第120話 帰還
徳島駅に着いた頃にはもうすでに日は傾き始めていた。我々はいかにして丹生谷に戻るかを考えなくてはならない。
私はスマートフォンの地図を見た。東から入る道はどれも自衛隊が押さえている。となると、丹生谷脱出に使ったように南から回り込むしかない。
しかし問題がある。おそらく最も近い南から回る道は日和佐より北上する道であるが、それでもそこから旧丹生谷村に出るまで徒歩で3時間はかかる。今からでは夜の山道を歩くこととなるが、それは徹夜明けにはしんどい。となると車である。
現時点で顔が割れておらず、なおかつ車が運転できるのは、小泉さんである。
きょとんとする小泉さんに、みどりさんは言った。
「レンタカーを借りてきてください。返却期限は明日でいいです」
小泉さんは頷いた。彼女はすぐにコンパクトカーを駅前のレンタカーで借りてきてくれた。
駅前を車で離れると、新町川へ向かう道のあたりで、すぐにバリケードにぶちあたった。警察と市民がにらみ合いをしている。
ラジオをつけてみる。どうやら急遽阿波踊りが中止となったことに怒った市民が桟敷席の鉄パイプや木材でバリケードをつくり、その中で阿波踊りを強行しているらしい。警察も、その対応に追われているようで、徳島県警はいまや丹生谷の対応から完全に手を引いて、内務省及び防衛省直轄の問題となっていた。
我々は車をUターンさせた。そして県立高校の交差点を右に折れ、かちどき橋で新町川を渡ったのであった。
***
車は日和佐方面へと南下する。途中で電話をかけた。美嘉が出た。
『193号線はもう敵が押さえとる。県道までは手がまわっとらんみたいや。県道はまだいける』
日和佐から丹生谷に伸びる道は県道19号と36号がある。このうち19号は道幅も広いが、日野谷にある軍事境界線のすぐ近くである。しかも、そこから西に延びる道は開戦と同時に爆破していたし、残っていた旧道も先の戦闘で崩落していた。36号線は細い山道であったが、それだけ見つかりにくい。
途中で山道の運転は慣れないという小泉さんの申し出により、運転は私が代わった。一直線の道路で爆走しそうになる衝動を押さえつつ、私は国道55号を南下した。途中徳島のサグラダファミリアの横を抜け、そして高速と見まがう自動車道を抜けた。途中制限速度70と書かれていたので時速70マイルで飛ばそうとしたらみどりさんにそんなことをして警察に捕まれば一巻の終わりだ、70キロで走れと怒られた。70としか書いていない道路標識が悪い。ヤードポンド法死すべきである。
やがて車は日和佐に着いた。日は暮れていた。自動車道、というか高規格道路を抜けて、すぐ右に折れた。県道36号線に車は入った。
しばらく車は進む。カーナビは確かに丹生谷に向かっていると告げている。次第に霧がごくなる。目の前に警察も軍も見えない。しめた、と私は思った。
と、その時である。山道のヘアピンカーブの最中に突如『通行止め』の看板が現れた。
「こんなのは無視しましょう」
そう言ってみどりさんは車から飛び降りて看板をわきにどけた。
さらに進む。すると「進むな、危険!」「進めば死ぬ!」などの看板が現れるがすべて無視する。
そうするうちに、目の前になんと検問所が現れた。前に自衛隊がいて、道をふさいでいたのである。
陸士が歩み寄ってくる。仕方ないので私は窓を開けた。
「もしもし、この道は行き止まりですよ」
彼は言った。
「いえ、すいません、われわれは巡礼者なのです。先の寺に行こうとしていて」
「ここから先は過激派の占領地です、行かれない方が……」
「巡礼を障碍をなすのは、悪行ですよ」みどりさんが後部座席から低い声で呟いた。兵卒たちがびくっとした。
すると、兵卒の奥から、声がした。
「ふわ~、どうしたのかにゃ」
すると若い下士官が姿を現した。階級章から2等陸曹(軍曹相当)だとわかった。
「ええと、この者たちが、巡礼者だ、通せ、と」
「にゃ~?」
にゃ~とはなんともふざけた野郎だと思いっていると、奴は顔を近づけた。性別不詳の若い人物である。なぜかヘルメットを取っていて、髪の毛がぴょこんとはねて猫耳のようである。我々をしげしげと見つめる。みどりさんは菅傘を深くかぶっている。
「その人はどうしたのかにゃ? 顔を見せてほしいにゃ」
2等陸曹は言った。
「ええと、恥ずかしがり屋なので……」
私が言うと、その2等陸曹はさらに顔を近づけた。
「それはできないにゃ、そういう決まりだにゃ」
そこでついにみどりさんが切れた。
「にゃーにゃーとふざけないでください。ほんとうに自衛隊ですか、官姓名を名乗ってください」
「あたいにいい度胸だにゃ」その2等陸曹は言った「あたいは鹿島教導隊所属、2等陸曹、小鹿野麻衣。あんたらも名乗るんだにゃ」
そう言って89式小銃を部下の陸士に命じて我々につきつける。
「なら名乗ってしんぜましょう」
みどりさんはすこし扉を開けて外へと降り立った。
その挙動に相手がまごついた。
次の瞬間である。
みどりさんは即座に仕込み刀を抜刀していた。そして突きつけられていた小銃の銃身を切断していたのである。
その場で銃を構えていた陸士は驚いて尻もちをついた。小鹿野二曹も後ずさりする。やや距離の離れたところにいる検問所の兵たちは身構えた。
みどりさんは車の上に飛びあがって大声で叫んだ。
「やあやあ、遠きものは音にこそ聞け、近きものは目にも見よ! 我こそは、丹生谷王朝が皇女、内親王浅葱みどりなるぞ!」
そう言ってすぐに私に合図した。私はすぐにアクセルを踏み込んだ。
目の前で止まれという声が聞こえる。そんなものを無視して、私は検問所の障壁を物理的に突破した。
背後で発砲音がする。キン、と上で音がした。みどりさんが刀で弾いたのだろうか。
「みどりさん!」私が叫ぶ。
「とにかく走り抜けてください!」みどりさんは屋根につかまって叫ぶ「車がありました。相手は追ってきます」
「わかりました! 振り落とされないでくださいよ」
私は曲がりくねった山道をアクセル全開で進む。背後には時折発砲音が響く。みどりさんは屋根の上でマントラを唱え続けている。
「前の車に追いつくにゃ!」
そんな声が後ろから響いてくる。
直後であった。霧の中、雷が背後に落ちた。みどりさんの呪術によるかどうかは知らない。だが、バックミラー越しに、木が一本倒れ、道をふさいだのが見えた。
やがて銃声が止んだ。我々は霧の中を走り、やがてしめ縄が頭上にかかっているところを通過した。勘定縄だ――すなわちここから先は丹生谷の領域であるのだ。
我々は万歳を叫びつつ道を進む。やがて霧が晴れた。森の奥に明かりが見えた。その灯は、上那賀地区――長安口ダムのすぐ近くの集落に我々が帰ってきたことを、告げていたのであった。




