第38話 写真
さて、ちょうど千歌が回心する旨を述べたときのことである。政庁のある方から、国道を一台の自転車が走ってくるのが見えた。乗っているのはおそらくは中学生、上を見積もっても高校1年生くらいに見える少年である。彼は自転車を神社の階段下に停めると、階段を登っていった。丸い眼鏡をかけており、ややボリュームのある髪は無造作で梳かされていない。腕に『報道』と書かれた腕章をつけ、カメラを首から下げていた。
私と千歌は首を傾げた。なんだろうかと思っていると、しばらくして聞こえてくる祝詞が終わった。ほどなく、美嘉の先導で主上が降りてくる。先程の少年も付き従っていた。
一団に、千歌が駆け寄る。そして主上の前に進み出ると、片膝をついた。主上は立ち止まる。主上は御年10歳、千歌は高校生である。千歌は首を垂れている。
「陛下、ご無礼をお許しください。陛下にお仕えしとうございます」
「この者はどなたですか」主上は尋ねる。
「臣が妹、水澤千歌でございます」私が進み出て言った。
「水澤殿の妹君ですか」
「そうです。兄を追ってここへ参りました」
「顔を上げてください」主上は言った。千歌は顔を上げる。目線が水平となる。主上は微笑んでいた。「それはほんとうにありがたいことです。人手は多い方がいい。朕は自らやってくるものを拒みません。神祇伯殿、相談に乗って上げてください」
「御意」美嘉が頭を下げた。
「この身に代えてでも、陛下をお守りいたします」千歌が言う。
「頼もしい限りです。仕えてくれる人には、礼をしなくてはならない、そう朕は思っています」
そう言うと主上は手を首の後ろに回した。そして御自ら髪を解き、それを束ねていたリボンを千歌に下賜した。美しい黒髪が広がる。
「あいにく今はこれくらいしか持ち合わせがありません。いずれはきちんとした礼をしたいですが、いまのところはこれを朕の形見と思ってくだされば」
「そんな畏れ多い!」千歌は赤面した。
「千歌殿、主上からの下賜です。ありがたく頂きなさい」美嘉は言う。
千歌は震えながらそのリボンを受け取った。そしてそれをしげしげと見つめて、ぎゅっと胸に抱くと今度は顔を上げて、叫ぶように宣言する。
「臣、水澤千歌、陛下のためにこの身を尽くします!」
「ありがとうございます。それではまた」そういうと主上は黒塗りの高級車の方へと歩いて行った。
千歌はそれを見送りながら右手でリボンを握りしめ涙を流していた。ほどなくして車は発信し、政庁の方へと走り去った。
「さてと、やけど」車が見えなくなると、美嘉はため息をつくように言った「どういうことや? こないな短時間で、あんなにまで転向しはったんや」
「貴女のような日和見主義的な愉快犯にはきっとわかりませんわ」千歌は涙をぬぐってから、こんどは睨むような視線をなげかけた。「私の考えは変わってはいません。天皇陛下のために生き、天皇陛下のために死ぬ。それだけです」
「へえ。あん方がほんもんの天皇やと、認めはったいうことどすな」
「そうです。あの方こそ天孫の血を引くもの、そう確信したのです」
「へえ、まあええわ。それは置いといてや。もう一つ気になるんは」美嘉は視線を神社の石段の方へとむけた。「さっきからそこでなにしてるんや。あんさん誰や」
美嘉の視線の先にいたのは先ほど自転車で登場した少年であった。先ほど、千歌が跪いたときから、その写真を手持ちの一眼で撮っていたのである。前髪が伸びていて目元はよく見えなかったが、美嘉の問いかけに慌てているように見えた。
「それにさっき主上が参拝してはるときも写真とってたやろ」
「こ、これはですね」彼はどもりながら答えた「少納言どのからの命令でして……」
「少納言どの?……ああ、あん漫画家の先生か」美嘉が言った。
もちろんこの漫画家とは青柳茅野さんのことである。彼女は先に内記に任じられていたが、あとで確認したところによると、その能力を評価され、太政官の事務局にあたる少納言の官職を賜ったという。なお他に漢文を書ける人間がいないので内記の役職も据え置きである。
「で、あんたの名前は?」
「本田……輝義」
「本田……? ああ、本田左衛門尉の弟はん?」
「そ、そうです」
「少納言局いうことは、あんさんは外記いうことでええか?」
「そうです。小外記……正七位を貰いました……」
「ほうか。ほんで、本田外記はん、一体写真を撮って、どうしはるんや?」
「少納言どのからの命令で……その、主上の政務をSNSでアピールすると」
「SNSで?」私が口を挟んだ。「アピールって、つまり……」
「そうです。少しでも内外にシンパを作るようにと……」
実情は以下の通りである。
すなわち丹生谷政権は政権基盤がきわめて貧弱であり、人も足りない。そればかりか今や逆賊として自衛隊に討伐されている。そこでインターネットを用いた宣伝活動を展開して国民に我らが政権の正しさを伝える。そのために主上の愛らしいお姿も利用させていただくという寸法である。
残念ながら二官八省に国民啓蒙宣伝省などといったものはないので、代わりに少納言局がその仕事を押し付けられている。本来なら治部省あたりが妥当だろうが、そこはいま別のことで忙しいらしい。すでに終戦工作をはじめていたという噂もあり、関東と何らかの交渉を行っていたのかもしれない。もしくは自身を正当な政府と諸外国に承認させるための根回しを行っていたという説もある。ただもちろん丹生谷政権の国家承認要請をほぼ全ての国連加盟国は黙殺した。わざわざ拒否の返事を返してくれたのは、北朝鮮とナウルの二カ国だけであった。他には、満州国の後継者を名乗る政治団体は頼んでもないのにこちらを国家承認しない声明を出していた。ついでに言うと書簡を送ったISILとボコ・ハラムからは宣戦布告を受けた。結局経済協力を対価として、最後まで国家承認のための交渉を続けてくれたのは沿ドニエストル共和国とシーランド公国だけであったというが、そんな経済支援の財源的基盤なのないのだから、おそらくこの噂は嘘であろう。
ともかく、こういった状態であり自国政府もふくめまともに取り合ってくれないのであるから(いや、自国政府は討伐軍を差し向けるからまだマシな対応だろうが)、草の根作戦に変更せざるを得ない。SNSや動画投稿サイトで国内外にアピールを行い、世論をこちら側に傾け、場合によってはシンパや戦闘員を確保する。そういう訳である。
「そういうことなので、主上のお写真をSNSにアップしています。先程の写真もです」
「先程の、って」千歌が青ざめながら言った「もしやわたくしの写真まで上げるおつもりではないでしょうね?」
「ええと……主上に忠誠を誓うところは、良い宣伝になるかな、と」
「絶対お断りです!」千歌はいった。「わたくしは陛下に命を捧げますが、肖像権はあります。それに、実の顔がネットにさらされるなんてわたくしは我慢できません。陛下のような愛らしいお方ならともかく、私のような顔がネットに晒されたら、慰みものになって終わるだけです。きっと妙なコラ画像のネタにされるに違いありません!」
「まあ、そこまで言わはんでも……」美嘉が言う。
「そうそう、それに、ネット配信を自分でしていたじゃないか」私は、千歌がSNSと連携したラジオ配信をしていたことを指摘した。千歌はSNSアカウントを教えてはいないが、毎回登る山をメールで連絡してくる。それと同じ日に同じ山の写真を上げているアニメ+日の丸アイコンのSNSアカウントがあったので、特定は容易であった。
千歌は血の気の引いた顔でこちらを見た。「お、お兄様、どこでそれを……」
「いや、毎晩やってたじゃないか。『ちかちゃんの☆愛国☆放そ……」
「わぁぁぁぁ!」千歌は私の声をかき消すように叫んだ。両手を振り回して私の口からすでに出た音波そのものもかき消そうとしている。そして叫んだ後、息を整えて続けた。
「いいですか、声は仕方ありませんが、SNSで顔を晒していいのは学者芸能人政治家のほかは、パリピやDQNやリア充だけです。出身中学→出身高校なんて書いて『ヤバ』『ウケる』とかいった語彙で会話をしている人々だけです。わたくしはけっして顔をネットにはさらさないと決めているのです!」
押し問答の末、私達を背後から撮影しており、主上の顔は見えるが、千歌は背中のみで顔は写っていない写真で妥協することとなった。ピントも主上の顔にあっており、千歌はややぼやけて見える。これが結局は良かったことになるのだが、それはまた別の話である。
「さて、ほかにも動画を上げていると言ってはったけど」
「そ、そうです。これまでに丹生谷のPVを募兵動画をいくつか上げましたが、反応はもう一つで。だから、今度は流行に合わせたと言うか、そういうPVを作ろうと思っています」
「流行?」
「ええ、CGのキャラクターをアニメーションで動かして、それに声を付けて丹生谷について宣伝、解説してもらおうと思っています。CGのモデルは少納言どののおかげもありすぐできましたが、肝心の声優が……」
そこまで言ったときふと何かに気づいたらしい。千歌の方をちらりと見た。
千歌の方でもその視線に気づいた。そしてその意味するところもすぐ理解できた様子である。
「し、しかたないですわね」千歌は言う。「そこまで言うなら、声ぐらいなら、貸してあげても……」
「いや僕まだ何も言ってないけど」本田外記がつぶやく。
「ではしなくていいんですか」
「い、いえ、是非お願いします」少年は頭を下げて言った。
「さて、皆さんがた」美嘉は言った。「話も一旦落ち着いたことやし、一旦場所を変えましょう。動画のこともやけど、この子の職も決めなあかん。まずは一旦役場や」
そう言うと私が何も言う前から、私が運転してきた車の助手席に乗り込み始めた。自然な流れで、千歌と本田外記も乗る。私が、やはり運転は自分かとため息を付いて、乗り込んだのであった。
ラジオ放送=ツイキャス
CGキャラの出るPV=Vtuber




