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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第3日 8月5日
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第34話 神判

 十二権現――それは丹生谷随一の古社であり、延喜式にその名を認める由緒ある神社である。海神や熊野権現を祀っており、古くからこの地の人々より崇められ、守られてきた。

 そしてそれは我々と和田氏――正確に言えば彼の式神――が戦った場所であった。

 神を証人として尋問を執り行い、被疑者の発言が真であることを神に誓わせ、そして正義を下す。まことに神社というのは前近代的な取り調べや裁判を執り行うには適切な場所である。

 車を走らせ、たどり着いたとき、神社の境内にはすでに天幕が張られていた。我々が中に踏み込むと、中にいたのは後手を縛られ跪かされた和田氏と、久保検非違使別当、そして斎部美嘉であった。他に守衛がいくらか。

 みどりさんは尋ねた「もう尋問は始めているのですか」

「そうです、殿下」検非違使別当は答えた。「ですがこやつは答えるつもりはないようです。逃げ出す恐れもある。すぐにでも切り捨てるのも手かと」

「切り捨てる!」千歌が声を上げた。

「その者は?」薫御前が聞く。

「私の妹です」私が言う。「その…太龍寺で出会いました。私を追いかけてきたようで」

 彼女は千歌をまじまじと見つめる。後ろから美嘉も覗いている。そして何か気づいたように、ああ、と頷いた。

 和田氏も我が妹の声を聞いて振り返った。数秒間、見つめていた。そして顔を元のように正面に戻す。

「いくらなんでも、裁判もせずに死刑というのはいかがなものかと」みどりさんは言った。

「殿下もご存知のはず、彼は戦闘員ではありません。帯刀した文官、非正規兵、ゲリラ、スパイなのです。裁判を受ける権利はありません。即刻死刑でも良いくらいです」

「彼を捕えたのは私です。彼の処遇を決めるのは、私に任せてもらえませんか?」

「しかし殿下、罪人の処罰は検非違使の役割です。私に彼を処す権利があります」

「そんな法がどこにありますか。そもそも検非違使が司法権を握っているのも刑部省が未設置で、刑部卿も判事もいないからでしょう。法律もまだ整備されていないのに、彼を断罪するなどということができましょうか」

「彼がスパイであるのは明白です。国際法規を考えても、仮に内乱罪を適応するとしても、死刑は妥当と思われます」

「まあまあお二人さん、おちつきなはれ」そこで美嘉が発言した。「殿下のおっしゃることも、検非違使別当はんのおっしゃることも一理ある。そしたらどうどす、神に判断を委ねるいうんは?」

「神に?」

「ええ、熊野権現に誓い、彼の処遇をどちらに委ねるか、決めるんどす」

 神明裁判! なんと全時代的な響きであるか!

 念のため断っておくが、平安時代といえど、裁判は別に神社で神意を尋ねていたわけではない。判決を下すのは人間である。まるで上代のごとく神社で神意を尋ねているのは、泥縄式にポストを増やしても役職も人も足りず、東京政府と絶賛戦争中であり法整備まで手が回っていない、丹生谷政権の特殊事情によるものであったことを付記しておきたい。この裁判の後、みどりさんの指摘を受けて薫御前は刑部卿に任命さるという泥縄式人事が行われているが、今後もし裁判が行われるとすれば、判決は刑部卿ではなくやはり検非違使別当の職能となろう。なぜなら平安時代末期においては本来刑部省が有していた司法権は検非違使が奪い取っていたわけだし、刑部省も有名無実化していたわけなのである。


 話がそれた。和田の尋問に戻る。


 もちろん、通常なら神意による裁判など断るだろう。しかしここは丹生谷である。

「私はそれで構いません」みどりさんは言う。

 薫御前もはじめ嫌な顔をしていたが、ため息を付いて首を縦に振った。「わかった。ですが、神に尋ねる内容は、こちらで決めさせていただきます」

「判決の一方が、私へ彼の身柄を預ける、というのであれば構いません」

「わかりました」薫御前は言った「では裁判を執り行う。神祇伯、準備を」

「かしこまりました」

 神祇伯が指示すると、小枝ほどの薪が持ってこられた。それを地面に積み重ねていく。最後に着火剤をとりだし、火をつけた。火は薪に燃え広がり、小さな焚き火となった。

 そして彼女は長さ30cmほどの鉄の棒と、長いトングを取り出した。

「美嘉、一体何をするつもりだ」私は思わず尋ねた。

「無論神意を尋ねるんよ」美嘉は鉄を火にくべながら答えた「鉄火起請(てっかきしょう)や」

 鉄火起請――それは盟神探湯(くがたち)と並んで有名な神明裁判の一つである。焼けただれた鉄の棒を手でつかみ、神殿まで運ぶ。通常は二者の争いにおいて用いられ、より火傷の程度が軽いほうが勝訴とされた。だが今回は少し違う。鉄の棒を運ぶのはみどりさんと薫御前ではない。被告である、和田某自身なのである。

「火傷があれば罪は許しがたく、検非違使及び太政官の何おいて即刻断罪する。だが、万が一、火傷がなかった場合は、身柄を宮様に預ける」

 極めてシビアな条件である。ほとんど不可能ではないか。

 だがみどりさんはその条件に文句を言わない。頷いただけだった。

「では、今よりこのスパイの処遇に対して、神意を問う」

 美嘉が前に進み出る。彼女に促され、皆拝殿に向かい頭を垂れる形になる。彼女は祓詞(はらえことば)をあげる。つまり以下の如き祝詞を上げたわけである。


掛介麻久母畏伎(かけまくもかしこき) 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)

筑紫乃日向乃(つくしのひむかの) 橘小戸乃阿波岐原爾御たちばなのをどのあはぎはらに

禊祓閉給比志時爾(みそぎはらへたまひしときに) 生里坐世留祓戸乃大神等(なりませるはらへどのおおかみたち)

諸乃禍事罪穢(もろもろのまがことつみけがれ) 有良牟乎婆(あらむをば)

祓閉給比清米給閉登(はらえたまひきよめたまえと) 白須事乎聞食世登(まをすことをきこしめせと)

恐美恐美母白須(かしこみかしこみもまをす)


 祝詞を上げ終わった彼女は大幣(おおぬさ)を頭上にふるった。これで我々の現世の罪は祓われ、神の前に進み出る事ができる。残念ながら被告の罪はまだ残っている。

 ついで被告の処遇について、神による判決を乞うこと述べた祝詞奏上。これはややこしいし、正確な文面も覚えてはいないので割愛する。

「では頭をお上げになってください」美嘉が言った「確認、させていただきます。被告」扇で和田某を指さした「名前を言うてください」

和田博行(わだひろゆき)」これが彼の発するはじめての言葉だった。

 そして今度は薫御前が前に進み出て、起訴状を読み上げた。起訴状は熊野牛王符の裏に、やけに古めかしい漢文訓読体で書かれていた。その文面は覚えてはいないが、内容は理解できる。すなわち彼は東京政府のスパイであり、丹生谷政権に対する破壊工作を目論んだとして、太政官の名で告訴する形式をとっていた。彼の手が焼ければ処刑、無事なら身柄を一旦宮様預かりとするということが述べられた。

 次いで刑吏により彼の縄が解かれる。逃げ出さないように、後ろからは別の者が銃口を向けている。彼は手のひらを上にして手を出した。その手の上に一枚の紙が載せられる。熊野牛王符であった。

「今から鉄火起請を執り行う。その前に、何か言いたいことはあるか?」薫御前は尋ねた。

「南無観世音菩薩。オン・アロリキャ・ソワカ」彼は呟いた。

「祈りか」薫御前は冷笑するように言った「だが今からどうやって助けられるか。仏といえど、いまさら。貴様の得意の刀があるなら話は別だろうが」

「どうだろうね」彼はふふっと笑った。「今君たちは知るだろうね。神仏は僕を救うのに、刀剣の類は用いないよ」

 薫さんは眉を吊り上げた。「早く神判を!」彼女は美嘉に言う。

 美嘉は顔色を変えない。トングを火の中に、突っ込み、赤く焼けた鉄の棒を取り出した。そしてそれを――ほとんどなんのためらいもなく――和田の手に載せた。

 思わず目を閉じた。後ろでバタンと音がする。振り返ると妹がショックのあまり卒倒していた。彼女を抱き起こしながら、視線を再び和田の方に戻す。

 そして私はわが目を疑った。信じがたい光景が、目の前にあったからである。

 和田は両掌に鉄の棒を載せていた。彼は神殿前の祭壇へと歩んでいる。顔色一つ変えていない。そして我々の見る前で、鉄の棒を祭壇の三方に乗せる。三方はじゅーっと湯気を上げた。

彼は私達の方へ向き直る。そしてその両掌をこちらへ開けてみせる。

 そこには、火傷の痕はなかった。

 私達はしばらく唖然としていた。薫御前も、目を見開いて、何も言えずにいる。

 静寂を破ったのは、美嘉であった。

「神判は下った。彼の身柄は、宮様のものどす」そして薫御前に向き直る「裁判は終わりました。最後に玉串を奉納して、終わりやしましょう」

「え、あ、そ、そうだな」薫御前は我に返った。未だに判決が信じられぬという風であるが、神判は神判である。受け入れざるを得ない。

 彼女は美嘉の用意した玉串を受け取ると、それを神殿へと収める。そして二礼二拍手一礼。我々もそれに合わせ頭を下げる。

 こうして丹生谷初の裁判――神明裁判は終わりを告げるのである。


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