第101話 温泉
3話と同じタイトルですね。今回と次回が温泉回です。
関東から甲州へと向かう街道は二つあった。甲州街道と青梅街道である。
甲州街道は現在の国道20号線に相当する。日本橋を出でて新宿、高井戸、府中、八王子と続き、そこから小仏峠を超えて甲斐に入る。大月、初狩と西へ向かい、甲府に至る。中央自動車道や中央線もほぼ伴走しており、現在でも甲州入りのメインルートである。
一方青梅街道は新宿で甲州街道と別れる。そこから甲州街道のやや北側を走り、青梅に至る。そこからは道を奥多摩方面へと伸ばし、大菩薩峠を超えて甲府へと向かった。甲州街道に比べ2里ほど旅程が短く、また関所もないことから庶民には好まれたが、大菩薩峠はこの街道屈指の難所と言われており、多くの遭難者を出した。明治11年になって柳沢峠に新道が拓かれ、この大菩薩峠越えは廃道となる。この新道が現在の青梅街道、すなわち国道411号線である。
我々は今その国道411号線を西へと向かっていた。すでに地図上は山梨県に入っていたが、しかしまだ東京から逃げ切ったという感じはない。すでにあたりは真っ暗だ。
車は、しばらく道を走ったところで国道から離れる。細い道を、山の中へと向かった。
「あれ、青梅街道を抜けるんではないのですか?」
私が聞くと、松代さんが答えた。
「君たち、一度お風呂に入ってからのほうがいいと思うよ。煙臭いし」
くんくんと自分たちのにおいをかいでみる。確かに煙臭い。
「それに、今甲府や諏訪まで抜けても、もう名古屋行の便はない。それなら、いったん夜を明かした方がいい。警察もそう考えているんじゃないかな」
「通信内容では今晩中に甲斐を抜けるだろうと山梨県警と長野県警に連絡が飛んでいる」
「だから、この近くに私たちの拠点があるから、そこで休んでいこう」
「諏訪ではないんですか?」
「本部は諏訪市にあるよ。あといくつか潜伏先になっているところがあってね、その一つが今から行くところ」
一車線の山道だった。ところどころ整備の行き届いていない路面には穴が開いていたり、石が転がっていた。数年前の台風で廃道寸前まで荒れ果てていたが、なんとか自力で復旧させたのだという。
しばらく走ると路面がついに途切れた。そこには草に囲まれた廃墟が建っている。車のライトに照らされて浮かび上がった薄汚れ色あせて縁の錆びた看板がそれがかつては温泉旅館であったことを表していた。
「ついたよ、ここが丹波山ベース」
松代さんが言った。車から降りると、ガチャガチャと玄関のカギを開ける。建付けの悪い引き戸がガラガラと開いた。
中から、虫取り網のようなものを取り出してくる。
「ええと、それは?」私が尋ねた。
「裏に源泉かけ流しの天然露天風呂があるんだけど、たぶん葉っぱとか虫とか浮いているから、これで掃除してから入ればいい。湧き水もあるよ」
「寝るところはどうなりますか?」
「しばらく使ってないからね~、中は埃だらけだよ。床も穴だらけだから中で寝ることはお勧めしないね。なんたって緊急時の避難先だからね。車のシート倒せば眠れるよ」
「それって……」
「すなわちキャンプだね」
そしてくるりと回って我々に再び宣言するのだった。
「ここをキャンプ地とする!」
「あなた、それが言いたかっただけでしょ……」
千曲さんがあきれたような声で言った。
「まあね~」
「さあ、そうと決まればはやくお風呂の準備をするのであります」
そして網を受け取ると、真っ先に駆け出したのが小泉さんであった。なんだかテンションが無駄に上がっているようにも見えた。いや、完全に吹っ切れているのかもしれないが。
我々もそれを追いかけて行く。廃屋同然の旅館の建物の裏にまわると、そこは少し開けたスペースがあり、石を並べて作られたワイルドな浴槽がある。月明かりに照らされて、湯気が立ち上っているのが見えた。湯はすぐ裏の崖の上から滝のように流れ落ちてくるらしく、滝つぼが湯舟となっている。
後から懐中電灯とヘッドライトをもった松代さんと千曲さんが近づけば、確かに水面には落ち葉や虫の死骸が浮かんでいる。ただ、あふれ出した湯は流れるようにして新たな川を作りはるか下の多摩川へと注いでいるようで、その流れは絶えずしてしかも元の湯にあらず、そこまでゴミが溜まっているという印象はない。
「ちゃちゃっと掃除しちゃおう」
そう言って松代さんが虫取り網を湯の中に入れる。小泉さんや、私も月明かりの元同じようにしていく。すぐさまゴミは取り除かれ、入浴できる状態となった。湯も透き通っているようだ。まことに自然の造形による天然露天風呂とはすばらしく、神は自ら望むものを作り給うのである。
「入れる状態になりましたね」私が言った。
「そうですね、でも……」みどりさんはあたりを見回して言う「更衣室はどこでしょう。そしてまさかこれは混浴では……」
「そういえば確かに……」
そう言った矢先であった。横で突然松代さんが脱ぎ始めた。Tシャツ、ズボンを脱ぎ、そしてブラジャーとパンツも取ってしまう。
月明かりの下、その裸体があらわになる。
「ちょ、ちょっと何をしているんですか!」
みどりさんが手で顔を多くようにして叫ぶ。それでは指の隙間から丸見えであるがそんなことはどうでもいい。私もさすがに状況の意味が分からない。
「なにって、お風呂に入るために脱いだだけだよ」
松代さんはこともなげに答えた。
「いや、でも、そんな人前で……せめてこの人が(といって私を指さした)いないところで!」
「ここは混浴だよ。それに、そもそも裸と言うのは人間本来の格好、何を恥じらうことがあるのかな?」
「はあ」千曲さんがため息をついた「また葵の全裸道がはじまった……」
私に衝撃が走った。
「全裸道……って、まさかあの全裸道!?」
「知っているのですか、肇さん」
全裸道――それはドイツの裸体運動を源流とした人間性の解放を目指す運動である。
原初、人間は裸であった。そして、アブラハムの宗教の神話にもあるように、決してそれを恥ずかしいとは思わなかった。人間は羞恥心により認知をゆがめられており、衣服を着た状態でないと人間とみなせない。衣服は社会的階級と直結する。
そうであるから、全裸道であっては、衣服を人間の差別の原因ととらえている。衣服を捨て去り裸となることで、真の平等は達成される――この理論は西側よりも東側で受けたようで、宗教保守の影響を受けた西ドイツではなく、社会主義国であった東ドイツで裸体運動は盛り上がった。じっさい、ホーネッカー書記長の前をヌーディストの一団がパレード行進しているのである。
そして日本でも戦後ヌーディズム運動は全裸道として受容された。幕末明治初期に日本を訪れた外国人が書き記しているように、日本ではかつては裸体は偏在していたのである。しかし西洋科学文明は裸体を否定し、もちろん戦後の政府もこれを受け継いだ。公衆の面前で真の己をさらけ出そうとしたものは露出狂だの公然わいせつなどといった名前で不当な弾圧を受けることとなる。
そんな中で育まれたのが全裸道であった。暴力的な日本の左翼運動とは決別した全裸道は、しかし、合法路線をとったわけでもなかった。非暴力非服従を掲げ、地下に潜伏すると、山で、海で、街角で、露出行為を繰り返したのである。やがでそれが一部のなかでは競技化し、露出時の人口密度や明度、警察に捕まるまでの時間などで点数が競われることとなった。
「ですが、一昨年の岡山での一斉検挙で壊滅したという噂が」
私が締めくくるようにそう尋ねると、松代さんが答えた。
「おっ、よく知ってるね~」
彼女は答えた。すっぽんぽんのままだ。
「ほとんど仲間は捕まっちゃった。いわゆる非合法組織だということで、摘発されたんだよね。中には高校生も含まれていたとかいう噂だし、将来有望な若者を逮捕するなんて許せないよね」
彼女は何かを思うように夜空を見上げた。なおも裸である。
「非暴力なんていうんじゃ生ぬるいんだ、そう思ったね。だから私を受け入れてくれる組織を探した。それがここだったわけ」
千曲さんが口を開いた。
「私も当初は全裸道の残党なんて珍妙な連中を受け入れたくはなかったのよ。まあでも葵に会ってみて、そのときはすごくまともな人だったし、反政府の熱意も高かった。だから受け入れたんだけど……」
「……脱ぎ癖は、変わらなかった、と」
私が言った。
「へへへ‥‥‥」
「へへへ、じゃないわよ」千曲さんが吠えた「富士五湖のどこだったかで演習と称してキャンプした時は、たしかもう寒い秋だったと思うけれども、だれもいないと思うとか言いながら脱いで、ソロキャンしていた女子高生に見つかって通報されかけたじゃない。別件逮捕で一気に検挙されちゃうわよ。本当に謹んで」
「あの~、まだお話は終わらないのでありますか」後ろで声がした。「早く温泉に入りたいのです」
振り向くとすでに裸体にバスタオルをもって、どこから調達したのか分からない洗面器を抱えた小泉さんが立っていた。
「バスタオルが車にあったのです。これをまけば大丈夫なのであります!」
だがしかし、松代さんはそれを許さなかった。
すぐに駆け寄ると、なんとバスタオルを引っぺがし、温泉に小泉さんを放り込んだのである。
「バスタオルを巻いてはいるなんて、外道のすることよ!」松代さんは言った「裸で顔を突き合わせることに意味があるの」
そしてその勢いに乗って、茫然としている我々残り3人の衣服も瞬く間にはぎ取るように脱がすと、次々と湯に突き落としたのであった。




