第61話 夜営
遠くも近くもない山に日は落ちて、星が空を散りばめた。
別に今日の仕事も終わってはいないし、心も安心してはいない。しかし、自分らにとっては忌々しい、そして敵にとっては喜ばしい、夜がやってきたのだ。
旭美幌は嘆いていた。
作戦は立てた。しかしそれがうまくいく保証など何処にもなかった。
自分が先頭を切るなど思いもよらない事であった。とにかくできるだけのことは尽くすつもりであるが、勝算などあるのか、不安であった。
はあ、とため息を自身のテントでつく。そういえば夕食もまだであった。そろそろ夕食であればきっと副官の金城さんが「そろそろ夕食です」などと教えてくれるだろうと思っていると、やけに外が騒がしい気がした。
「どういうことかな……」
旭さんはぽつりとつぶやいた。そして天幕を出ようとした。
次の瞬間であった。顔を赤らめた金城さんが入ってきた。
「金城さん、どうしたんですか……」
「隊長、むこうで宴会をしております」金城さんは言った「あなたもどうですか」
「宴会?!」旭さんは叫んだ「そんな規律の緩んだことを! 明日は総攻撃ですよ!」
「だからこそです。それに規律といっても、隊長が訓示しないのが悪いのですよ」
「とにかく止めにいきます」
旭さんは自身の天幕を出た。そして金城さんに案内されるまま、二つ隣の天幕に入った。
中では宴会が行われていた。
「何をしているんですか!」旭さんは叱咤するように言った「明日は戦闘なんですよ!」
「まあまあ、姉ちゃん、そんなにまでいわんでもいいやろ」そう言って近づいてきたのは一升瓶を片手に持ったおっさんだった。
「あなたは……」
「大阪で易占をやっとった者や。よう当たるいうて評判やったんやぞ、特に競馬はなあ。わしもがっぽり儲けさせてもらいましたわ」
「そうですか……って、酒は法度です!」
「隊長」金城さんが寄ってきた。手には『抜刀隊手帳』を持っている「この何処に、隊員は酒を飲むべからず、と書かれているんですか」
「いや、それは」
「隊長が勝手に規則を作るのは、よくありませんよ」金城さんは言った「隊長はたしかに隊長ですが、お飾りでもあるんです。変なときだけ権威を振りかざすのはどうかと」
「変なときだけ、って……」旭さんは眉間にしわを寄せる。わかっていることであるがこうも堂々と言われては傷つくというものである。
「結局は作戦の詰めも私の意見に頷いていただけです。それに、軍事行動に最も欠かせない、食料の手配をしたのも私です」
「いやまあそれは面目ない……ありがとう」なんとも言い返す言葉が見つからなかった。たしかに全部彼女がやってくれていた。
「食事、なにが確保できたの?」
「今夜のメインディッシュはスパムです」
「スパム?」旭さんは思わず聞き返した。
「ええ。自衛隊の備品ですが賞味期限が近く破棄予定とのことだったので送ってもらいました」
「明日の朝は?」
「スパムとベーコンです」
「昼は?」
「携行用のスパムの缶詰を用意しました」
「……夜は?」
「卵とベーコンとスパムです」
「スパム、スパム、スパム!」さっきの占い師のおっさんが叫ぶ。
「スパム、スパム、スパム、すてきなスパ~ム、おいしいスパ~ム」金城さんも混じって唱和した。
「うるさい!」旭さんが一喝する。二人は黙った。
「スパムはわかった、スパムは。贅沢は言えないわ」旭さんはため息をつきながら言った「炭水化物はあるの?」
「ええ、もちろんです」そう言って金城さんは振り向いて、食事を運んできていた隊員に言った「準備はできましたか?」
「ええ。はんごろしは。みなごろしはまだですが」彼は答えた。
「半殺し!?」旭さんが飛び上がった。「皆殺し、って一体何を……」
「あんな棒ではんごろしにするんですよ」彼は天幕の隅においてあった丸い棒を指さした。
旭さんはぷるぷると震えながら後ずさりする。
「隊長、どうされましたか?」金城さんが言う。
「いや、殺すって……誰を殺したっていうの?」
金城さんは、はあ、とため息を付いた。
「隊長は勘違いしておられますが、はんごろしというのはおはぎのことです。米を半分潰すからはんごろし。全部潰せばみなごろし。それにあんこときなこをつけた、ここの郷土料理です」
「な、なあんだ」旭さんは胸をなでおろした。
「これがはんごろしです」さっきの隊員が皿にのったおはぎを差し出した。表面はきなこで覆われていた。
促されるまま口に入れると、ほどよい甘さが口の中に広がった。
「これはなかなか」もぐもぐと咀嚼して言う「いけますね」
「では、隊長、これもどうぞ」
そう言って金城さんがコップを差し出す。旭さんはそれを受け取って一口飲んだ。
直後にむせた。
「ゲホゲホ!」旭さんは咳き込みながら言う「これはなんですか、何の酒ですか!」
「美味しい白酒アルネ」
後ろで声がした。振り向くと短髪の壮年の男が立っていた。中国風の服を着ている。というかなんで協和語を喋っているんだ。
「ええと、この方は確か……」
「陰陽寮が雇った、香港出身の風水師のリーさんです」旭さんは言った。「武術の嗜みも少々あるようで、ですから抜刀隊に引き抜きました」
「飲むと身体温まるヨ。元気出るヨ」彼は酒瓶を出してきた。
「これ以上暑くなっても困ります!」旭さんは言う「それに酒はだめだと……」
そういった瞬間、今度は別の盃がすっと彼女の前に差し出された。
見ると、筋骨隆々とした男が、その盃を差し出していた。
「隊長どん、飲みたもんせ」彼は言った。
「えっ?」旭さんは目をパチクリさせた。
「飲みたもんせ」彼はまた言った。
「いや、お酒は……」
「隊長どん、おいどんの盃が、飲めんとな?」彼は旭さんを睨んだ。
「金城さん……」
「彼は薩摩弁でこう言っています『わたしの盃が飲めないのか』と」金城さんは平然と言った。
「いや、そんな事はわかるから……」
「隊長どん!」
「ひい」
「まあ、それくらいにしたらどうですか、市来三尉」
聞いたことある声がした。呼ばれた筋骨隆々のマッチョは振り向く。
そこにいたのは、実質的な抜刀隊の司令官である、安西一等陸尉であった。
「これは安西一尉どん!」彼は敬礼した。
「嫌がる人にあまり飲ませるものでもないですよ」
「失礼しもした」
「助かりました、安西さん」旭さんは礼を述べた。「この方は?」
「鹿児島出身の市来三等陸尉です。鹿島教導隊から、私が連れてきたんですよ」
「この方も、なにか術が使えるんですか?」
「彼は呪術や方術は使えません。でも剣術はできる。示現流の使い手です」
「なるほど……」そういった後旭さんは一拍おいて続けた「ところで、この状況をどう思いますか?」
「どうって、楽しそうなことを皆さんしていますね」
「安西さんからも、飲酒をやめるよう言ってください。風紀が……」
「旭さん」安西は言った「急ごしらえのチームなんです、こうやって親睦を深めておかないといけません」
「でもこれはちょっと……」
そう思っていると、天幕の隅っこでへたり込む影があった。それは先程の占い師のおっさんであった。酒瓶を抱えて、砂地の地面に寝転んでいる。
「ああ、言わんこっちゃない。こんなので明日大丈夫なのかしら」旭さんは嘆くように言った。
しかし安西は彼を咎める様子はなかった。
「旭さん。明日は戦闘です。相手も死に物狂いで戦うでしょう」
「そうです、だからこそ……」
「だからこそ、今日はお酒くらい許してあげたらどうですか。もしかすると……」
彼はそれ以上続けなかった。
彼女ははっとした。同時に理解した。
そうだ、これは戦争なのだ。怪我では済まない。殉職者を出してもおかしくないのだ。明日の命もわからないのだ。すると平和な今日くらいは……
気づけば、隊員の誰かが持ってきていたギターを演奏していた。それに合わせて歌うものもいた。
安西はコップを取ると、近くの机の上に置かれていたワインを注いだ。もう一つ注ぐと、そちらは旭さんに渡した。旭さんはそれを受け取った。
彼はコップを持ったまま天幕の外に出た。旭さんと金城さんも続いた。流石に中が熱気で暑いこともあったからだった。
空には月が出ていた。天幕の中からはギターの音と歌声がなおも聞こえてくる。
安西はコップを月に掲げた。月光がコップに反射してキラキラとする。
そして彼は、朗々と詩を吟じた。旭さんも、コップに口をつけながら、それを聞いているのだった。
葡萄の美酒夜光の杯
飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔いて沙場に臥す君笑うこと莫かれ
古来征戦幾人か回る




