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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第2日 8月4日
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第18話 蟄居

 左近衛中将平朝臣肇、任官一日目にして蟄居を命じられる。

 はたしてこれまでにこのようなことがあっただろうか。任官して数刻と経たぬうちにセクハラにより謹慎処分を受ける。神武以来の椿事である。

 うなだれる私に、上野原先生は目を覚ましたのだからもう大丈夫だろう、と退院を命じた。それは行き場がないと思ったが、どうやらここは入院施設のない診療所だそうである。入院の必要な患者が来れば更に下流の鷲敷にある病院へと搬送する。

「だが今後はそれもできませんから、ここの二階を入院病棟にするよう太政官布告がありました。次いでわたしを典薬頭に任じると知らせが来たんです」先生は頭をかきながら言う。「困りました。ここには私しかいないというのに。今でさえ大変なのに、これ以上いったいどうしろというのやら……」

 そんなことより問題は私がどこで蟄居すればいいかということだ。宿はまだ決まっていない。

「それも知らせがありました」先生は言った「医師官舎の空き部屋を使ってください。官舎と言ってもただの一軒家です。一人暮らしには広すぎるので、部屋が余っています」

 女性の一軒家という花園。それはそれで楽しみ……おっといけない。こんなのでは今度は宮刑にされかねない。ここは借りてきた猫のようにおとなしくする。にゃーん。

「捕虜扱いですから、ぷちれもん先生も別の部屋で泊まってもらうようになります。案内しますけど、いまから片付けするからちょっと待ってください」

 そういって先生は私の点滴を抜針すると一旦奥へと立ち去った。現場には私とぷちれもん先生が残された。

 あいかわらずぷちれもん先生は俯いている。

 気まずい状況だなあ、と思った。ここは私からなにか言葉を発さなければならない。そう、今私は猫だ。借りてきた猫だ。いたずらの後主人に詫びる猫ちゃんの気持ちで話しかければよいのだ。

「……にゃーん」

 そう思って口をついて出た言葉がそれだった。我ながら意味がわからなかった。

 ぷちれもん先生は立ち上がると、視線も合わせず病室の外へと立ち去った。完全に失敗だった。

 一体何がいけなかったのか。ここからどう謝れまいいのか。それを考えているうちに、数分後、白衣を脱いで着替えた上野原先生が戻ってきた。

「案内します」

 彼女はぶっきらぼうに言うと、わたしについてくるように指示した。


 医師官舎は4LDKの広さがある二階建ての一軒家であり、私は二階にある部屋のうち一方が割り当てられた。八畳ほどの部屋には布団と机があるだけだった。そこに何故かわらしの車に積んでいたはずの荷物が運び込まれている。医大から実習生が来たときに泊まることがあるほかは、使われることのない部屋だという。

「くれぐれも許可なく他の部屋には入らないように。風呂の時間は十八時にしてください。できればシャワーで、使用後は湯を抜くように。トイレは誰もはいっていないのをきちんと確認してください。使用後はトイレの蓋はおろしてください」

 上野原先生から注意を受ける。普通なら風呂は女性が先入るだろう、と思ったが私が先使って良いようである。これについては後で知ったことだが、私の蟄居の噂を誰かが水澤ほどの変態なら女子二名が入った後の風呂の湯を飲んだり排水口の陰毛を回収するはずだと訳のわからぬことを吹き込んだらしい。一体どこの阿呆だ。

 時計を見ればすでに時間は十八時である。私は早速お風呂をいただくことにした。もちろん注意どおりシャワーだけである。

 さっぱりした気持ちで部屋に戻ろうとした私をリビングから出てきた上野原先生が呼び止めた。

「食事の準備は少し時間がかかりそうです。それまで休んでいてください、呼びに行きますから」

 先生が休んでくださいよ、と言いたくなる様子だった。先ほど院内では暗くてよく見えなかったが、目の下にくまがあった。山の中の診療所で一人働いているのである。肉体的にも精神的にも限界となるだろう。

 なにか手伝えることは、と聞いたが、先生は大丈夫といった。ぷちれもん先生が手伝ってくれているらしい。そこに私が入るのはたしかに気まずい。

 私は部屋に戻るとすることもないので布団に横になった。一日の疲れからか、眠気がどっと押し寄せてきた。空腹はあったが、睡魔がそれに勝った。気がつくと私は眠りに落ちていた。


……ガタッという物音ではっと目が覚めた。

ゆっくり瞼を開くと、部屋の扉が開けられている。電気はいつの間に消したのか暗く、常夜灯のオレンジ色の光だけがあたりを照らしている。その明かりが映し出す一人の影。 

ぷちれもん先生がドアを開けて入ってきていたのだった。

私は布団から起き上がった。彼女を見つめた。わざわざ私のところへ来てくれたのだ。まずは詫びなくてはならない。

そう思い頭を下げようとした時、彼女の様子がややおかしいことに気づいた。

オレンジのナツメ球に照らされたからではない。彼女は明らかに紅潮していた。目はうつろで、息も荒かった。

いったいどういうことかと思っていると、先に口を開いたのは彼女の方であった。

「あの、肇さん……」

「は、はい!」いきなりファーストネームで呼ばれてびっくりした。声が上ずった。

「あのとき貴方をかばえなくて、ごめんなさいです。私嬉しかった。わたしの読者がいて、しかもわたしの身体でも興奮してくれるということが」

 この人は何を言っているんだ。

「実際のわたしに好意を向ける人なんていたことなかったのです。あなたに頬ずりされた時、わたしの身体でも興奮してくれる人がいるんだなあと思って、嬉しかったのです」

 そ、そうですか。

「それを思い出していたら、奥のほうが熱くなって、ほら、こんなふうに」

 立っていた彼女はおもむろにスカートをたくし上げた。スカートの中はマイムマイムしていた。

「こんな気持に、こんな身体にしたのは、あなたです」彼女は震える声でいった「責任とってくれますか……?」

 いけない、と理性は止めようとしたが、それは無駄な抵抗に終わるだろう。さあ、我々は歓喜の踊りを踊ろう。そう心の中でつぶやきながら彼女にいざり寄ろうとした……


 ……私の肩を何者かが揺すっている。意識がまだはっきりとはしない。いったい誰だこんないい時に……

 目を開けるとそこは先ほどの部屋だった。明かりは煌々とついている。頬に違和感を感じたが、よだれを垂らしていた痕らしい。

 どうやら私は寝ていたようだ。

 なんだ、夢か、とわたしは心の中でひとりごちた。夢ならもっと見せてくれよ、そう思いながら身体を起こす。後ろを振り返る。私を起こした不届き者の正体がわかるはずだ。

 そこにいたのは、顔を紅潮させたぷちれもん先生だった。

 えっ? 

 私は思わず後ずさりした。どういうことか理解できなかった。いや、理解に努めていたがまだ夢と現実の区別がつかず混乱していたのだろう。

「え、どうしたんですか」

 彼女は言うが、たじろぐ私はどうしようもできない。次にすべきは平身低頭謝るしかないと思った。私は土下座をして額を床に擦り付けた。

「ごめんなさい。先ほどの失態は私が悪いのです、許してください」

「そ、そんな頭を下げないでください」ぷちれもん先生は言った「あなたは何も悪いことは」

「セクハラです」

「あのことならもういいです。それは言われれば気にもなりますが、別に嫌ではなかったのでそれはいいのです。それよりも私も詫びなくてはならないのです」

「えっ」私は顔を上げた。

 よく見ると彼女は紅潮した状態で、左手に一升瓶を持っていた。

「さっき呼びに来た時、爆睡されていて、起こすのが申し訳なかったのです。私たちだけ先にいただいて、今はお風呂上がりに一杯飲んでいたところです。こんな非常事態飲まなきゃやってられるかと。まあしかし上野原先生は万が一のこともあるからと数口だけ飲んで寝る準備をはじめました。真面目な先生で感心なのです。ですが私は飲み始めると止まらないタイプでして、そこでやっと水澤さんの存在を思い出したのです」

「そ、そうですか……」

「ええ、よければ一杯やりましょう」

 昨日に引き続き今日も酒か。そう思ったが飲酒欲には抗えぬ。私は首を縦に振ると彼女からコップを受け取った。とたん腹が鳴った。

「失礼」私はバツの悪そうに言った「私は夕食を食べていないので、できればなにかあるとありがたいのですが」

「これは失礼しました」彼女は言った「水澤さんの分はちゃんとあります、とってきますね」

「ありがとうございます。ぷちれもん先生」

「いいえ、気にしないでください。それと、できれば私のことは茅野(ちの)と呼んでください。青柳茅野(あおやぎちの)、わたしの本名です」

「わかりました、茅野さん。それでは私のことも」

「はい。よろしくおねがいします、肇さん」


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