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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第5日 8月7日
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第64話 早暁

 朝私が目を覚ました時、みどりさんはもう傍にはいなかった。

 朝と言ってもまだ夜も開けやらぬ午前4時。いかに日の出が早いとはいえ、あたりが明るくなるまでは1時間程度はある。

 だがもう起きて作戦を開始しないければいけない。昨晩珍しく深酒していないのが幸いである。左衛門権佐の予測ではおそらく午前中に、しかも薄暮を突いて攻撃してくるであろう、といわれていたからである。

 自分自身の支度をしながら、ふと思った。昨日隠した刀はどうなったのだろう?

 隠したはずの押し入れを開ける。確かこの辺に置いたはず……ない。

 おかしい、隠したはずの刀がないと思っていると、後ろに気配を感じた。

 ほっとして振り向いた瞬間、喉元に刀の切っ先が突きつけられる。

 みどりさんの瞳が、私を睨んでいた。

「昨晩、何かしましたか?」

「いや、な、なにも……」私は背中に嫌な汗が流れるのを感じながら言った。

「本当に?」

「本当に!」

「そうですか、いや失礼」彼女はそう言って刀を鞘に納めた。

「まあここで嘘をついても仕方ありませんからね」

「そうでしょうそうでしょう!」私は言った。

「しかし、なんでなんでしょうか。昨日この部屋に向かってからの記憶が全くないのです。そしてなぜか刀がその押し入れに入っていた」

 それはお酒を飲んだせいだ、などとここで言おうものなら私はきっと彼女の居合の犠牲になるだろう。武器を奪って酒を飲ませてなにかされたと思うに違いない。

 いや、正確には、何かされたのは、私の方なのであるが。

 昨日のことを思いだすと、無意識のうちに恥ずかしさがこみあげてくる。そして口元が緩んでしまう。

「何がおかしいんですか」彼女は言った。

「いえ、なにも……」

私は昨日のことは彼女には黙っていようと思った。

「すごくお疲れだったから、すぐに眠ってしまったんですよ」

「いまはそういうことにしておきましょう。もうすぐ出立です。審議は後回しです」

「そうですね。準備をしましょう。ところで……」

「ところで、なんですか」

「いえ、昨夜……」

私は一瞬口ごもった。彼女は怪訝な顔をした。

「いえ、なんでもありません」

 私は言った。

 思えば彼女はずいぶんすっきりした顔をしている。昨日必要なだけ泣いたのだろうかと思った。ならばこれ以上の深入りは無用だ。

 彼女はおそらくは訝しく思いながらも、それ以上詮索しようとはしなかった。

「さて、出立ですが、もう迫っています。準備をしましょう」

そう言って彼女は私に白装束を渡す。思えば彼女も白装束だ。

「ええと、これは……」

「決まっています」みどりさんは言った「水垢離です」


 外では東の空が白んでいた。まだ日の出前である、夏とはいえど外は涼しい。

 みどりさんは駐車場の端に大きなたらいを用意していた。そこには氷水が張っている。

「氷は必要なんですか……?」

「当たり前です。冷たいほど気合が入ります」

「やらなくちゃ駄目ですか?」

「我々は、東京政府の軍と戦うんです。誰かを斬るかもしれない。穢れがあってはいけません」

 そう言うと彼女はしゃがみ込むと、手に持っていた洗面器で氷水を掬った。そして頭からそれをかぶった。

 彼女がそうするなら私もするしかない。私もそれにならって氷水をかぶる。肌を刺すような冷たさだ。冷たく濡れた白衣が肌に張り付く。

 私はもう一回水を浴びようと再び洗面器で氷水をすくいながらふと横を見た。

 辺りはだんだんと明るさを増していた。

 丁度逆光で私の姿が見えにくくなっていたのは良かった。彼女がすぐ、辺りがすでに明けつつあることに気づかなかったからだ。

 私は息を飲んだ。

 朝日に映し出された彼女の姿は美しかった。濡れた黒髪が張り付き、その先端からは水が滴っていた。そしてその白衣は彼女の体にピッタリと張り付いていた。

 着物を着る時、本来なら下着はつけない。斎戒をする彼女もそれに倣っていた。薄い着物を通じて、彼女の素肌が見える。

 なお私自身も濡れることを恐れて下には下着をつけていない。ここであれがあれしてはいかに逆光の中といえどバレてしまう。シルエットは嘘をつかないのだ。

 なんとかそれをこらえている私を彼女は訝しがった。

「どうしたのですか?」

「いや、なんというか……」

 私がなんとか誤魔化そうとしていたその時であった。

「おはようございます、宮様、中将殿」

 ねっとりするような声がした。振り向けば立っていたのは小野塚優花里である。すでに軍服を着ていた。

「部屋にいらっしゃらないので探しましたわ。ここで何を……」

「水垢離です」みどりさんは不機嫌そうな声で言った。やはり彼女のことは嫌っているらしい。「あなたこそ何の用ですか」

「そろそろ作戦行動の予定時刻が近いですわ。準備をしていただくなくては」

「命令するような口調はやめてください。すべてあなたの言いなりになるつもりはありません」みどりさんは言った「時刻には間に合うので、ご心配なく」

「そちらはどうかしら?」小野塚さんは私に視線を投げかけた。

 これはこの場を脱出するチャンスだと思った。

「ええと、自分は準備に時間がかかるから、先に行きます!」

 そう言うとそばに置いていたバスタオルをひっつかんで立ち上がった。

「あら、そうですか」みどりさんは特に引き止めもしなかった。「そういうことなら、私もそろそろ行きましょう」

 みどりさんが立ち上がるのと同時に、私は建物の方へと向かっていた。彼女が自身の姿に気づく前に距離をとっておきたかった。出来るなら気づかないでいてほしかった。

のであるが……

 後ろから会話が聞こえてくる。

「宮様、みなさん、もう起き出してきています。建物に入る前に、バスタオルを身体に巻いてくださいますか?」

「服を絞ってから入ります。水はたれません」

「いいえ、そういう意味ではなくて……」

「どういう意味ですか?」

「あなた、服が透けて、丸見えでしてよ」

 ……この後、私が出陣の生贄として斬り殺されかけたのは、また別の話である。


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