を主張していた。それを南朝と奪い合っていた。だが滑稽だよ。本当の宝剣は、ここにあった。そしてまた別の皇統が、ここに生き残っていた。僕らは何を奪い合っていたんだろうね」
彼は湧き出す思いをそのまま語るように続けて言った。
「政府は、ある時点で、本当の宝剣が阿波国のどこかにあると掴んでいた。剣山の伝承――草薙剣を頂上に納めたという伝承――これももちろん知っていた。だから何度も調査隊を差し向けた。しかし宝剣は見つからなかった。だが、先の御代の終わりごろ、ある話が飛び込んできた。阿波に、安徳帝の末裔がいる! と」
すなわちみどりさんと、主上である。
「だがそれは単なる情報に過ぎない。調査の結果それが真実味を帯びてきたとしても、だからなんだというわけだ。戦後、南朝の末裔を名乗るものが――あまりにうさん臭く僕らはそれに加担しなかったが――現れた時も、政府は黙殺した。
だが今回ばかりは異なった。どうやら本物で、そして皇位奪還を企てている――そう判断されたんだ」
「それはうちら自身の蒔いた種やけれどもな」美嘉が言った「南朝の遺臣にも共同戦線を持ち掛けた。まあ、それが裏目に出たんやけれども」
そう、丹生谷側は知らなかったのだ。反乱の準備の際、南朝側に協力を申し出た、その時すでに、彼らは政府側についていた。もちろん反乱の意向はすぐに政府が知るところとなった。
「だが決定的な証拠をつかむことはできなかった。首謀者もわからない。これでは破防法も、共謀罪も適応できない。そんなとき、浅葱さん、あなたが訪ねてきた。ともに奥吉野で修業をしたことがある、あなたが」
「そう、その時私は行脚の途中でした。吉野や熊野をこちらにつけるため、再度説得するように、熊野別当の知り合いである私が選ばれたのです。それでもあなたは……」
「そう、首を縦に振らなかった。東京政府を裏切れないと、その時は思ったからね。もちろん陰陽量の立ち上げの恩もあった。わかるかい? 維新以後、修験道はじめ伝統宗教は冷遇されてきた。呪術は非科学的なものとして退けられた。だが政府はそれをふたたび取り入れることにした! 土御門家は陰陽寮頭に返り咲き、そして僕ら修験道の行者からも中央に人間が取り立てられたんだ。政府は知っていたんだ。君らが呪術を扱う人間に声をかけていることを。そして、非科学的なものには、非科学的なものをぶつけるのが適切だということを」
政府はこの反乱準備を本気と受け取った。呪術を制するには呪術を制するしかない。政府は科研費予算を削って、陰陽寮設立資金とした。科学より非科学をとったのである(なおこれは珍しいことではない。政府や自治体がEM菌や不要な放射線検査など科学的裏付けのないものに出資するのはよくあることなのだ)。
「それをご存じなら、その時、私を逮捕すればよかったんじゃないですか」みどりさんは言った。
「その手はあったよ」和田は言う「だが、それでは面白くない。少し泳がせてから、首謀者もろとも、一網打尽にするのが良いと思われたんだ。だが直後、君は行方をくらました」
「くらましてなどいません」みどりさんはすこしムスッとして言う「ただ、四国に入っただけです」
「そう、四国に入った、ということだけはわかった。おそらく巡礼路のどこかにいるんだろうかとも思った。だが四国は山深く、それそのものが真言密教の行場であるような土地だ。補足はむつかしい――だから僕も四国に入った。できるだけ阿波国を見張れる場所で、待ち構えようと思ったわけだ。それが神山だった」
「そこで私達が動くのをあなたは待った。しかし」
「そう、君に先を越されたよ。きみが善通寺から池田方面に向かったという情報が入った時は、まさかと思った。しかし剣山に登ったらしいという情報が入って、それは確信に変わった。やはり剣山に宝剣はある。そしてそれを回収したということはつまり」
「よくわかりましたね、私が剣山に入ったと」みどりさんが感心したように言った。
「そりゃわかるよ」彼は笑った。「君は真面目にも登山届を出していたじゃないか」
登山届は登山者の義務である。そればかりは仕方ない。
「だがまた君の捕捉に失敗してそれを追う形となった。そして剣を手に入れようとしたが、しかし、結局こうやって捕虜になったわけだ」
そう言って彼はため息を付いた。
私は言った。
「さて、前座が長くなりましたね。あなたは剣を手にできなかった。しかし、誰かが我々のもとから奪い去った。それについて教えてもらいましょうか」
「水澤さん」彼は私を見据えていった「確かに剣を持ち出したのは我々です。しかし、残念ながら、それが誰であるかは知らない」
「知らないとはどういうことですか!」みどりさんが叫んだ「いまあなた方が持ち出したといったではないですか」
「僕にも知らないことはあるんだよ。すべて知るわけではない」彼は言った「だがこれだけは言える。ここには他に、僕の他に、協力員が入り込んでいる。残念ながらそれが誰なのかはわからないけれど、持ち出されたとすればそのしわざだろうね」
「協力員!? 僕らの中に、スパイがいるといいたいのか」
「水澤さん、真に受けることはありません。私達を分断する策略かも」みどりさんは言う。
「好きに言えばいいさ。でも、もし僕がミスした時は、代替の手段で宝剣は持ち出す。そういう手はずにはなっていたよ。もちろん南朝の遺臣として、僕が手に入れたかったわけではあったけれど」
「宮様、今は急ぐんです。とりあえず話を聞きましょう」私はそう言うと、また和田の方を向いた。「和田さん、それが誰であるのかは、本当に知らないのですか」
「残念ながら、それは知らないのです」彼は答えた。「でも、これだけは言えます。すでに剣は関東に運び去られたあとだと考えるのが、妥当でしょう」
「すでに関東に!」みどりさんは叫んだ。「我々は太刀打ちできないではないですか! 密かに関東に運び去られた宝剣を取り戻すなど!」
「いいえ、これは良い口実かもしれません」私は言った「宮様、宮様はさきほど征夷大将軍を拝命なさいました。東の敵を撃てとの勅命、これにかこつければ」
みどりさんははっとした顔をした。
「そ、そうですね!」彼女は言う「たまにはいいこといいますね。その手があります。それでは自然な形で、関東に出陣できます」
「で、手段はどうするんや」後ろから美嘉が言った。「阿南や神山に抜ける道は自衛隊や内務省が封鎖しとる。海部方面の道は使えそうなことは昨日わかった。でもそこからや。どうやって東京へ向かうんや?」
うぐう、とみどりさんは押し黙る。
そんなとき、声を発したのは和田であった。
「協力できるかもしれない」彼は言った。
「本当ですか」私は言う。
「騙されてはいけません、この人の言葉は……」みどりさんが言う。
「なにを仰るんですか」千歌がみどりさんを遮るように吼えた「この方はそんなその場しのぎの嘘をおっしゃる方ではありませんわ。この方は信頼できる方です!」
みどりさんは怯んだ。私は続けていった。
「和田さん、協力といっても、その手段はなんなんでしょうか」
「船を貸すんですよ」彼は言った「熊野水軍……といってもただの漁師集団ですが、これは健在です。これで関東まで運びましょう。大丈夫、ただの漁船ですから……」
すなわち彼は熊野水軍の漁船を丹生谷海軍の仮装巡洋艦として使用する提案をしているわけである。
「そんなこと……」みどりさんは言った「そう言って、私達を捉える腹づもりでしょう!」
「この御方はそんなことをしませんわ!」千歌が言う。
「宮様、ここはこの人を信じるしかありません」私は言った「少なくとも、僕に頭を下げたんです。僕は信じたい」
みどりさんは、ぐぐぐ、と歯軋りした。そしてややあって、溜息をつくように、言った。
「わかりました。水澤さんに免じて、認めましょう」彼女は言った「でも、しかし、本当に私達を」
「運ぶよ」和田は言った「許してもらえるなら、さきに式神を飛ばそう。海部に船の用意をさせる」
私は紙と筆を渡す。さすがにみどりさんも止めはしなかった。彼は紙を人形にちぎって、何かを書き込み、息を吹き込むと、それを飛ばした。それはまたたく間に消えた。
「さて、関東に行く人だけれど」彼は言った「誰が向かうのかな?」
「行くのは私です」みどりさんが言った。
「もちろん私も行きます」私も言う。もちろん当然の行為だ。
「お兄様!」千歌が言った。「私も行きたいです!」
「千歌、君はとどまっておくんだ、僕らが行くから」
「しかし!」
「千歌、監視役も大事なんだ。千歌にはその仕事をお願いしたい」
「お兄様がそうおっしゃるのでしたら!」
千歌はそう言って頭を縦に振った。
「では早速ですが今晩から出発しましょう」みどりさんは言った。「しかし、こやつの言葉だけでは」
「僕の手紙だけでは心配とうわけかな」熊野別当が言う。「じゃあ、特別に特使をつけようか」
「特使とは」
「知ってるくせに」彼が言う「ねえ、神祇伯、君は知ってるよね」
我々は振り向いた。彼女は、しゃあないな、と言った。
「こいつらのことか」
彼女はそう言って人形の紙切れを胸元から取り出した、
「そうそう、窮屈そうだよ、そろそろ開放してあげたらどうかな」
「ウチの豊穣な胸に文句あるんか」
「とんでも」彼は言った「僕は可能性を愛する。でも、部下を許してくれないか」
「しゃあないな」
そう言うとたわわな美嘉の胸の間から光がほとばしる。そして目の前に二人の幼女が現れた。
それは赤と青のゴスロリ服を着た少女であった。
「あー。ご主人様、窮屈だったよ」
「そうだよ、せまいところにおしこめられて」
「そんな事言うもんじゃんないよ」和田は言った。そして我々の方を向いていった「さあ、おじぎして」
「あっ!」青い少女は私を見ていった「いつか見たおじさんじゃん! よわっちいひと!」
赤い少女も、みどりさんを指差して叫んだ「あっ、いい気になっている人!」
「なんですかあなたたちは!」
みどりさんは叫んだ。まるで雷が鳴っているかのようだった。
「ねえ、おねえさん、わたしとやりあったの忘れたの?」赤い少女が飛びかかりながら言った。「面白いねえ」
「やめなさい」
「あっ、ここにもいるよ」青い少女が言った。僕を指差している「僕を痛めつけたレイパーだよ」
「二人とも止めなさい!」声が響いた。熊野別当の声だった。
「ええと」少女たちは若干狼狽するように言う。
「いいですか、この水澤さんは、南朝の末裔です。仕えるように」
そういきなり言われて、南朝の幽霊たちは、うっそ! みたいな顔をしている。
「しっかりお仕えするように」和田さんはそういった。
「瑠璃と珊瑚をつけよう、これはだいぶ役に立つ」
「ご主人さま!」黄色い声がした「私達を、こんな」
「瑠璃、珊瑚、これは大切な任務だよ」彼は言った「さあ、これは、吉野のお役にも立つ」
瑠璃ちゃんと、珊瑚ちゃんは、平伏いたように見えた。すかさずみどりさんが言った。
「さあ、すかさず準備しましょう!」
「準備って、どこへ、なんの」
「もちろん、山を超えて、太平洋、そして、紀伊水道です! そして、東京政府を叩くのです!」




