第143話 吊り橋の戦い③
橋が落ちた。
爆発とともに、橋が落ちた。車も落ちた。主上と、薫御前を乗せたまま。
「言仁――!」
みどりさんが叫ぶ。と、同時に駆け出していた。川の此岸にあったコンクリート製の吊り橋の主塔の脇から身を乗り出す。自分もそれに続いた。
主塔からは切れたケーブルがぐちゃぐちゃに絡まるようになって崖の下へと垂れている。真っ二つに折れた橋は、その半身を川に浸していた。川は以前見た時より水量が増している。
――それもそのはずである。ダムには今朝方、放水の命令が出ていた。台風に伴い、危険水位を超える恐れがあったためである。開いたままになった水門から、滝のように水が流れ出している。
そして橋の残骸や川の中の岩に挟まるようにして、車は横転していた。落ちた時の衝撃で窓ガラスは割れたりひびが入ったりしている。
「ああ……」
みどりさんは雨の中へたり込んだ。
あれでは、と私も思った時である。車のドアがスライドして開いた。そして中から這いだしてくる影。黒い長い髪。そしてそれに抱えられて出てくるもう一つの影。
間違いなかった。薫御前と主上であった。薫御前は頭から血を流している。主上は意識を失っているようだが、身体に外傷は見えない。
「みどりさん、無事ですよ!」
私は叫んだ。みどりさんは、
「よかった……」
そう呟いて涙を流す。が、それも長くは泣かない。すぐに涙をぬぐうと、
「とにかく二人を引き上げましょう、ロープが車にあったはず」
そう言って立ち上がった。
私もそれがいいと思いつつ、車に戻ろうとした時である。
川の向こうでバシュ、という高い乾いた破裂音。振り向くと何かが川の上を下流方向に猛スピードで飛んでいくのが見えた。数秒経って、爆発音。
もう一度川の彼岸を見る。小野塚さんの姿が見えた。肩に、対戦車ロケット砲を担いでいる。彼女が撃ったのだ。
「そんなことしている場合じゃないでしょう!」
みどりさんはそう叫んだが、しかし増水した川の水音と雨音にかき消され聞こえない。代わりに、小野塚さんは、RPGの発射機を地面に置くと、両手を上げたり下げたりふりふりしている。それが手旗信号だと気づくのに数秒かかった。
「……左岸下流500メートルに敵影あり」
「えっ?」
みどりさんが驚くようにそう言ったのと同時であった。
またも爆発音、今度は此岸のやや上流、ダムの手前。崖が一部崩れて川に落ちる。
それを合図の様に風を切る弾の音。
「伏せて!」
みどりさんが叫ぶ。と同時に濡れた地面に押さえつけられる。
あちらこちらで爆発音。
あたりを見回す。車が一台雨の中にもかかわらず燃えている。幸いすぐに爆発しなかったのはガソリンが満タンだったからだ。気化しないと爆発しない。
そして崖の下を再び覗き込む。車には弾は当たっていなかった。二人も変わらずそこにいる。
「何をしている!」下から薫御前が叫んだ「早く助けに来い!」
そうだった、早くロープを……
「そんなことしている暇はあるのかな」
背後で声。振り返ると右手を三角巾で吊った少年。坂本龍樹である。彼もまた、我々とともに、脱出していた。
「ああ、無事でしたか」
みどりさんがそう言った。
「話している場合じゃないよ」彼はくるりと回って、川と反対の方に向き直る「来る」
みどりさんもそれで何かを察したようだった。
みどりさんが刀を抜き放つ。同時に火花、赤い服の少女が目の前に現れる。
斧であった。
赤い服の式神が、斧を振り下ろしている。みどりさんは、それを刀で受け止めていた。
坂本は武器を持っていなかった。しかし、真言で結界を作ることくらいはできる。とんできた鎖鎌の分銅が、途中で見えざる何者かの手が働いたように、叩き落とされた。
「ちえっ、ばれちゃった」
そう言うのは瑠璃。青い服の少女はたぐりよせた分銅をぶんぶん振り回している。
珊瑚も、後ろに飛びのいていた。
周囲で衛士たちが銃を構えて、二人の侵入者を狙っていた。みどりさんは「手出し無用!」と叫んだ。
「やめておきなさい」みどりさんは刀を構えなおしながら言う「あなたたちでは私を殺せません。二度も戦ったでしょう?」
「勘違いしないでほしいな、お姉さんに用があるわけじゃないから」
瑠璃はそう言った。
「そうそう」と珊瑚「用があるのは後ろのお兄さん」
そう言って私を指さした。
「ご主人様が連れて来いって」「そう、生きて、五体満足で、連れて来いって」
つまり生け捕りにしろというわけである。
「なんでこいつを?」
坂本が不思議そうに言う。だが私とみどりさんは『ご主人様』が私を生け捕りにしたがる理由をいやというほど知っていた。
「ご主人様は、お兄さんを絶対に死なせたくないんだよ」と珊瑚。
「なんだ、お前たちのご主人様って言うのはホモなのか? こんななよなよしたのが好きだなんて」
坂本がそう言う。なんかひどい悪口を言われた気がする。
「うーん、わかんないけど、でも、生殖できる相手には興味ないって言ってたよ」瑠璃が言う。
「そうそう、女は初潮前が一番、って言ってたし」と珊瑚。
我々一同ドン引き。
え、なんでロリコン野郎と戦って死ぬ思いをしなくちゃならないのか。というかこの式神ども主人の性癖をべらべら喋って本当に大丈夫なのだろうか。ほんとうにこいつらが自分の式神でなくてよかったと思う。
「さて、お話はこれくらいにして」と珊瑚が斧を構えなおす「はやくそのお兄さん渡してよ。そしたらいなくなるからさ」
「そうだよ」と瑠璃。
「そういうわけにはいきません」とみどりさん「彼は私の仲間です」
「じゃあ力づくで連れて行かないとだね」
「おい、いいのか、女に守られているぞ」
坂本がこちらをちらっと見て言った。
たしかにそうである。みどりさんと私は一緒に戦ってきた。しかし、どうだろう、私はいつも彼女に守られているばかりであった。それはもちろん、私が魔法だの呪術だの使えないせいではあるのだが、しかし、たしかにそう言われると男としてどうなのだろうと思わずにはいられない。
もしいまここに力をくれる白い小動物なんかが現れでもしたら「彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい!」などと言って契約してしまいそうである。それくらいには恥ずかしがっているのである。
だがそんな私の気持ちでどうこうなるような状況でもなかった。
対岸からはロケット砲や機関銃と音が聞こえる。打ち返す自衛隊側の発砲音もだんだん近づいてきている。
そして目の前には、自分を捕えようとする二体の式神。
「この子らは私に任せてください!」みどりさんは叫んだ「自衛隊が来ます、応戦準備を!」
衛士らは私が道をふさぐようにして停めた車を横倒しにし始めた。その方が遮蔽距離が長く盾になるのである。
後ろを振り返る。対岸の部隊も、薫御前と主上が無事なのはわかっているようである。すでにロープを垂らし始めていた。私はみどりさんにそのことを告げた。
「憂いは一つ片付きましたね」とみどりさん「では目の前の敵に集中して、一気にいきましょう」
そして駆け出すと同時に、珊瑚めがけて振りかぶったのである。




