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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第3日 8月5日
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第46話 捕虜

 我々は庁舎のとなりにある旧丹生谷警察庁舎に向かった。途中、政庁の三階で明日のレクチャーを受けていた我が妹を拾った。レクチャーの講師は美嘉であったが、千歌は美嘉のことが嫌いなので嬉々として出てきた。もちろん、「恩人」である熊野別当・和田に会えるということもあるだろうが。

 警察の留置所であるから、もちろん衛生的である。読者諸氏は古典小説にちなんで留置所が地下牢であったなどと思っている方もいるかも知れないが、それは戦後内務省が流布した質の悪い噂に過ぎない。捕虜は警察署の留置所か、もしくは学生や外国人の技能実習生のために建てられた設備に収容した。これが不衛生だと喧伝するのは我が国では犯罪者や外国人労働者の人権が保証されないと政府自ら広告することであるのであり得ない。それに徳島人は捕虜に扱いに慣れている。これは百年前に証明された事実である。

 留置所に行く途中に我が妹を拾う。妹は丁度庁舎の3階の会議室で明日の式次第のレクチャーを受けているところであった。妹を伴ったのはみどりさんの策であり、和田の供述が得られるだろうと思ったからであろう。ただ、気がかりであったのは妹の心が揺らがないかということである。恩人?であるという和田氏に再び会うことで、一度丹生谷になびいた彼女が、また裏切るのではないかと心配であったのである。

 留置所は丹生谷警察署の奥にあった。鉄格子の中には和田があぐらをかいて座っている。服はジャージに着替えられていた。上はかつて商工会がつくったという「I♡NIBUTANI」と書かれた白いTシャツの売れ残りを着せられていた。鉄格子にはペタペタと結界の札が貼られ、彼が術を使うのを防いでいた。

「やあ」彼は顔を上げて言った「いったい、どうするつもりかと思ったよ。取り調べもないままほっておかれるのかと」

「よく減らず口を叩けますね」みどりさんは言った「ご自身の立場がおわかりではないのかしら」

「無論わかっているよ」彼は言った「不当に監禁されて、僥倖というべきか美人の尋問をうけている」

 みどりさんは眉をひそめる。

「不当とは異なことを。あなたは法を犯して、そして監禁されているのです」

「僕は法を犯していないよ。それに、監禁するならもっとちゃんとしてほしい。自衛隊の捕虜はもっとマシな施設に収容しているそうじゃないか。僕をこんなところに閉じ込めるのは、良くないんじゃないかな」

「なにを勝手に」

「だってそうだろう、捕虜ならば、ジュネーブ条約の規定をうける。でも、僕は今、刑事犯のように留置されている。これはどう考えても不当だ」 

「あなたは不正規兵としての行動をとったのです。それにふさわしいのは刑事罰です。ですからこうやって拘留しているんです」

「なら、なぜ君が僕の処分を決めるんだい? 刑事罰なら、刑部省なんじゃないのかな? それをどうして君が。君は、兵部卿だというじゃないか」

 みどりさんは答えない。

「きみほど頭の良い人が矛盾に気づいていないはずはない。法によって僕を捕らえたと言いながら、そもそも行動が法と矛盾しているのではないかな」

「黙ってください!」みどりさんは叫んだ。「そもそもどうして刑部省や、私が兵部卿だと知っているのですか。これは公開していないはずです。それを知っていることこそ、間諜の証拠」

「会話を聞いていれば、君たちが律令制の官位を用いていることくらいわかるよ。それに、『熊野別当』たる僕が、古代中世の官位に不勉強だと思うのかな?」

「っ……!」

 みどりさんは口をつぐんでしまった。

 はて困ったと思い横を見れば、先程まで不安そうな表情で事態の推移を見守っていた我が妹が、前のめりになっていた。なにか言いたそうな表情だな、と思うと、案の定口を開いたのである。

「あの、和田さん…」千歌は言った「いったい、どうして東京の政府に味方しておいでなのですか。どうして内務省に籍をおいておいでなのですか」

「おや、さっきとうってかわってしおらしいじゃないか。どうしたんだい?」そして私の方を一瞥して言った「君も彼と同じ様に唆されたのかな?」

 唆されただと? 一体誰に、と思えばとなりでみどりさんが歯ぎしりしている。ああ、彼女へのあてつけだな、と思った。彼女に代わって私が文句を言ってやろうと思ったが、そのときには千歌が先に返していた。

「唆されるなんてとんでもない。私は東京の陛下は偉大であり、すばらしいお方であると思っております。しかし、ここ、丹生谷で帝に拝謁して直感したのです。この方こそが現人神であり、神国たる日本を総覧するにふさわしい方であると。ですからわたくしはここにお仕えすることにしたのです」

「なるほどね、なるほど……」和田はため息を付いた。

「今度はわたくしの質問に答えてください」千歌は言う「和田さん、あなたは熊野別当にして、南朝の遺臣でいらっしゃいます。しかし、東京の帝は北朝の子孫であらせられる。節を曲げて、どうして北朝に従っておいでなのですか。本来なら、我々のように、東京に対抗すべきではないのでしょうか」

「南朝の遺臣、などというのは過去の話だよ」和田は頭を振った。「確かに昔は僕も北朝に違和感を持っていたよ。我々南朝遺臣の気持ちは、明治帝の『南朝が正統』などと言う言葉で誤魔化されないし、それに北朝の末裔を崇め奉っている人々が、どうして大楠公などの後醍醐帝に使えた人々をありがたがるのか、その矛盾が気になって仕方なかった。だがそれも過去の話。いまや遺臣はいても、肝心の帝たるべき人はいない。自天王の子孫も西陣南帝の子孫も行方知れずだ。そんな中で南朝復興を叫んでも意味がないよ」

 自天王は南朝の再興を図った後南朝の指導者の一人で、系譜ははっきりしないものの、南朝の皇統の人物である。長禄の変で赤松氏の遺臣に殺害されている。西陣南帝とは南朝の皇胤であり、応仁の乱の最中西軍の山名宗全らによって擁立が図られた。山名宗全の死後は西軍より放擲され、行方知れずとなっている。

 つまり、南朝の皇胤は、いないのである。

「それはそうですが、しかし……」千歌は困り果てた顔をしている。しかしと言ったものの、返す言葉が見つからないようだ。

「ちょっといいですか」私が口を挟んだ。「今ので、どうして南朝を捨てたか、というのはわかりました。ですが、肝心の、どうして北朝の皇胤である東京政府に協力しているのか、ということが伝わってきません。反乱を起こさないということと、協力をするということは全く異なります。そこには、もしかしてプラスアルファで何かがあったのではないのですか」

「ほお……」和田は感心したようにつぶやいた「鋭い、実に鋭いね」

「なにかあるんですか」

「別に隠すことでもないし、話しても良いけれども」

「是非お願いします」

「来たんだよ、彼が」和田は言った。「自ら来た」

「来た、というのは。まさか……」

「そうだよ。今上自ら、お出ましになった」

 私はぽかんと口を開けて二の句が継げないでいる。千歌も同様だ。みどりさんは目を見開いている。

「今上が皇太子時代から登山やハイキングをしていたのは有名だろう。そしてその中で、熊野も訪れている。皇太子時代に2度、即位後1度」

「しかし、熊野は世界遺産にもなっている観光地でしょう。皇族が行っても不思議ではない……」

「いまではそうかもしれない。でも、今上の熊野詣は、皇族の参詣としては、実に771年ぶりのことだった。そしてその後2度にわたって熊野に来た。目的は単純明快、僕らを懐柔し、取り込むためだった」

「そんな簡単に……」

「もちろんそれだけではない。今上は、数々の山に登っている。その中には相当数の霊山、修験道なんかの行場も含まれていた。その根回しのかいあって、彼は、そして彼を推戴する東京政府は、全国の修験者の協力を得ることに成功した。吉野ですら、彼らに従うと言って、陰陽寮に人を送っているんだ。熊野だけ抗うわけにもいかないよ」

 語り終わった彼は、頬杖をついた。

「どうかな、答えになったかな?」

 予想外の人物の関与に唖然としていたわけであるが、しかし、答えぬわけにもいかない。つばをごくんと飲み込むと「あ、あらましはわかりました……」となんとか言った。

「うん、なら良かった」彼は言った。そして視線をみどりさんへと向けた「さて、さっきから君は何も話していないけれど、尋問の続きはどうするのかな?」

「あなたには心底失望しました」みどりさんは吐き捨てるように言った「何が熊野別当ですか。恥を知りなさい。湛増(源平合戦時の熊野別当)と同じ様に、やはり寝返りが得意なようですね」

「僕は君たちに協力した覚えはないけれども」和田はこともなげに言う。「まあ、数年前、君たちが協力を求めて熊野へ接触を図ってきてくれたときは助かったよ。諜報の手間が省けたというわけさ」

 みどりさんが顔を歪める。

 何か言おうとしたその時、背後で扉が開く音が聞こえた。

「なんですか!」みどりさんが振り返りつつ叱責じみた声で叫ぶ。

 はいってきたのは若い警官だった。弁当を持ってきている。

「ええと、消灯時間が近いものですから……」警官は怖気づきながら答える。

「ああ、もうそんな時間なんだね。どうだろう、今日はここで一旦終わって、また後日というのは」

 みどりさんは和田をにらめつけた。そして再び怖じ気づている警官に目をやった。みどりさんは深呼吸してから、やっと少し落ち着いた様子で言った。

「いいでしょう。わたしも神聖な儀式の前日を血で汚したくはありません」

「よかった」

「くれぐれも助かったなどと思わないようにしてください。裏切り者には相応の報いがあります」

「だからそもそもシンパじゃないんだけどなぁ……」

 そんなことをつぶやいている和田を尻目にし、警官に後をまかせて、我々は警察署を後にした。


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