第44話 参謀
みどりさんは言った。
「さて、少納言殿、明日の即位式にあたって画像の中継と記録をお願いするわけですが、もともとその係には本田外記をあてていました。先生が我々に味方してくれるということで、その芸術的才能をたのんで、本田外記の指導役をお願いしたく少納言としたわけです。本来なら位階のより低い内記の官職は解くのが筋です。ですが現在、他に人材がおらず、公文書を漢文で書ける人間が必要なのです。大変申し訳無いのですが、少納言の他にも内記を兼任したままにしておきたい。内記の官位相当は正六位上となりますが、位階は少納言に準じて従五位下となります」
「もちろん構いません」茅野さんは答える。
「よかった」みどりさんは今度は私に視線を向けた。「さて、中将殿。先程の配置図を見て気になったことはありませんか」
「ええと」私は突然の問いかけにどぎまぎしながら再び配置図を見た。「そ、そうですね、武官がやや多すぎるのではと」
「そのとおりです!」みどりさんはびしっと人差し指を立てた。「高級将校はほぼ全員ここに揃うことになります。その間の防衛をどうするかといったことを、考えなくてはなりません」
全くそのとおりである。儀式の間に攻められてはひとたまりもない。
みどりさんは部屋の棚から丸まった大きな紙を取り出した。それを机の上に広げる。丹生谷の地図である。
「防衛ラインは変わらず発電所の東のトンネル、西の県境は四ツ足峠、南北は国道193号線の峠です。ここに衛士を立たせ、儀式中も村内の寺社には結界護持の祈祷を続けさせましょう。ただし現場指揮を取れる人間がわたしもあなたもここにいることが問題です。かろうじて本田左衛門尉は出席者ではないため、東の防衛ラインを守ってもらいますが、彼は呪術が使えません。本来なら神祇官は即位式に参加しないのですが、なにぶん人材が不足しているため、参議・内弁として権大納言のサポートにまわり、事実上儀式の進行を統括することになっています。本当に前線に人がおらず、攻められては困るのです」
「しかももちろん即位式は中継するので、前線に将校がいないことは自衛隊も知っている」
「そうです。即位式の間、すなわち2時間の空白期間をなんとしても乗り越えなくてはなりません。良い案はないものか……」
「その件については心配ないわ」
ドアの方で声がした。見ると、やや長身の若い女性が立っている。年齢は20代中頃、髪はやや長い。この真夏なのに、軍服のようなオリーブ色のジャケットを着て、ネクタイを締め、右肩から胸の前にかけて飾緒を垂らし、ベレー帽をかぶっている。左目には片眼鏡をかけていた。
「宮様、心配には及びません。参謀本部……ではありませんでしたわ、衛門府では、緻密な計画を立てております」そしてみどりさんの後ろにいる茅野さんに視線を向けた。
「さきほどはありがとう。あなたのおかげて完璧な作戦を錬ることができたわ」
「いえ、私は何も……お役に立てて光栄です」茅野さんははにかみながら答えた。
「すいません、申し訳ないのですが、あなたは?」私は割って入る様に尋ねた。
「申し遅れました。わたくし、小野塚左衛門権佐優花里と申します。検非違使佐、左中弁、蔵人も兼ねております。以後お見知りおきを」
「薫さんからさっき聞きました」みどりさんが言う「参謀ですね。遠路はるばるご苦労さまです」
「ええ。なんとか自衛隊の包囲網をかいくぐって、昼過ぎにここにたどり着くことができました。そこで早速、左衛門督どのから、先の官職を頂き、作戦を練るように仰せつかっています」
左衛門督とは左衛門府の長官である。衛門府は衛士を管轄し、その長官は検非違使別当が兼ねるとされた。すなわち薫御前のことである。左衛門佐はその次官であり、左衛門権佐はその権官にあたり、これもまた検非違使佐を兼ねる。すなわち小野塚さんは衛門府の次官である。すると位階は従五位上となろうか。なおこれが弁官(太政官の下にあり各省の取りまとめ役)、五位蔵人(天皇の側近)を兼ねることを三事兼帯という。
「すると、明日の防衛計画はできたのでしょうか」みどりさんが聞く。
「ええ。明日のことはすでに手を打っています。そこの少納言どののご協力によって」
視線が茅野さんに注がれる。茅野さんは恥ずかしいのか顔を下に向けた。
「彼女から協力してくださいそうな人々のリストの提供がありました。これを活用して、明日の自衛隊の攻撃そのものを中止に追い込む事ができるというのが、わたくしの計算の答えです」
「そんなことが可能なのか!」私は思わず声を上げた。
「ええ。計算上、95%の確率で、明日自衛隊は攻撃してきません」
「一体どういう作戦なのですか」みどりさんは尋ねた。
「申し訳ないですが、それはここでは開かせません。諜報上の理由です」
「どんな作戦かわからないと安心できないし、その残りの5%のための策も立てられないのですが」
「ご心配には及びません」小野塚さんは言った。そして机の上を一瞥して続けた「それも含めて、作戦は立ててあります」
そしてポケットからチェスのコマを取り出した。それを地図の上に並べていく。国境を防衛する衛士らの配置図である。発電所の防衛に人員を割くほかは、自衛隊の布陣する東側の兵数は少ない。かえって、みどりさんの案にはなかった丹生谷ダム周囲への配置がみられた。
「ちょっと待ってください」みどりさんは言った「兵部卿は私です。作戦を承認するのは私であるはずです。作戦の大概もわからないのに、わざわざ東側を脆弱にするなんて、認められません」
「そこが狙い目です」小野塚さんは言う。「わたくしの計算がもし、万が一外れ、不幸にも儀式の最中に自衛隊の攻撃が始まったとしましょう。自衛隊はおそらく真正面の、そして最も防備の薄い東から攻めるでしょう。本日のように」
「当たり前です」
「そこで役に立つのがこのダムです。かのファラオの誇った軍隊も、水の前には敗れ去りました。わたくしたちは、水攻めという手段を持っているのです。自衛隊が不埒にも明日の祝いの席を邪魔するというのでしたら、それ相応の報いを受けていただきましょう」
「まずもって認められない! そんな楽観的でかつ非人道的な案を、兵部省は受け入れられません!」
「宮様、作戦を決定し、兵を指揮するのは、兵部省ではありません。衛門府です」
「なんですって」
「戦争遂行に必要なのは意志の統一です。今の丹生谷ではそれができておりません。兵部省、検非違使、近衛府、衛門府。それぞれが独立しておりました。軍制改革が必要です。陛下の身辺警備はひきつづき近衛府の管轄といたしますが、衛士、すなわち一般兵士を管轄、指揮し、軍令を採決するのは衛門府の仕事といたします」
「誰の許可があってそんな」
「左衛門督どのですわ」
軍事指揮権の統一は薫御前も望むところであった。検非違使別当、すなわち左衛門督であった彼女が自身のものに権力が集中するような軍制改革を承認するのは当たり前である。
みどりさんはぷるぷると震え、怒りを堪えていた。
小野塚さんは、そんなみどりさんの様子も意に介さず、同じ調子で話し続けた。「軍政は引き続き兵部省の管轄です。捕虜の処遇も」ちょっと考えるような素振りがあって「捕虜と言いましたら、そういえばどうなさるおつもりなのか、左衛門督が気にしておいででしたよ。例の内務省の間諜を」
みどりさんは彼女を睨んだ
「それがあなたに何の関係があるっていうんですか」
「いいえ。関係ありませんわ。それは軍政の問題ですから」そしてふふっと笑った。「同じ様に、軍令はわたくしたちの領分。口を出さないでいただけますかしら」
みどりさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。そんな彼女の気持ちに目もくれず、小野塚さんは「それではまた」とだけ言うと、部屋を立ち去った。
今回から、難読字のふりがなをここに書きます。間違いなどあればご指摘ください。
小野塚優花里 おのづか・ゆかり
中務省 なかのつかさしょう
衛門府 えもんふ
左衛門督 さえもんのじょう
左衛門佐 さえもんのすけ
左衛門権佐 さえもんごんのすけ
左衛門尉 さえもんのじょう




