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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第3日 8月5日
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第23話 先陣

 バスから降りた瞬間、真夏の熱風が少女を捉えた。

 雲もない青空は遮られることのない太陽の光を容赦なく降り注がせる。蝉の声はその体感温度を増幅させる。だがこれから気温はさらに上がる。まだ午前8時にもなっていないのである。

 少女はタオルで汗を拭くとあたりを見回した。バスの終点である、山の谷間に作られた道の駅まで乗ってきた乗客は彼女の他にはなく、道の駅の駐車場には車も停まってはいなかった。

 バスの運転手は怪訝な目で彼女を見た。身長は平均的、年齢は高校に入ったくらいだろう。登山用のバックパックを背負っており、肌は日に焼けている。その僅かにウェーブのかかった髪は束ねられてはいたが、解けば背中の中ほどまではありそうだ。

 山に登ろうとする恰好なのはわかる。だが一体少女が一人で、こんな登山口もない場所になんの用があるのか、運転手は分からなかった。声をかけようとも思ったが、すぐに少女はバスから離れてしまった。まあいいだろう、余計ないことを考えないのが吉か。今は有事だ…。

 バスはUターンするともと来た道を戻る。少女はバスを見送ると、今度は反対側へと視線を向けた。今まで通ってきた道には人家がまばらながらあったが、向こうには山しか見えない。だが、今乗ってきたバスは、本来ならあの山の方へとさらに向かう。あの山の中にもそれなりに人が住んでいるということである。

 ここまでも長かったが、いやここからだ。つい先程、十時間夜行バスに揺らた末、早朝の徳島駅に降り立った。阿南方面へ向かう始発の汽車に乗ると、目的地の最寄り駅である桑野駅でバスに乗り換える。桑野駅で降りようとしたとき、列車のドアを開けるためのボタンを探したが見つからなかったときは乗り過ごしそうになり肝を冷やした。幸い、近くにいた年配の紳士が、ドアを引き戸のように直接手で開ければ良いと教えてくれて事なきを得た。

 バスは二十分と待たずにやってきた。バスは目的地までは行かない。那賀郡の入り口の手前にある道の駅から先の国道195号線は警察と自衛隊が封鎖しており、バスはその前で引き返す。目的地はその先である。

 さて、と地図を広げた。ここから那賀川の流域である鷲敷に出るには西へ進まなくてはならぬ。195号線が最短経路であるが、そこは通れない。となると山道を通るしかない。安全なのは昔ながらの道か、さもなくば稜線である。

 ちょうどいい道があった。山の頂上を経由するが、これなら検問を回避できる。

 それは道の駅のすぐそばから太龍寺山の頂上へと、東から西へと向かう道であった。あまり知られていない登山道であるが、それでも通る人はいる。二十一番札所太龍寺と二十二番札所平等寺を最短コースで結ぶことから平等寺道とも呼ばれる遍路道のひとつなのである。

 そして山越えに使うもう一つの道は地図にも乗っていない。ネット情報で得た道である。名を北地道という。南の麓にあたる鷲敷から大竜寺山へと登るロープウェイと並行して伸びる山道である。かつては遍路道の一つだったというが、ロープウェイの開通以降人音絶えて久しい。ここなら見つかることもないだろう。

 そうと決めたら先を急ごう。道の駅にあった自動販売機でスポーツドリンクを1本買うと一口のんだ。それをバックパックにしまうと、登山口を目指して歩き始めた。


 登山口は少しばかり東に戻ったところに、祠と人家に挟まれてある。薬師如来を祀った小さな祠に手を合わせ、無事を祈る。少女は足取りも軽やかに、山道を登っていく。

 両側に木が迫り、展望に乏しい道中にはいくつもの地蔵や、丁石が立っていた。江戸時代に建てられたものらしく、文字は擦り切れて読めない。比較的最近設置されたであろう外国語の遍路案内の札も立てられており、この道が確かに現在も生きている信仰の道であることが分かった。

 汗を拭きながら歩くこと二時間、ついに現れた舎心ヶ嶽という矢印に沿って道を曲がる。すぐに目の前に大きな岩肌が現れる。鎖が垂れ下がっており、これに沿って登れという意味である。少女は鎖場を登り切る。

 途端に視界が晴れた。岩山の頂上には弘法大師が座禅し、東の方を見つめている。眼下には山々が広がり、遥か遠くに紀伊水道が見えた。

 ここが、かの弘法大師が悟りを開いたと伝わる阿國大瀧嶽――舎心ヶ嶽であった。

 ああ、絶景だな、としか言葉が出なかった。このまま悟りを開けそうだ。

 いや、いかんいかん。目的を忘れそうになる。視線を目的地――西の方に投げかけた。

 そこは開けた西と違い、展望が悪かった。山々のせいではない。霞がかかっているのだ。あれが報道されていた霧か。少女は確信した。

 その時爆音が聞こえてきた。エンジン音だ。音は徐々に大きくなり、近づいてくる。

 少女は思わず弘法大師像の影に身を隠した。

 直後、少女の頭上を四機のヘリコプターが編隊を組んで通過した。茶色い迷彩色である。ヘリコプターは東から飛来して、爆音を山間に響かせながら、西の山々にかかる霧の中へと消えていった。

 少女はそれを身を縮めながら見ていた。ついに始まったか、急がなければ。


 ――八月五日午前十時前、自衛隊は丹生谷王朝への武力介入を開始した。前日に善通寺より徳島入りした普通科一個小隊からなる先遣部隊三十人は、徳島航空隊所属のUH-1Jヘリ四機に分乗し、即応展開として丹生谷動乱の先陣を切ったのである。


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