第132話 軍議
私たちは黒瀧寺の本堂にいた。床には地図が広げられ、小さな駒が敵味方の勢力を表すように並んでいる。
「我々の主力部隊はここ黒瀧寺と、長安口ダムに集めています」小野塚さんが言った「長安口ダムは事実上我々の最終兵器、これを確保している限り、我々は下流の自衛隊と、そして流域数万の人口を人質とできます」
それは当然自衛隊も理解していることであった。真っ先に長安口ダムを落とすだろう。
そのあとは簡単だ。もはや我々の抵抗のすべはほとんどない。この黒瀧山を包囲し徐々に締め上げればよい。
「そのため現在、戦力の再配分を行っています。最精鋭を長安口ダムに集め、これを死守します」
「それは戦力の分散になるのではないですか」みどりさんは言った。
「しかし、ダムを奪取されては先がない」
小野塚さんの答えに、私は口を挟んだ。
「間違いなく今ダムに最も近づいているのは第一空挺団です。そんなものと戦えばひとたまりもない」
「しかし、橋は落としたはずだぞ」薫御前が言った「それに電子装備も使えなくなったらしいという報告をお前たちから受けたばかりだが」
「川や湖ぐらい彼らは泳いで渡りますよ。それに『電子装備』が使えないからと言って、彼らが戦えなくなるわけではない。あれはどうやら化け物らしいですから……」
そう。第一空挺団は尋常ではない。殺したって死なないような超人の集まりらしい。自衛隊きっての精鋭である。そんなものと戦えるはずがない。
一同は黙った。ややあって、みどりさんが口を開いた。
「そういえばですが……さっきから神祇伯の姿が見えません。彼女はこの軍議には関わらないのですか」
小野塚さんがそれに答える。
「彼女はさきに出立してもらいました。長安口ダムに」
ガタっと、私は思わず立ち上がった。
「待ってください。彼女は霊力こそあれ、戦闘は上手くはない。他には誰が」
「青柳少納言どのです」小野塚さんが答えた。
「まってください」私はさらに愕然とした「彼女はもともと漫画家で、それに宣伝担当でしょう。なんで前線に」
「なんだ、聞いていなかったのか。彼女の戦闘力には目を見張るものがある」
もちろん聞いている。彼女が角棒で自衛隊を打ち倒したことを。そして知っている。彼女が極左組織のメンバーだということを。
そしてこの場にいるメンバーは私と、そしてみどりさんを除いて、後者を知らないのだ。
そんな彼女に要衝を任せる。いったい何が起こるのか、想像も難しい。
「そ、それなら自分も行きます!」私は言った「さすがに戦力が足りないのでは」
「私も行きます!」事情を知るみどりさんも声を上げた。
しかし、小野塚さんはつめたく跳ねのけた。
「それはできません。お二人はここで、主上の周りを守る任務があるからです」
彼女がそう言った時だった。部屋の明りがいきなり消えた。どうしたんだと思ううちに、非常用の灯りがついた。燭台であるが。
「いったいどういうことだ」薫御前は言う「なぜ電気が?」
「無線は生きていますか」小野塚さんが言う。
「はい」無線係の声がする「ええ、ダムは応答があります。しかし、日野谷発電所からは……」
そこではっとした。日野谷発電所はダムのずっと下流にある。そして丹生谷で使用する電気の大半はそこで発電していたのである。そこが落とされたのだ。
すなわち、我々は電気の供給が断たれたことになる。
しかし小野塚さんは慌てなかった。
「送電の切り替えを急いでください」
「送電って……」みどりさんは呟いた。
「ご存じありませんか。那賀川水系には、ほかにも発電所があることを」
小野塚さんはそう言って地図を指さした。
「ここに追立ダムがありますね」
それは那賀川に注ぎ込む支流の一つ、坂州木頭川に設けられた砂防ダムだった。
「そしてその下流にこれがあります」
坂州発電所、と書かれている。
「もともとは長安口ダム建設の電力を確保するために作られた発電所ですが、いまでも細々と電気を作っています。そちらからの送電に切り替えるのです」
そう話す間に、電気がもどった。
「丹生谷すべてを賄う力はありませんが、ここと、長安口ダムの設備を動かすぐらいなら足ります」
一同はほっと胸をなでおろした。。
しかし問題が解決したわけではなかった。自衛隊は東西から丹生谷の中心部に迫りつつあった。兵力が増強されたというからには、南北からも包囲網を狭めてくるだろう。長安口ダムは激戦地になるに違いない。そしてそこに、美嘉と、不穏分子がいる。
「では改めて陣立て発表を行います。長安口ダムには青柳中納言、神祇伯をはじめとして――」
そういって作戦を読み上げる小野塚さんをよそに、私は、気が気でなかったのである。




