第41話 政庁
さて、話を丹生谷陣営へと戻そう。
太政官のおかれた政庁――すなわち旧村役場、現在の支庁に赴いた我々は、とりあえず現在進行中の朝議が終わるのを待たされた。昇殿直後であり遅れたため参加できなかった美嘉は規模的には朝議というより町議ではないのかなどと皮肉を言っていたが、実際の規模はそのとおりである。太政官のメンバーと主上による御前会議であるわけだから、自ずと面々は限られる。ちなみに太政官のメンバーは先に紹介したとおりであり、この時はまだ左大臣は空席であった。すなわち政府首班は右大臣である入道殿ということである。なおそれ以下の少納言局はぷちれもん先生以下有識人を配置、左右弁官局(八省を統括含む)には中務省および宮内省以外の六省には那賀町丹生谷支庁の役人を配していた。
我々は日が沈むまで待たされた。前元号の後半に建てられた庁舎らしく、今度の部屋にはクーラーはきちんとあった。昨日私の軟禁された扇風機だけの部屋はなんだったのか。いやがらせだろうか。
本田外記はただ待っていても暇でしょうと言うと、何処かへと出ていった。10分後、戻って来た彼はぷちれもん先生=青柳茅野さんを連れていた。
「水澤さん、素晴らしい戦果を挙げたそうですね」彼女は言った「そしてそちらが今、話のあった妹さんですか」
「ええ、まあ恐縮です」私は言った。過大に話題が大きくなっている可能性がある。実際私は何もしていないわけである。
「お兄さま、この方は?」その妹が声を発言した。
「お兄さま!!」茅野さんは声を上げた。「そんな呼び方をする人が実在するとは!」
茅野さんはハァハァと荒い呼吸をしている。千歌はそれをみて後じさった。
「茅野さん?」私は声をかける。
「ハァハァ、失礼しました、じゅるり」茅野さんは口元を拭った。「私は漫画家で、青柳茅野といいます」
「漫画家さん、ですか」千歌は怪訝な目を向けている。
「ええ、ペンネームはぷちれもんといいまして」
「ぷちれもん……」千歌はすこし考えたあと、声を上げた。「ああ、思い出しました。お兄さまのベッドのしたに置かれていた、漫画の作者さんですね!」
そうそう、彼女はそういった漫画の作者なのだ……ちょっと待て。
「お前、ベッドの下を見たのか?!」
「ええ、お兄さまの部屋に入って……」
「なんで僕の部屋にはいった」私は言った。
「もちろん掃除のためですわ!」千歌はズバリ言った。「そしてお兄さまに変な虫がついていないか監視するためです。実家に預けている合鍵を使って下宿にははいっていました」
時たま床に転がっていたはずのペットボトルが片付けられていたのはそのせいなのか。
「そのときベッドの下にたくさん本が置かれているのを見つけたのです」
ああ、見つけなくていいものを! 妹モノを持っていなかったことが唯一の幸いであろう。
「あと、何でしょう、栗の花というか、生のイカのような匂いもしましたかしら? お兄さま、いつからイカがお好きになったのかしらと思いました」
もうやめて! 美嘉も口元を扇で隠してにやつくのをやめろ。
ふと見ると、本田外記も顔を真赤にしている。彼も同じように本を隠しているのだろうか。そして茅野さんといえばまた先程の顔となり虚ろな目でよだれを垂らしている。「ブラコン……えへえへ」などと呟いている。
「なあ、千歌」私は震える手で額を抑えながら言った「その話はそのへんにしておこう。いまはぷちれもん先生の紹介中だから」
「そうでしたわね」千歌は素直に聞き入れた。
「さて、茅野さん」私は未だに自分の世界に入り込んでいる茅野さんに呼びかけた。「お話の続きを」
茅野さんは呼びかけで再度正気に戻った。「またも失礼……。ええ、外記殿から話は聞きました。貴女が声優をしてくれるということですね」
「ええ、そういう事になりました」
「ではまず、我々のメディア戦略について、宣伝担当の本田外記殿から説明してもらいましょう。よろしく、ゲッベルスくん」
「誰がゲッベルスですか」本田外記はそう言いながらノートパソコンを取り出した。画面には某SNSの画面が開かれている。
「これはt○itter……そして今開いているのは丹生谷王朝の公式アカウントですか?」私が聞いた。
「ええ。主に声明文や、丹生谷の自然、それから主上のお写真を掲載しています。フォロワーは20万人を超えています。他にいくつかの宣伝用アカウントも持っていましたが、3つが当局の要請で凍結されました。今のアカウントもいつBAN(凍結)されるかわからないので、サブアカウントを用意しています」
そしてパソコンを操作した。
「そしてこちらがYoutubeです。音楽や映像での宣伝も功を奏してチャンネル登録が10万人を超えました。そこで我々は宣伝のための新兵器を投入することに決定したのです」
「それがCGのキャラクター……つまりVtuberというわけですか?」
「そうです。Vtuberは今やNHKに出るほど国民に広く知られた概念です。それを使わない手はないでしょう」
「キャラクターデザインは私がしました」茅野さんは言った。「名前は丹生すめら。14歳くらいの設定です」
「その声を私が担当するんですね」千歌は言う。「なんだかドキドキしてまいりました」
「モデルはもうできていて、動画もすぐに作れます。初回配信は明日の予定です」
「明日、ですか」
「そうや」そこでそれまで黙ってやり取りを聞いていた美嘉が発言した。「明日の戴冠式に合わせて初回動画は配信する、そういう予定です。まず解説役で、キャラクターには出てもらいます」
「やけに詳しいですね」千歌が訝しげに聞く。
「そうや、明日の戴冠式は神祇伯のうちがおらんと進まんからな。動画サイトでの中継の段取りも相談を受けとる」
そして美嘉は立ち上がった「少納言どの、よろしゅう頼んます。中継のディレクターは中納言どのの仕事や。世界に丹生谷の威光を、示してくれなはれ」
「言われずとも。リーフェンシュタールを超える仕事をしましょう。ねえ、ゲッベルスくん」茅野さんは言う。
「だからゲッベルスじゃありません」
「まあとにかく」美嘉は再び腰掛けた。「今は内で外で大忙しや。そんな中少しでもメンバーが増えるんはありがたいことや。千歌はん」
「なんですか。軽々しく呼ばないでください」
「まあ、そんなに睨まんでも。持ってくるさかい、起請文に名前を書くように」
「起請文?」
「決起文のことや。なんや、書いとらんかったんか?」
「まだそんなもの見てないぞ」
「皇女はんはもって来んかったんか」美嘉はため息を付いた。「まあでもここまで入れこんで知らんぷりもできんやろ。一揆の参加者は昔から連帯のため署名しとる。参加する覚悟がある以上書かんのは、よくないやろ」
「僕も署名しています」本田外記が言う。
「私も先程。官位を授かったものは連帯責任であると言われました」茅野さんが言う。
なら仕方ない。私も署名をしよう。もちろん千歌も一緒である。
美嘉は席を立つと、一旦部屋から出いった。ほどなくして、紙の束を抱えて帰ってきた。
「これが起請文や」
見るとA4ほどの大きさの紙である。熊野牛王符の裏に昨日の決起文、そしてその後に連座する人々の署名があった。かつての一揆の起請文と似た様式である。薫御前、そしてみどりさんらの署名がある。入道殿のはないのかと聞くと、「これや」と指さした。久保某と書かれている。聞けば薫御前とは叔父、姪の関係であるという。初めて知った。
「さて、そんなことより署名や」
美嘉は言って我々に筆を渡してきた。私は紙の2枚目に署名した。千歌もそれに続いた。
署名が終わったころ、にわかに外が騒がしくなった。しばらくしてドアが開いてみどりさんが入ってきた。ちょうど、朝議が終わったのだ。
「太政官は日本国憲法の停止と内乱突入を正式に宣言しました」部屋にいるメンバーを見回すと、みどりさんははじめに言った「東京側では『丹生谷騒乱』だの『八四事変』と呼んでいるようですが、我々の側でも呼び方を決めねばなりません。討議の末、『興徳の御一新』と呼ぶことに決定しました」
興徳の御一新。なんだか仰々しいが、勝つつもりならこれくらいでなくてはならない。
「この御一新の威光を天下に広く示す必要があります。そして攻め寄せる敵を粉砕する。この方針を再確認しています。自衛隊が責め立てる限り、東京政府が屈するまで、我々は闘争を継続します」
みどりさんは右手で拳を作った。そして続ける。
「もちろん武力だけが解決手段ではありません。治部省では引き続き外交戦略でわが政権が正統政府であることを諸国に訴え続けていくことも再確認しています。また国内のシンパを拡大し、敵の内側からも揺さぶりをかける作戦も、功を奏しつつあることが確認されました。少納言局のおかげです」
本田外記が頷いた。そのことがどうやら報告に登っていたらしい。
「ただ、悲しい知らせもあります。治部卿からの連絡ではシンパの中に逮捕者が出たという話です」
「逮捕者が?」
「ええ。外記どの。東京の古書店に広告を出しましたよね?」
「そうです」
「我々は『勤務地:丹生谷』という求人広告を秋葉原のとある古書店に張り出しました。それが官憲の目に止まったようです。その古書店は家宅捜索を受け、実際に応募しようとした大学生が事情聴取を受けていると」
「あちゃー」
「さらに悪いことに、大蔵省からの情報では、我々が資金源としている会社も次々と摘発される可能性があります」
「資金源?」
「そうです。我々はこの反乱に必要な資金を用意するためにありとあらゆることをしました。合法、非合法……まあこの反乱じたいが非合法であるからその区別はあまり意味をなしませんが。我々は周到に準備を重ねてきたのです。その一つが資金源となる会社の確保でした。我々の軍資金としてその利益を上納させる組織をつくったのです」
ヤクザか〇〇◯連じゃねえか。それとも…
「それが摘発されそうになっています。流石に放射線を除去する『コスモクリーナー』や、甲状腺がんを治す水素水などはやりすぎたようです。薬事法違反などで、消費者庁の査察が入りかけています」
「そりゃそうだ。さすがにそれなら消費者庁も動く……」私は言った「いやまて、消費者庁といえば……」
「さて、報告はこれくらいにして」みどりさんは遮るように言った「神祇伯どの、明日の打ち合わせをしましょう。戴冠式のことを」
そう言ってふと部屋の中の机に視線をやった。机の上に置かれた紙の束をに気づいた。
「これは?」
「起請文です」美嘉は言った。「二人に署名してもらいました」
みどりさんの額に皺が寄る。右の目尻を痙攣させた。だがそれについてそれ以上は追求しなかった。みどりさんは踵を返すと、部屋の入口まで戻った。
「神祇伯どの、ついてきてください。主上がお待ちです」
「そうどすか」美嘉は頷いた。「では、まいりましょうか」
みどりさんと美嘉は部屋を後にした。後には我々兄妹と、ぷちれもん先生、本田外記が残されたのであった。




