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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第5日 8月7日
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第69話 宣下

 ほうほうの体で丹生谷にもどった私とみどりさんを待っていたのは、歓声であった。

 

 戦闘は我々の勝利に終わっていた。自衛隊は撤退し、そして捕虜を2名捕縛した。怪我の処置が終わり次第尋問をするという。

 総司令官を務めていた近衛大将・久保薫は得意げな顔をしており、なぜか頭に月桂冠をかぶっていた。

「ふたりとも、大儀であった」彼女は言った。私とみどりさんは頭を下げていた。

本来なら内親王であるみどりさんはそんなことをする必要はないのである。しかし彼女も頭を下げていた。

「主上より報奨がある。参内されよ」

 薫御前はそう言って退出する。

 みどりさんは顔を上げた。手が震えているのがわかった。

「あれはなんなんですか。たしかに彼女は司令官であり、恩賞を受けるに値する。しかしなんで私が見下されなくてはならないんですか。彼女の口調はそうであった、違いますか?」

「ええ、そうでしょうね」私は言った。私自身は彼女に見下されることには慣れている。しかし内親王である彼女には理解できないのは当然だ。奮戦したのならなおさらだ。それを薫御前も理解していないはずはない。

 しかしその栄誉は薫御前自身に帰せられていた。彼女は今、近衛大将であり、この戦火を受けてすぐにでも征夷大将軍の宣下を受けるのではないかという噂さえあった。そうなるとますますみどりさんの居場所はなくなってしまう。

 みどりさんは歩き始めた。前線基地であった学校のテントを出て、車へと向かっていく。

「宮様、どちらへ……」

 私がそう言うと、彼女は振り返りもせず言うのだった。

「決まっているでしょう。御所に参ります。弟に……」彼女はここで言葉に詰まった「弟に、直訴しなくてはなりません」


 私の運転する車は再び山道を通って、黒瀧の御所へと向かった。

 戦闘で汚れた服を着替えるまもなく、車が汚れるのもあまり気にはかけなかった。とにかくみどりさんははやく弟に会いたがっていた。

 御所に着き、主上に拝謁に来たことを告げると、やや待たされた。

 しばらくすると、大宮嬢が現れた。

「陛下が待っている。こっち」

 抑揚もなくそう言うと、我々を案内するのだった。


 案内されたのはもともと本堂であったところである。

 本来なら仏像の前となる、やや奥まったスペースに御簾がある。その奥に人影が見える。御簾の奥には玉座があるのである。

 そして御簾の隣に二人の人影が見える。片方は摂政である入道殿。そしてもうひとりは、あろうことか、殿上人ではないはずの小野塚優花里であったのだ。

 しかしそんな事を気にする余裕はなかった。

 我々は御簾の前に拝跪した。さきに作法を説明されたとおりである。向こうから言葉があるまで、頭を上げてはいけないし、こちらから声を発するのもマナー違反だ。

「面を上げなさい」

 ややあって入道殿の声が聞こえた。やや申し訳無さそうにも聞こえた。

「主上、この者たちが先の戦いで、遊撃部隊として活躍した者たちです」

 入道殿は御簾の中に向かって言う。中から幼い声が帰ってくる。

「そうか。大儀であった」

「主上はお二方の戦功にいたく感心されておられる。よって報奨をくださるのである」入道殿は言った。

「近衛中将、そちは位を従四位上とし、蔵人頭および参議とする」主上はそう言った。

「ははっ」私は頭をさらに深々と下げるだけであった。

「そしてその方、ええと」

「兵部卿宮です、主上の姉君です」入道殿が耳打ちした。

「そう、姉上。姉上には征夷大将軍となってもらう」

 一瞬みどりさんは固まっていた。ひとつはもちろん自身の弟の口調と、そして彼が自分のことを理解できないということである。そしてもう一つは、征夷大将軍の宣下を、あろうことか自分自身が受けたことである。

 彼女は頭を下げるのを忘れていた。それに気づいた私にこづかれて、やっとはっとして平伏するように頭を下げる。

 彼女の瞳孔は見開かせていた。呼吸も不規則で、荒くなっていた。身体が小さく震えているのがわかった。

 主上は続けた。

「姉上にはさらに坂東の夷との戦いを頑張ってもらいたい。くわしくはその方から聞かせよう」

「恐れ多くもわたくしめが説明申し上げますわね」小野塚優花里がそこで声を発した「敵は撤退しておりますが、しかし、また体制を立て直していつ攻めてくるやもしれません。これをはねのけ、そして我々が本当の勝利を掴むためには、敵の中枢を狙い撃ちする必要がある、というわけなのです」

 彼女はそして一歩前に進み出た。

「兵部卿宮、いえ、将軍宮様、あなたの次の役割は、東京にいて正統政府を僭称する者共を長駆して討つことです。そのために、征夷大将軍の官位を主上はくださるのです」

 みどりさんは震えていた。しかし、ここでノーと言えるわけはない。答えはもはや決まっているのだ。

「臣、浅葱みどり、謹んでお受けいたします」

 彼女は、頭を上げずにそう言った。小野塚さんは頷いているようであった。

 しかし彼女には見えていないが、私には見えていたのだ。私は彼女と同じ様にやはり頭を下げていた。横目で見れば、彼女の表情はわかった。

 彼女は両目に涙をたたえていたのだった。


 主上への謁見を終えフラフラとした足取りで御所を出た我々は、ふと向こうから登ってくる人影を認めた。

 それは斎部美嘉だった。彼女も戦闘でやはり活躍したらしく、何らかの褒賞があるに違いなかった。

 私はいても立ってもいられず、彼女のもとに駆け寄った。

「あらあらこれは、どうしはったんですか」彼女は言った。

「どうしたもこうしたもないだろ」私は語気強く言う。いつの間にか彼女の襟を掴んでいた「主上のあの状態はなんだ。お前は昨日何をしたんだ」

「何を、って」こんなときでも彼女は顔色一つ変えない「するべきことをしただけや。安徳帝の霊を降ろした。それだけや。まさか完全に乗っ取られるとまでは思わんかったけどな」

「何ということをしてくれたんだ。それじゃあ……」

「そうや、もともとのあの子は、今はおらへん」

 私は思わず右手を振り上げていた。そして振り下ろしそうになる。

 その手を掴んで止めたのは、なんと、みどりさんであった。

「宮様……!」

「この人を殴ったからって、弟が戻ってくるわけではありません」みどりさんは言った「いまは落ち着いていきましょう、大丈夫、きっと手があるはずですから……」

「宮様の言うとおりや」美嘉もほっとしたように言う「ウチに暴力振るっても、仕方ないわ。戻し方なんて知らへんからな」

 私は彼女の襟から手を離した。彼女は乱れた襟を直しながら言った。

「にしてもや、女を殴るような男はいかんな。やっぱり別れて正解やったわ」

「わ、別れた!?」みどりさんが顔を真赤にして叫んだ「それはどういう意味ですか!?」

「さあ、彼本人から聞いたらええんちゃいますか? にしても宮様も男の趣味がよくないどすなあ」

「み、みどりさん、誤解ですよ、別れるっていうのは」

 私は慌てて弁明しようとしたが、最後までは言えなかった。

 彼女が私の顔面にグーパンチを叩き込んだのである。

 私は尻餅をつくように後ろに倒れた。

「みどりさん、なんて軽々しく呼ばないでください!」

 彼女はそう言うと、私と美嘉を置いて立ち去った。

「あーあ、怒らせてしまいましたなあ」

 美嘉が他人事のように言う。

「お前の仕業だろ」私は起き上がりながら言った。「なんであんな意味ありげなことを。それに主上のことも……」

「それは言いっこなしや。主上のことは本当にウチにはどうしようもあらへん。ああなるとは本当にわからんかったんや」

「お前も万能ではないのは知っているが、しかし……」自分の鼻をなでて折れていない事を確認しながら言った「あんな怒らせる言い方も。もっとマシな言い訳もないのだ。お前だけではなく、僕まで嫌われたらどうするんだ。僕についての話もだけど……」

「まあそれはそれや」彼女は言った「恋敵が減るんもええかな思うただけや」

「ん、なんか言ったか?」うまく聞き取れなかったのでもう一度尋ねる。

「いや、なんでもあらへん」彼女はぷいと顔の向きを変えた「うちはこれからも用事がある、あんたはどうするんや、追いかけていかんでいいんか?」

「ご機嫌斜めのうちは距離を取るよ。とりあえずは役場に戻って捕虜の尋問でも考えよう」

 私はそう言うと立ち上がり、石段を下っていった。

 黒瀧寺の駐車場までもどると、みどりさんは車の側で待っていた。よく考えればここは山深く、歩いて下るのも相当しんどいのである。

 彼女は私の姿を認めると、助手席に乗り込んだ。

「……暑いです、はやくエンジンをかけてください」

 彼女はそう言った。私は車に乗り込むとエンジンをかける。一瞬熱風、そしてクーラーで冷やされた冷風が吹き出してきた。

「今から政庁に戻りますが、それでいいですか」

 彼女は頷いた。

 結局山を下るまで彼女は私に話しかけなかった。気まずい空気が、クーラーの効いているはずの車内を、どんよりとしたものにしていたのであった。

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