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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第4日 8月6日
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第52話 控室

 儀式は滞りなく幕を閉じた。

「思ったよりあっけなく終わったね」宿坊の控室にいるとき、そう話しかけてきたのはいざなぎ流の太夫、坂本龍樹少年である。彼は会場の最も端、来賓席でこの即位式を見ていたのだ。「もっと豪勢にやるのかと思ったら、意外に地味で、拍子抜けしちゃった」

 たしかに儀式は短かった。合計でも1時間はかからなかった。午前10時ごろ始まった即位式を終え、まだ正午にも達していなかった。しかし儀式は簡素であればあるほど良い。無駄に飾る必要はないのだ。

「あれでじゅうぶんなんだよ」私は言った。「始業式なんかも長くても困るだろ。それと一緒だ」

「ふーん。にしてもお兄さん、その恰好、似合ってるね」

 彼は私の唐風の武官の装束を指して言った。闕腋袍という脇を縫わない上衣を着て、掛甲を着用し、弓や剣をつけている。武官としては最高位の服装ということであった。脱ぎ方がわからないのでまだそのまま着ていた。

「それはそれは」

「もっと凛々しい顔ならもっとさまになったかもしれないけど」

「余計なお世話だ」

「肇さん、大成功です!」控室のドアが開く。声の主は内記にして少納言――青柳茅野さんであった。「生放送の視聴者数は50万人を超えました。録画をyoutubeに上げていますが、再生数は伸びており、すぐに100万を超えます」

「それはすごい」私は感嘆の声を上げた「まことに主上の徳と、茅野さんたちの撮影のうまさのおかげでしょう」

 実際その映像はすごかった。先の即位式のクライマックスに至るまで、あらゆる方向に備えられたカメラが次々と切り替わり、効果のある演出となっている。特に、主上の御尊顔を拝するところなど感動すら覚える。すぐにカメラはひれ伏す諸臣に切り替わり、また幟を見上げるように大写しとして万歳三唱が空に響く様子を捕らえている。ドキュメンタリーとしても完成しているように見えた。

「きっとこれを見て我々に味方しようと思う人もいるでしょう。その関心の高さは再生数が物語っています。まことに素晴らしい即位式です」

「本当にそうかな」

 水を差すように言ったのは坂本大夫である。私はなにいってるんだこいつといった驚愕と侮蔑の混じった視線を投げかけた。茅野さんも目を丸くしている。

「たしかに素晴らしい即位式だったと思うよ。でも俺が思うに、いまここで即位式をすべきだったかどうか、微妙じゃないかな」

「それはどういう意味だ?」私は睨みつけるように尋ねた。

「君らは東京の帝を偽物だと言っているし、自分たちは古式に則り即位式をすることで、自分たちの正統性を示そうとした。それはわかる。でもなんでそれを徹底しなかったのか、なぜ今急いでやったのか、ということだよ、俺が言いたいのは」

「徹底して?」

「そう。徹底して。ほんとうにきちんとするなら、京都に入城して御所で即位式を上げるべきだ。先帝も、今上も、東京で即位している。それに対抗して京都で即位するなら、それこそ本物だ。でもいまこの行宮で即位式と言ったところで、正統性とは程遠い。それになぜ今日なんだ? よりによってこんな日にすることもないのに……」

「それはうちから説明させてもらいましょうか」

 戸口で声がした。声の主は斎部美嘉。彼女は即位式には参列していなかった。霊的結界の維持と、そして夜の儀式の準備が忙しかったからだ。

「近衛中将はん、ごくろうでした。自衛隊は特に動いとらん。他になんかが侵入したいうこともあらへん。着替えたら、夜の儀式までの間は引き続き警戒に当たるようにいう宮様からの仰せや」

「承知した」私は返事した。「まあでも脱ぎ方がわからないから、着付けした人をまたよこしてくれないか?」

「なんや、脱がせるんが好きやと思うとったら、脱がされる方がええんか」彼女はにやつきながらそう言った。

「脱がす…脱がされる…」などと茅野さんがうわ言をつぶやき始めたが、こうなってはしばらく放っておくしかない。

「さて、坂本はん」美嘉は坂本龍樹の方を向くと言った「まず一つ目、なんで今ここでか、いうことやけど、これはとにかく急がなあかんいうのが太政官の総意や。東京の帝が帝位についてもう数年余、これ以上待っては高天原も天皇霊いうんも完全にあちらさんのものとなってしまう。それにこれ以上待ったら、内務省あたりに先手うたれる恐れもあったんや。頼みは少ないながら、今起こすすかないいうんがウチらの考えやった。そしてすぐに即位式をして帝位についたんを既成事実にする。京都落とすんを待っとったら、いつんなるかわからんかなら」

「なるほどね」坂本龍樹は言った。「じゃあなんで今日なんだ?」

「それはただの偶然や。いうたら、うちが卜占したら、今日いうことになったいうことや」

「お前のせいか!」私は思わず叫んだ「いや、たしかに僕も今日なのはどうなんだとは思っていたけど、お前の占いのせいか。さすがにこの日は避けようとか、占いなおすとかはなかったのか」

「『初筮は告ぐ。再三すれば穢る』」美嘉は言った「神意を疑うたらあかん」

「そういう考え方もあるのか。うちの流派は違うね。思うような結果が出ない時は、捧げものを増やしたりして、また占うのさ」

「おもろい考え方やな。さすがいざなぎ流や」美嘉は言った「申し遅れましたが、神祇伯の斎部美嘉どす」

「太夫の坂本龍樹」

「龍樹はん、よろしゅうな」

「こちらこそ」彼は言った「ところで、この丹生谷についてから、いろんな気や霊を感じるんだけど。良くないものも含めていろいろ。もしかして、お姉さんが呼んだの?」

「そうや」美嘉は答えた「いろいろ呼ばんと、ウチらだけでは足りへん。丁度、黄泉比良坂も開く頃やろ」

「終わった後はどうするの?」

「ん?」

「終わった後はどうするか、ってきいてるんだよ」坂本龍樹は言った「まさかそのままにはできないだろ。それに現世に這い出してきた連中だ。ちょっとやそっとで帰るわけない。かといてそのままだと穢れをため込む。山のものは山に、川のものは川に、そして幽世のものは幽世へと、きちんと返さないといけないよ」

「それはそうや」美嘉は言った。「だからここまでわざわざ迎えに来たんや、あんさんをな。戦後処理の準備の相談や」

「まさか考えてなかったの?」

 美嘉は、にやりと笑った。

「他人任せもいいところだな!」彼は叫んだ「じいさまたちには3個師団を相手させておいて、そのうえこれかよ」

「まあまあ、おちつきなはれ」美嘉は言った「そういうんもわかったうえで、ここへきたんやろ?」

 坂本龍樹は不機嫌そうな顔で立ち上がった。おそらくは図星であったのだろう。

 美嘉に連れられ、坂本龍樹は退室する。しばらくして正気を取り戻した茅野さんも、すぐに部屋を立ち去った。あとには私が残された。

 部屋には他には誰もいなくなっていた。着付けの人が来るだろうと、座って待っていると、ドアをノックする音があった。いきなり入ってきた先の2名よりはずっと礼儀正しいなと思って入るように言うと、それは着付け人ではなく、わが妹・千歌であった。すでに儀式のときの十二単は脱いで、服を着替えている。

 なんだ、まだ服は着替えられないのか、そう思ったが、なんだか千歌の様子がおかしいことに気づいた。なにやら表情をこわばらせている。そしてうつむき加減に、いまにも息を詰まらせそうにしている。

「千歌、どうしたんだ」私は尋ねた「気分でも悪いのか」

「お兄様……」千歌はうつむいたまま言った。声はなんだか弱弱しかった「わたくし、とんでもないことをしてしまいましたわ……」

「なんだ、とんでもないことって」私はきょとんとした「先には立派に役目を果たしたじゃないか」

「そのことなのです!」千歌は顔を上げた。顔は青ざめている「このことは誰にも……いえ、しばらくは誰にもいわないでいただきたいのです」

「どうしたんだいったい」

「わたくしは宝剣の箱を奉持しておりました。中身はかの草薙剣。そう思ううちに、ふとよくない心が起こったのです。中身を見てみたい。じかに、宝剣を見てみたいという気持ちが起こったのです。儀式の後、他の方々の目が離れる瞬間がありました。わたくしは魔がさしたのです」

「まさか……」

「そうです、わたくしは、開けてしまったのです。箱を」彼女はガタガタ震えだした。「箱を……」

「それで、どうしたんだ。開けてしまったものは仕方ない。見てしまったのなら仕方ない。それは黙っておくよ。なんだい、そんなに震えるなんて」

 彼女は呼吸が荒くなっていた。今にも過換気になりそうなのを、なんとか押しとどめていた。そして、なんとかしぼりだすようにこう言った。

「……なかったのです」

「え?」私は聞き返した。

「なかったのです。わたくしは箱の中を覗きました。ところがそこには何もなかったのです。剣の姿なんてありません。箱の中は、空っぽだったのです」


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