第65話 遊撃
私はみどりさんを助手席に、そして小野塚さんを後部座席に乗せて明けつつある国道を東へ向かった。
ちょうど太陽が東から昇ってくるわけである。眩しさをこらえながら、サンバイザーをおろしてなんとか車を走らせる。
助手席のみどりさんは、ぷいと外を向いている。
「ねえ、許してくださいよ。悪気はなかったんです」
「あ、あんなこと、許せるわけがありません」みどりさんは震えながら言う「もうお嫁にもいけない」
「では責任を彼にとってもらうのはどうなのでしょう?」後部座席から小野塚さんが言った。
みどりさんは赤面しながら後ろを振り返った。
「そ、そんな恐ろしいことをいけしゃあしゃあと!」彼女は言った「それになんですか、なんであなたがこの車に乗っているんですか!」
「あら、具体的に責任の意味は言っていませんよ。私も、前線での仕事があります。それで便乗させてもらっているだけ。もしかして、二人きりのほうがよろしかったですか? 」
「そういう意味ではありません!」そう言って彼女は前に向き直った「まったく、汚らわしい!」
「あの、もうすぐ着きますけど……」私は言った。
「ではそこで降ろしてくださいますか」小野塚さんは言った「わたしは部隊の指揮があります。あなた方は、そちらの職務を頑張ってくださいまし」
「あなたに命令されるまでもありません!」みどりさんは言った。そしてなぜか私の方をキッと睨んだのである。
私は車を山側の退避スペースに停める。私とみどりさん、そして小野塚さんは車を降りた。
道はカラーコーンで塞がれていた。その先には本営である仮設テントが並んでいる。
川面からは朝霧が立ち上り、朝日がきらきらと輝いている。東の方はもっと濃い霧に覆われていて見えない。
小野塚さんは懐中時計を取り出す。
「この時間なら、迎撃部隊はすでに霧の中に入っています。私はここで間もなく来る近衛大将の部隊と合流します。そしてあなた達は……」
「敵の背後に回り込む」みどりさんはムスッとして言った「言われなくても知っています」
「あら、では抜かりなく、お願いしますね」
小野塚さんはそう言うとテントの方へと歩いていった。
「ねえ、宮様、我々も……」
「話しかけないでください、この変態」彼女は言った。「あなたは命令を聞いていればいいです」
そして彼女は車を指差した。
「トランクにある武器を抱えてください」
トランクにあったのは、拳銃と、それから一発のロケット砲である。
なんか思ったよりヤバそうな兵器じゃないか、と思っていると横を軽トラックが走っていく。カラーコーンが端に移動させられ、本営の方へ向かっていく。荷台に積まれていたのは、機関砲であった。
そんな状況を見て唖然としている私に、みどりさんは告げた。
「今から山を超えて、敵の側面を突きます」
そうして山の方へと歩き始めたのである。
はっきり言ってこの服装で、そしてこんなものを抱えて登山なんて正気じゃないと思った。これは流石に講義しようかと彼女を追いかけたところ、意外なものが姿を表した。
それは簡易式モノレールだった。一条のレールの上に小さな発動機と、その後ろに荷台車が連結されている。斜面の畑や林業、それから道路の通せない山の上の集落への交通手段として使われる、あれである。
「ええと、もしかして」
「鉄道は軍事史を大きく変えました」みどりさんは言う「鉄道の有効な利用が勝敗を左右します。大モルトケの看破した通りです」
そう言うと彼女はモノレールの荷台に乗る。私も乗ろうとした所、彼女は止めるように言った。
「先にエンジンをかけてください」
「エンジン……?」
私はその発動機を見たが、ボタンらしきものは見当たらない。
そんな私の様子を見て、みどりさんは、はあ、とため息を付いた。
「これを使うんです」
そう言って荷台に置かれていたハンドルを渡してきた。手回し用のハンドルのようだった。
「クランクハンドルをそこの穴に入れて回すんですよ。これはディーゼルです」
なるほど、ディーゼルか。そういえば昔祖父に使い方を教わったことあるな。懐かしい。
私は言われたとおりに穴にクランクハンドルを差し込んで、ぐっと回そうとする。しかし固くてびくともしない。そうだ、と思いだした。燃焼室内の圧がこのままでは高すぎる。デコンプしなくてはならない。そう思いながらレバーを引く。
ハンドルはスムーズにまわった。ここから気をつけなくてはならない。エンジンがかかるタイミングでハンドルを抜かないと、エンジンの回転に腕を持っていかれる。
そしてエンジンは掛かった。デコンプレバーから手を離した直後だった。ほぼ同時にクランクハンドルを外す。タイミングはバッチリだった。
「じょ、上手ですね」みどりさんは感心したように言った。
「昔、かけたことがある程度ですよ……」私は言った。
「かといって、私はあなたを評価したわけではありませんからね!」目をそらしながらそう言った「さあ、いきましょう。敵の先鋒がすでに来ているかもしれません」
霧の中を、小さなモノレールはゆっくりと斜面を登っていく。ヒトの歩くほどの速さではあるが、しかし登山による体力消耗が防げるのはありがたい。
霧が晴れ、15分ほどでモノレールは終点についた。そこは、昔は小さな畑だったらしく、荒れた段々畑の跡と、朽ちた東屋があった。霧は西に見え、東の川や山々を見渡すことが出来る。
みどりさんは、双眼鏡を取り出した。
「ここからは前の茂みが少し邪魔です。もう少し高いところは……」
そう言って見回したあと、なにもないのを悟ったのか、嫌々ながらと言ったふうに、俺に言った。
「肩車をしてください」
「はい?!」
「ほかに手がありません。さあ、はやく」
本当に私のことを嫌っているとすれば、肩車なんてさせるわけがないのに、などと思うが口には出さない。言われたままに、私はしゃがむと、彼女を肩車して、立ち上がった。思ったより軽かった。
「なにか見えますか?」
「ええと、まだなにも……あっ、あれは」
「敵ですか?」
「たぶん」みどりさんは言った「影でわかりました。ちょうど10時の方向。敵数100程度、川沿いの道を東から西に進軍中」
「敵数100、西に進軍中、ですね」
私は片手で小型の無線機を取り出すと本営に告げる。護符のおかげで霧をまたいで交信できるすぐれものである。「こちら遊撃隊。敵100、川沿いの道を西へ進軍中。間もなく敵は霧に入る。どうぞ」
『了解した。先鋒の接敵を待て。どうぞ』
「了解した、終わり」
みどりさんはしばらく南東の方角を眺めていたが、私に降ろすように告げた。
降りてきた彼女に、私は尋ねた。
「どうですか」
「敵はその最後尾まで霧の中に入りました。おそらく先鋒部隊との接触も時間の問題かと――」
そういった時、谷間に乾いた音が響いた。まどろんでいた鳥たちが目を覚ましバサバサと飛び立つ。
それは銃声だった。続いてもう一発、二発と銃声が響いた。
先鋒が戦闘に突入したのだ。
さて、次の本営からの司令を待つべきか――そう思った時、みどりさんはすでに動いていた。
今登ってきたのよりもさらに東へと降るモノレールがある。これにも発動機と荷台があるが、彼女はその発動機を取り外して、荷台車だけにしていた。
「ちょっと、何してるんですか」私は言った。
「このレールは霧の中に続いています。おそらく敵の横っ腹か、それとも後ろへ出ることが可能です」
「でも、これを取ればエンジンもブレーキも」
「何を言っているんですか」彼女は溜息をつくように言った「ブレーキなど不要です。エンジンもいりません。ただ、下ればいいんです」
「それってまさか……」嫌な予感がした。いや、こういうのは当たるものだ。
「そうです。鉄道の速度を活かした、奇襲攻撃です」




