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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第4日 8月6日
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第58話 吉野

「やあ、早いお帰りだね」

 再び留置所に戻った俺を、和田某はあぐらをかいて出迎えた。

「まだ取り調べ足りなかった?」

私はため息を付いた後、ぶっきらぼうに。「宮様はあんたに愛想を尽かしたようです。そのせいで私が一人で取り調べることになった」

「それなら2日前と変わらないね。また逃してくれるのかな」

「だまりなさい」私は苛立たしく言った「2度も同じ相手に捕まる間抜けに言われたくはない」

「それはお互い様なんじゃないのかな? 君も、あの浅葱みどりも、僕を1回づつ取り逃がしている」

「でも今はこうやって檻の中だ。そしてこうやって尋問しているのです」

「たしかに、そうかもね」彼は足を組み直した。そして頬杖をつく。「何から聞こうというのかな?」

「まずは内務省が何を企んでいるのか、ということを聞くべきなんだろうが、そんなことはたちまち私にとってはどうでもいいんです。あなたが、妹となにがあったか知りたい。なぜ千歌はあんたをあそこまでかばいたてしたのか、それを知りたいんです」

「なんだ、そんなことか」彼はため息を付いた。「大したことはないよ。吉野の奥駈道を歩いていて、道に迷いそうになった彼女を助けてあげた。それだけだけれど」

「他にもなにかあるはず。私の祖先が十津川出身であるとも知っていましたよね」

 十津川は奥吉野の遙か奥深く、奈良県の南に位置する村である。外界から孤絶されたその立地故に飛鳥時代から明治維新に至るまで、ほとんど独立を保ってきた。そして戦乱の世には勤王でその名を知られる。維新でもそれは同様で、そのかいあってか十津川郷士はみな士族となっている。私の先祖もそうであったという。

「そうだよ、さっきも言っただろ? 君の妹から聞いたんだ。なにかおかしいことでもあるのかな?」

「千歌は自分から出身地を話したりはしないと思う。祖父の出身地ならなおさらです。わざわざあなたは聞いた。違いますか?」

 ハハハ、と彼は笑った。

「いや、たしかにそのとおりだ。僕の方から出身地を聞いたよ」

「しかしなぜ」

「話し方だよ」彼はいった。「君たちは確かに関西弁を喋っている。でもその中には時折アクセントが東京弁のものが混じっている。それが十津川の方言だ。それで気になって聞いたんだよ。おじいさんの影響を受けたのかな?」

「なるほどね、なるほど」私は言った「それで、十津川だと聞いた時どう思ったんですか? まさか何も思わないわけないでしょう。十津川は……」

「南朝の拠点、そう言いたいのかな」

 十津川は山に囲まれ、昔より人馬不通の地として知られる。その天然の要塞を利用して、数々の敗者たちの潜伏先として選ばれた。

 南朝もその一つであり、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王は十津川に滞在しているし、楠木正成公の孫・正勝公の墓所も十津川にある。

「そのとおりです」私は頷いた「南朝遺臣のあなたなら、何も感じないはずがない」

「たしかに君の妹さんは聞けばいろいろ話してくれたよ。なんでも君の家は、南天皇を祀った神社の宮司をしていたとかなんとか」

 南天皇、とは南朝最後の天皇・後亀山天皇の孫とされる人物である。

時は応仁の乱を遡ること26年前。「万人恐怖」といわれた将軍・足利義教が守護大名・赤松満祐に暗殺された。世にいう嘉吉の乱である。その結果取り潰された播磨の赤松氏の遺臣らは、お家の復興をかけて手柄を立てようとし、奥吉野にいた南朝の残党から三種の神器を取り戻すため長禄の変を起こした。結果として後南朝の指導者であった自天王と忠義王は殺害され、そして家臣に擁されて十津川へと逃げ延びた南天皇も、その地で追手に打たれたという。

 そしてその南天皇を祀ったとされる神社が十津川にはある。

 いや、あったというのが正確かもしれない。

「明治22年のことです。十津川大水害で神社は流されました。大水害はあなたもご存知でしょう」――そう、知っているはずだ。同じ水害で熊野本宮は流されているのである――「そしてその後復興する余裕もなかった。明治政府は我々を士族にしたが、国民国家の建前上租税免除というわけはいかなかった。土地や家を失った人々は北海道へと以上うしました。私の先祖はとどまりましたが、ついぞ戦後、十津川を離れたのです」

 私は話を続けた。

「もはや十津川を離れた私には南朝なんてどうでもいいと思っていたんです。しかし、ここで安徳天皇の末裔を本気で護り続けてきた人を見て、可能性というのを信じたくなったのです」

 そして私はしゃがみこんだ。和田の目を見つめる。

「これはあなたが南朝の遺臣であるから話しているんです。いったい、何故あなたは北朝の味方をしているのですか。御幸だけが理由ではないはずだ。そんなので膝を屈したりはしない、それが南朝ではないんですか」

 私の言葉を聞き終わった和田は、はあ、と長いため息を吐いた。

「南朝はすでに滅んだんだよ」彼がかぶりを振りながら言った「皇統は途絶えたんだ。いくら遺臣が残っていようと、皇統が途絶えていたんでは仕方がない。昨日と同じ議論をしても意味がないよ」

「もしいたとしたら?」

「いるわけがない」彼は言った「いるわけのない亡霊を探し求めていても意味がない。僕は、この力を南朝のためにはもはや使えない。もちろん北朝に抗うつもりもないわけだから、丹生谷のためにも使えない。熊野も含め、全国の修験者は東京の帝に従っているんだ。すなわち東京の帝が、いまや正統だ」

 私はすっくと立ち上がった。

「わかりました」私は言った「いずれにせよ、協力する気は一切ないということでいいんですね」

「そうだね」

「最後に一つ聞いておきたい。宝剣の行方については、知っていませんか?」

「答える立場にいない、と言っておこう」彼は言った。

「あなたが丹生谷に潜入したのは、宝剣を奪い取るためではなかったんですか? なくなったとすれば、他に誰が?」

「どうだろうね」彼は言った「だが、これだけは確かだよ。宝剣は、本来の所有者のもとに戻る。これが道理というものだ」

「たしかにそれは正しいやろうなぁ」

 後ろの方から声がした。

 振り向くと、何時入って来たかはわからないが、美嘉が立っていた。

「ああ、これはいつぞやの巫女さん」和田は俺の肩越しに彼女を見て言った。いつぞやとはわずか2日前のことであるが。

「美嘉、いつのまに?」俺は驚いて尋ねた。

「あんたを迎えに来たんや。夜の儀式は迫っとる。準備の手伝いが必要や。宝剣が盗られたんは痛いことやけれど、まずはすべきことをせなあかん」

「まあたしかに。こいつを拷問して場所を吐かすとしても血を流していいような日じゃない」そう返事してはたと気づいた「なんでお前、宝剣がなくなったこと知ってるんだ?」

「あんたの妹がベラベラ喋ってくれたで。儀式の準備のために呼びに行ったら、やたら挙動不審で、宝剣の箱を儀式後どこに置いたかなんかを他の内侍に聞いとった。それで宝剣になんかあったんかと聞いたら『絶対言いません。宝剣が消えただなんて、死んでもあなたには言いませんから!』と言うたんや」

 あいつやっぱりバカだろ。

「まだ薫御前には言ってないな?」

「言うわけあらへんやろ。そんなんなったら怒り狂って誰の首が飛ぶかわからん。内密に処理せなあかん。それはウチも同じ考えや」

「さっきの、こいつの意見に賛成というのは?」私は和田を指さしながら言った。

「ああ、占いの結果や。助けにと思うて、宝剣がどこにあるんか、占ったんや」そう言って彼女は懐からひび割れた亀の甲羅を出してきた。

「卜占か。こんなのもするのか」

「まあ本職ちゃうけどな」彼女は言った。「ここにはこうある。『宝剣は本来の主のもとに巡りつく』。残念ながら本来の主いうんが、誰のことかは、わからへん。いまどこにあるかも、わからへん」

「抽象的だね。君の占いは」

 檻の中から声がする。和田がこっちをじろじろと見ていた。

「神意いうんははっきりせんこともある。あんたを助けた神意も、どういう意図かはわからんのや、和田はん。手の具合はどうどすか?」

「おかげですこぶる元気だよ。見てみるかい?」

「それではちょっと拝見」

 彼女は鉄格子のところまで歩いていく。鉄格子の中にはさらに細かい金網が張られていて、そのままでは手を外に出したり中に入れたりすることはできない。配膳用の小窓を空けると、彼女は手を入れ、彼に手を差し出すように言った。

 彼女は差し出された手を丹念に触って調べた。

「やっぱり種も仕掛けもなく、火傷のあともあらへん。大したもんや」

「そういっていただけると光栄だよ」

 美嘉は満足したのか手を引っ込めた。そして小窓を閉じる。

「また聞きたいことがウチもあるけれど、今日はもうしまいや。明日の準備があるからな」

 そして彼女は私にはやくついてくるように視線を送る。

「取り調べはまた行う。それまでにまた考え直していてください」

 私はそう言って、彼女の後を追った。


「違う」

 警察署から出たところで美嘉はつぶやいた。

「違う、ってなにが」

「違うんや。昨晩の式神の主。あれは、熊野別当のものやあらへん」

「え?」

「それぞれ個人には呪術の波長いうか、そういうもんがある。あの式神から感じた波長は、奴の波長とは違う感じがしたんや」

「じゃあ、他にも敵の呪術師がここに潜入していると?」

「まだわからへん」彼女は言った「だがもし、いたとすれば」

「それが宝剣を奪った犯人!」

「そういうことや」彼女はニヤリとした。

「だれか、式神の波長と同じ波長の人はいないのか?」

「それが全く心当たりがあらへん。ウチの知らん人かもしれん」彼女は言った「とにかくや、奴ではないことがわかったから、やつを尋問するいう不愉快な仕事はそんなに重要でないかも知れん」

「そう簡単ならいいんだが」

「あ、あとそれからやけど。十津川の話もしとったやろ」

「そこから盗み聞きしていたのか」

「あんたから昔解読してくれ言われたあんたの家に伝わるいう古文書、あったやろ」

「ああ、そういえば」

 全く自分も忘れていた。私の家に古くから伝わる古文書があった。虫食いだらけだし何を書いているのか読めないので、どうしようか、どこの博物館にでも寄贈したらいいかと悩んでいたところ、彼女が解読すると言って持ち去ったのだ。それより2年、借りパクされたままだった。

「ウチでもようわからんトコが多かった。それでわかりそうな人に依頼したんやけど、その結果が出たそうや」

「なんでその話を今するんだ」

「どえらいことが書いとったそうやで。十津川やあんたの家についてのことが。詳細は明日PDFで送ってくるそうや。もしかしたら奴を転ばすんに助けになるかも知れんやろ」

「そういうもんかねえ」

 私はこの時この話を完全に話半分で聞いていた。古文書などいくらでも偽書が作れるし、そんな価値あるものなら、あんなボロボロになったりしないはずだ。

 ともかく頭を切り替えねばならなかった。我々は今から神を出迎えるのだ。宝剣のことも一旦置いておこう。すでに日は西の空に傾いている。

 神降ろしの夜が、始まるのだ。


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