第26話 初陣
4機のヘリコプターに分乗した一個小隊は、八月五日午前十時過ぎ、那賀川にかかる霧の中へ突入した。
操縦士の証言によれば、そこでレーダーやGPSが使えなくなったらしい。視界はほとんどない。ただこれらは先に突入を試みた地元警察やテレビ局のヘリから得られた情報であったため、四機は互いの接触を避けるため間隔をとっていた。
そこで隊員の一人が不思議なものを見たという。突如霧の奥に巨大な人物の影が浮かび上がったという。それは憤怒の表情であり、右手に剣、左手には綱を持っていた。背後には炎が燃え上がる様子が見えたそうである。
お分かりであるとは思うが、このとき隊員が見たのは不動明王に他ならなかった。戦場となった近くの水力発電所は聖別されており、そのタービンにはいつの間にか不動明王の真言が書き加えられていたという。この不動明王自体は昨日みどりさんが勧請したものであるというが、その維持は丹生谷全域で行われる加持祈祷やこのマニ車タービンによって行われたのである。
だがそれは心理的効果以上のものを持たなかった。その姿はまたたく間に消え去った。
そして結界も同様であった。ヘリコプターは結局霧を突破した。地面に足のついたものはともかく、空を飛ぶものを遮るのは困難であったのだ。守備範囲の広さに対し祈祷に割ける人員は僅かであった。陸路を守るのに手一杯であり、しかもその力を東にだけ傾注するわけにもいかなかった。高知県香美市に駐屯する陸上自衛隊第50普通科連隊が国道195号線を東進しつつあるという未確認情報がもたらされていたからである。すでに県境の四ツ足峠のトンネルは爆破していたが、もちろんそれだけで侵入を防ぐことができるわけではない。
だからこそ、といったほうが良いだろうか。近づきつつあるヘリコプターを前にして、結界は道を開けた。これも作戦のうちであった。どうせ跳ね返すことができぬと言うなら、自陣深く誘い込めば良い。
霧を抜けた4機のヘリコプターは、山と山の間を縦列を成し、川を遡るように進んだ。すぐさま発電所近くの河原に兵員を下ろすスペースを見つけると、順次兵員をロープで降下させた。はじめに兵員を降下させたヘリは進路を西に取った。これが我々の頭上に現れビラをばらまいたヘリコプターである。
それ以外のヘリは順次前線を離脱し再び霧を抜けて引き返そうとする。丁度4機目が兵員を降ろし終えたとき異変が起きた。
隊員たちは揃って証言する。風を切るようなヒューッという音を聞いたと。そしてある者は見た。川上より雲霞の如く騎馬武者の軍勢が水の上を書けて来る姿を。そしてある者は覚えていた。その旗印が、揚羽蝶であったことを。
交戦規則に則り部隊は応戦した。だが弾は川面に水しぶきを上げるだけであり、その平家武者らの突進を止めることはできなかった。
ある者は突っ込んできた武者に弓で射られた、と証言する。F1曹は射撃で応戦していたが騎馬に続いて突っ込んできた歩兵の薙刀に切られたという。彼らはそのまま意識を失った。
小隊長は撤退を決定した。通信が叶わぬ中、信号弾を打ち上げさせると、ヘリコプターは撤収のため順次降下してきた。それが命取りになった。
降下していたヘリコプターにその武者らは取り付いた。乗り込む隊員を切り伏せるとパイロットらに襲いかかった。このとき兜の奥の顔を間近で見たものは、その恐ろしさに気絶したという。あるものの証言では鬼の顔であり、あるものによれば骸骨であり、そしてあるものによるとその中には誰もいなかったというのである。またその体はとても冷たく、また青白い光を放っていたとも言う。そしてまた、腕を掴まれたものの記憶によれば、彼らは全身が濡れており、海藻のようなものがまとわりついている者もいたという。
かくして降下したヘリコプター3機は瞬く間に無力化された。いつの間にかヘリコプターのエンジンも切れていたようであるが、事の仔細はわからない。なにせ、地上にいたもので最後まで正気を保っていたものは一人とていなかった。
だが1機だけは脱出に成功した。これがさきほど我らの上空に現れたヘリである。収容し得た兵員はわずか一人であったが、それが限界であった。取り付かんとする青白い亡霊共を振り払い、1機だけが霧を抜けることに成功した。
大戦果であった。美嘉は呼び出した亡霊により、自衛隊を撃退したわけである。
この戦果に検非違使別当をはじめとする太政官は大いに満足した。そして戦報の作成を内記に命じた。そして青柳茅野さんの筆により記された戦報は、我々の戦いが正義によるものでありそれがため勝利したことが格調高い漢文で書かれたあと、自衛隊について「還るを得たる者、三人のみ」と締めくくっているのであった。
「しかしよく亡霊をコントロールすることなどできましたね」みどりさんは捕虜を横目に見つつ、美嘉に尋ねた。「普通は亡霊が言うこと聞くものですか」
「ウチの力を侮ってもらっても困ります」美嘉は答える「鬼神を降し守護神とするのは仏法でもすることでしょう。ウチのやり方は少し違うます。歌を使うんです」
「歌?」
「そうや」美嘉は懐から扇を取り出すとビシッとみどりさんを指した「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
古今集仮名序であった。一体どんな歌を詠んで彼らを操ったのか。
「彼らは安徳帝を擁しつつ破れ水底に散った。いまここで、再び帝のために戦って死ぬんやいうことを伝えたまでです」
そう言うと美嘉は今度は川の方を指しつつ朗々と吟じ始める。それは歌を詠むときの節であったが、その歌詞はもっと別のメロディで知られていた。私もみどりさんも唖然としたが、彼女は詠むのをやめない。彼女の声は山にこだまし、谷あいに響き渡った。
「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ」




