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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第10-11日 8月12日-13日
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第122話 凱旋祝宴

 私は戻って次には千歌に会ってやろうと思ったが、彼女は黒滝宮で主上の看病にかかりきりであるので、会えそうにないと分かった。

宿舎に戻ると2日ぶりの風呂に入った。そして着替えて、眠気で薄れゆく意識を叱りつつ、言われていた遠征の報告書をしたためようとしたとき、扉をノックする者がいた。

 それは美嘉であった。

「宮様は寝たか?」

 私はそうだと答えた。彼女は隣の部屋で寝ている。疲労と悲しみと、それがどっと押し寄せてシャワーも浴びずに倒れるように寝てしまっていた。

「宮様の気持ちもようわかる。せやけど……」

「いや、言わなくていい。君も立場があるだろ」

 私は彼女の言葉を遮った。美嘉はため息をついた。

「ところでだけれど、それは?」

 私は美嘉が持っている物体を指さした。それは酒瓶にしか見えなかった。

「ああ、凱旋の祝いや思うてな。大々的にはできへんし、これくらいで勘弁してもろてええか」

「いや、十分だよ、ありがとう」

 そう言って私はコップを受け取った。彼女が酒を注ぐ。

「にしてもやけど、どうやってあんな協力者と知りおうたんや。姉の知り合いでもあらへんし」

「ああ、それは、ちょうど尾行されたんだよ」

「尾行?」

「そう、ちょうどみどりさんと一緒にラブホから出てきたところを怪しいと思われて……」

「ゲホ、ゲホ、ちょ、ちょっと待て」美嘉がむせた「ラブホってなんや、そんな話、聞いとらんで」

「いや、ただ泊っただけだよ。君とも一緒に旅館泊ったことはあるだろ?」

「でもラブホやろ」

「何を疑っている? 言っておくけれど何もしてはいないからな」

 そう。私の方からは何もしていない。嘘は言っていない。

「ほんまかいな。行く前より仲良さそうに見えたけれどな。ほんま羨ましいわ」

「いや、羨ましいって、君がみどりさんに好かれていないからって……」

「違うわ、阿保」

 美嘉はぷいと横を向いてしまった。美嘉にしては珍しい。

 私が困った顔をしていると、美嘉は、ため息をついた。

「まあええわ。それで、もう一つの協力者のことやけど」

「ああ、あれ。誰の差し金だ。極左じゃないか」

「え、極左?」

「しらないのか。僕らを迎えに来た奴らは、上諏訪解放戦線を名乗っていた。暴力革命による国体破壊をもくろむ極左だぞ」

 赤みを帯びていた美嘉の顔が青くなった。

「いや、そんなやつらとは思わず、てっきり……いや、やとしたら合点がいくな」

「どういうことだ?」

「あれは、青少納言の紹介や」

「青柳さんの?」私は思わず声を上ずらせた。

「そうや。仔細は言えんが手伝うてくれる仲間が信州や甲州におるゆうて……6日もそれで上手くいったから信用しとったんや」

「いや、あの青柳さんが、いや、そんな」

「しっかりせえ」美嘉は言った「あの女は角棒一本で自衛隊員数人を打ち倒したんや。尋常やあらへん……で、どうなったんや、その、協力者は」

「南朝勢にたいして囮をしてもらったっきりだ。いまごろどうしているか……」

「まずいで。うちらの懐までばれとるんが野放しや」

「僕が一緒にいたのは気のよさそうな人たちだった」

「あの女も一緒やろ。大きい胸でかどわかして、そのすきに」

 いや、自身の胸がBカップだからといってそういうのは言い過ぎだろう。ちなみになぜ私は美嘉の胸のサイズを知っているのかと言えば、一緒に旅行に行ったとき荷造り中にブラジャーを見かけたからである。試しに手に取るとBカップと書かれていた。手に取ったのは別に他意はない。

「どうするべきや……一思いに」

「そ、それはまずい」私は言った「彼女は漫画界では表現の自由を守る急先鋒だったんだ。それをなにかするのは賛同が得られない。それに、彼女らは実際、いま、協力してくれているんだ。その協定を一方的にこちらから破ることもできない」

「それはそうやけれど」

「なら答えは明白だ。泳がすしかない」

 うーん、と彼女は考え込むそぶりをした。こういう動作も彼女には珍しい。そしてため息をついた。

「ほんま、うちらはあやふやな同盟者が多いな。あんたが仲間に引き込んだクーデター勢力もどうなるかわからん」

「でも戦力は首都から引きはがされたんだろ」

 報道から知っていた。第3師団と第一空挺団が徳島に入ったことを。

「首都にはまだ第一師団はじめなんぼでもおるやろ。それに反乱の主力部隊はどこや」

「そこまでは資料も黒塗りだったよ」

 はあ、と美嘉は再びため息をつく。だから幸運が近づかず苦労人にばかりなるのかもしれない。

「しゃあないな、じつはある筋によると政府は――」

 美嘉がそういおうとした時だった。扉がノックされた。返事をする間もなく、扉が開いた。入ってきたのは、小野塚優花里であった。

「ご帰還されたと聞きました。ご壮健でなにより。それにしても」

 彼女は私と美嘉を交互に見ながら言った。

「近衛中将どのは、夜ごとに女性を取り換えなさるのですね。まったく羨ましい限りです」

 その声の直後、何者かが肩を強い力でつかんだ。ゆっくり振り返る。それはもちろん美嘉であった。

「どういうことや?」

 笑っていない眼もとで口元に笑みを浮かべている。誰の真似だ。

 私も必死に抗弁する。

「いや、冗談が過ぎます、小野塚さん。自分は美嘉とは話をしていただけです」

「そうなのですか。では、兵部卿宮様との間では……おっと、これは言わない約束でしたわね」

「一体何をしたんや!」美嘉はすごい剣幕で叫ぶ。

「ちょっと待ってくれ、いつものお前らしくない!」私は叫んだ「小野塚さんも、そんな冗談を言いにこの夜更けに来たわけではないでしょう!」

「もちろんそのとおりですわ」小野塚さんは言った。こほん、と咳き込むのを聞いて、美嘉も我を取り戻し、私の肩をつかむ力を弱めた。

 小野塚さんは言った。

「政府は、さらに増援を予定しているそうですの。統合幕僚監部からも指揮権をもった人間が送り込まれるという噂。京都も、動きが不穏です。情報が正しければ、今日にも徳島入りしています」

「ちょっと待って、とすれば……」

「明日、3回目の攻撃、と言うのもあり得るのです」

 彼女はそう言って一礼して退室した。我々はどうすればいいのかわからなかった。とりあえず美嘉と顔を見合わせるが、ともに発言はない。小野塚さんがちょっかいを入れた部分についても、特に言及はしなかった。

「まあ、とにかく、すぐ寝た方がいいかもしれないな。体を休めるために」

 実際自分の体は限界だった。まともに寝ていないのであるから。

 それは美嘉もそうだろうと言った。そして酒瓶などを片付ける。そして不意に、美嘉が私に呼びかけた。

「ちょっとええか」

 ん、と私が振り返った次の瞬間だった。

 美嘉は私の顔の両側をつかんで引き寄せていた。え、と思ったときには唇を重ねていた。

 意外と抵抗する気は起きなかった。ややあって、彼女は唇を離した。

「うちももう寝るわ。おやすみ」

 彼女はそうとだけ言って部屋を後にした。

 後にはぽかーんとした私と、そして唇の感触だけが遺された。

 そして、我を取り戻し、事態を把握するのには、さらに時を要したのであった。

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