第141話 吊り橋の戦い①
私たちは山を下りてきて、そのまま大雨の中を例の脱出路の方へと向かった。破壊された橋とダムの脇をかすめ、我々は疾走した。当然ダムを占領した部隊からの攻撃があるものだと思っていた――先導車の軽トラの荷台の機関銃の銃手は手に力を込める。
結果としてそれは不要であった。ダムからの攻撃はなかったし、周りに自衛隊の部隊がいるという様子もなかった(実際戦後分かったことだが、第一空挺団は雨で増水した川のため進撃が遅れ、まだダムに達していなかった)。ならダムを占領したり、美嘉を助けに行こうと思った。
いや、そんな上手くいくわけがない。伏兵がダムにいたらどうなる? それに今はそんな他人の心配など――たとえそれが美嘉であったとしても――している余裕はなかった。とにかく脱出することが至上命題である。三十六計逃げるに如かず、逃げるは恥だが役に立つ。
そうするうちにダムのすぐ下流にかかる橋が見えてきた。国道から崖下の方へ少し下り、旧道のトンネルと古い吊り橋に枝分かれする。車も通過できる様子であるが、横幅はギリギリだ。さすがに薫御前が大八車などと言ったのは言い過ぎであるが、通過するなら軽トラが関の山であろう。
先頭の軽トラがゆっくりと橋に差し掛かる。風が強まってきた。窓ガラスをたたく雨音が強まる。橋はギシギシ音を立てている。
先頭が橋を渡り終わった。続いて薫御前麾下の近衛府の衛士を乗せた車が渡る。これで対岸に橋頭保を築くというわけである。
そして次に主上のお召し車である。
車がゆっくり進み始めた時であった。
遠くでターンと音がする。銃声であった。
「誰が発砲した!」
薫御前が叫んでいるのが何とか聞こえた(彼女はお召し車に主上と一緒に乗っているので、まだわたってはいなかった)。橋の向こうの連中ではない。我々でもない。とすれば、自衛隊が攻撃をかけてきたとしか思えない。
「早く渡れ!」
声が飛ぶ。しかし車はなかなか動かない。それもそのはず、橋の上では障害物がない。相手から丸見えであり、格好の狙撃の的である。
今度はまた大きな爆発音が響いた。橋の下流で大きな水しぶきが上がった。大砲を撃ってきたのだと思った。
「とにかく早く渡れ、早く――」
私は前の車両に叫ぶように言った。しかしその音はかき消された。
背後で国道沿いの民家が吹き飛ぶのが見えた。谷間には不気味に爆発音が響く。
「くそっ!」
私は車をバックさせ、車体の向きを90度変えた。こうすれば少しは盾になる。
「肇さん……?」
みどりさんは私の意図を汲みかねている様子であった。
「戦場の神と言われるだけあって、砲撃は確かに有効だが、これだけで決着がつくわけじゃない。最終的には歩兵が突撃して占領するんだ」
「ここでそれを食い止めるわけですね」
「その通り」
「私、怖い」みどりさんは言った。震えていた「こんなことは何度もあったはず。でも、今回ばかりは、本当に怖いのです」
「僕も怖いよ」私は言った「でも、みどりさん、あなたがいるから、大丈夫」
不思議と死ぬ気はしなかった。何度も死にかけたことはあったが、しかしそれでも彼女と二人で切り抜けてきた。そんな自負があったからだ。
しかしそんな時、後ろで爆発音があった。
思わず橋の方を見る。炎が上がっていた。
みどりさんが車から飛び出していく。私もそれを追いかけた。
見るもおどろおどろしい光景であった。
炎は大雨の中消えつつあったが、しかし橋は損害を受けている。
吊り橋のハンガーケーブルの何本かが寸断されている。
お召し車は橋の中ほどに来たところであった。急いで渡り切ろうとスピードを上げる。
それからはほぼ一瞬の出来事であった。
橋が中央から下にたわんだ。
いけない、と思わず声に出そうとした。しかし橋の崩壊の方が早かった。
橋は最もたわんだ中央部で真っ二つに折れた。ケーブルが切れるびゅんびゅんという音がする。
お召し車はアクセルを踏み込んだまますでに坂になった道を駆けのぼろうとする。が、重力には抗えない。
車はそのままはし橋とともに落下する。
「言仁――!」
主上の御名を叫ぶ、姉としてのみどりさんの叫びが、雨の中、山間にこだまするのであった。




