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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第12日 8月14日
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第136話 雨は降る降る

 丹生谷攻撃の本隊――甲部隊は日野谷でいったん止まっていた。発電所を占領した後、さらにダムまで進出するのが当初の作戦である。しかし、その前に一度、敵に降伏のチャンスを与える。

「いまさら彼らが降伏するとは思えませんがね」

 安西は言った。それには一同同感であるが、しかし、戦わずに済むのであればそれもよいと思う。

 とくに旭美幌はそうであった。

 すでに靴下もぐちょぐちょに濡れていた。今すぐに帰りたかった。だが撤退命令など出そうにもない。何の役にも立たない自分が、こんなところにいてどうするのか、そう自問自答し続ける。

(雨は降る降る人馬は濡れる‥‥‥)

 旭美幌はひとりそう呟く。

 ふとまわりが騒がしくなった。

「金城さん、どうしたんですか」

 旭さんは尋ねた。

「どうやら向こうから車が来ているようです」

「えっ! 特使ですか」

「降伏の交渉ならいいんですが」

 旭さんは身を乗り出した。フロントガラスは雨に打たれている。もともとフロントガラスの面積も小さい82式指揮通信車である。ほとんど何も見えない。

 だがその向こうで、光るものが見える。車のライトである

 やがて車は、装甲車の前まで来て停車する。普通のコンパクトカーだった。

 自衛官がライフルを片手に取り囲む。中から両手を上げて出てきたのは、白衣を着た女性であった。見ていた者はぎょっとした。その袖口に、血がついていたのである。

「私は丹生谷診療所所長、上野原皐月です」その白衣の女は言った「怪我人がいます」

 すると今度は助手席のドアが開いた。片手に傘、もう片手で杖を突いた少女が降りてきた。

 それを見ていた抜刀隊の面々は思わず声を上げた。

 それは卜部りんであったのである。

「今すぐ保護してください。彼女らは味方です」

 そういって安西は安堵した。それは金城さんらも同じである。

「無事で何よりです。しかしあの程度の怪我で大げさですね」

 自衛官の一人が卜部りんに肩を貸そうと傍に寄った。しかし彼女はそれを拒否した。

「怪我人はボクじゃないよ」

 そう言って後部座席を指さした。

 後部座席を覗き込んだ自衛官は、すぐ叫んだ「担架を!」

 そこにいたのは、二人の若い女性である。一人は巫女服――そしてその腹部を赤く濡らし、喘ぐような呼吸をしている。もう一人は彼女の手を握っていた。

「がんばるのです、もう大丈夫、助かるのです」

やがて担架がやってくる。斎部美嘉はそれに乗せられて、運ばれていく。上野原先生もそれに付き従っている。

 その光景を見ながら、卜部りんは、装甲車にもたれかかっていた。

 扉が開き、安西が顔を出した。傘を持つ。

「彼女は確か……」

「丹生谷の高官だよ。長安口ダムのところで刺されていた」

「刺されていた、って……いったい誰がです」

「意識が戻らないと聞けないんじゃないのかな」りんは言った「先生曰くあの失血量じゃ助かるかどうか五分五分だって。なんで敵を助けるんだって思ったけど、放っておけなかったみたい」

「なるほどね。それで、なんで、丹生谷診療所の女医さんが、あなたを連れてここへ?」

「聞いていなかったのかな? 彼女も、ボクとおなじ組織の人間だよ」

 なるほど、宮内省が送り込んでいたスパイというわけか。そして……

「彼女は? 見たことない顔ですが」

 安西は車の隣に佇んで、斎部美嘉が運ばれて行きし方を心配そうに眺める女性を指さした。

「ああ、彼女はね……」

 そう言った時だった。美嘉の搬送の引継ぎを終わらせた、上野原先生が戻ってきた。

「はじめまして」上野原先生はそう言って安西に手を出した。「丹生谷診療所――いえ、宮内省病院内科の上野原皐月と申します」

「陸上自衛隊鹿島教導隊、安西一等陸尉です」安西は答えた。

「安西さん、出会って早々で申し訳ないのですが、司令部に話はできますか?」

「ええ、それは可能ですが……」

「すぐにお伝えしないといけないことがあるんです」

「ではまず中に。旅団長がいらっしゃいますから」

「その前に」上野原先生は車の方を指さした「彼女を連れてきてください」

 すぐに小泉榛名が連れてこられる。

「上野原先生」小泉さんは震える声で言った「こ、ここからどうなるのですか。さっくんには会えるんですか。いえ、そもそも、なんで自衛隊の人と仲良くしているのでありますか……」

「ここでは周囲の動揺を誘います。中で話しましょう。いいですか?」

 安西ははじめ渋い顔をしたが、しかし、首を縦に振らざるを得なかった。

 指揮通信車の中に入る。中はすでに定員オーバー気味である。

「おいおい、それは一体だれだ……」

 奈良井一等陸佐は眉をひそめた。

「狭いのです、これはいったい……」

 小泉さんがそう言った時である。がちゃりと音がした。手首に冷たいものが触れる。

 おそるおそる手首を見る。

 手錠がかけられていた。そしてそれを行なったのは、卜部りんである。

「い、いったいどういうことなのですか!」

 小泉さんは叫んだ。周囲も唖然としている。しかし上野原先生も卜部りんも顔色一つ変えない。

「小泉さん」上野原先生は小泉さんを見据えて言った「これは一種の取引です」

「取引……?」

「そうです。取引に応じるなら、あなたも、そして弟さんの罪も軽くなるように取り計らうことが出来ます」

「ちょっと、何を勝手に……」

 金城さんが割って入ろうとするが、卜部りんが手を伸ばして制止した。

「小泉さん、クーデターとやらについて、知っていることをすべて話してください」

「クーデターだって!」

 驚きに満ちた声が上がる。旭さんや金城さんは聞き間違えかと目を丸くし、安西も開いた口がふさがらない。奈良井連隊長はいまにも泡を吹きそうである。和田も驚いたような顔をしていたが、しかし、内心は気が気でない。

「クーデターって、なんのことですか」

 奈良井が言う。

「東京で丹生谷に呼応して蜂起する部隊がいるようです。詳しい話はまだ聞き出せていませんが……どうやらこの人か、この人の弟が詳しいらしいのです」

 上野原先生はそう言って、また小泉さんに向き直った。

「丹生谷に義理立てしたい気持ちもあるかもしれません。しかしあなたは巻き込まれたのです。いまここで、我々に協力いただけるのなら、罪は免れます。しかし、あなたが話さないとなると、それは丹生谷に協力したことになり、罪は免れません。それは弟さんも同じです。どうしますか」

「し、しかしなのです、さっくんがどこにいるかなんて……」

「すでに手配済みだよ」卜部りんが言った「徳島市内にいるんだよね。そんなの特定は簡単だよ。すぐにお姉さんの前に連れてきてあげるから」

 小泉さんは背中を冷たいものが伝うのが分かった。いずれにせよ、もはや選択肢はない。

 ごめんなさい、水澤さん、浅葱さん、それしかないのであります。彼女は心の中でそう呟いて、首を垂れることしかできなかったのである。

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