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丹生谷王朝興亡記  作者: 淡嶺雲
第9日 8月11日
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第100話 多摩

 奥多摩駅の改札を抜け、指定された通り観光案内所の方へと向かう。案内所の前には1台のバンが停まっており、その隣に二人立っているのが見える。

 二人とも若い女性で、30歳は恐らく超えてはいない。一人は黒髪でフレームのない眼鏡をかけた長身。もう一人はほのかに茶髪に染めたパーマヘアで、服の上からも胸が大きいことがよくわかる。

 茶髪の女性がこっちに手を振っている。我々を見つけたのだろう。そちらへと歩いていく。

「水澤肇くんだよね?」

 茶髪の女性が尋ねる。

「そうです」

「聞いていると思うけれど、四国のお仲間から連絡を受けてね、迎えに来たんだよ」

「早く乗りなさい」

 眼鏡の美女が急き立てるように言った。我々は後部座席に乗り込んだ。

「ありがとうございます。おかげでで助かりました」

 みどりさんはサングラスを外しながら言う。

「あなたが浅葱みどりね。噂に聞いていたのは黒髪の大和撫子というイメージなんだけれど」

 運転席に乗り込んだ茶髪の巨乳が言う。なお眼鏡美女は助手席に乗り込んだ。

「変装のために染めたのです。戻れば黒に染め直します」

「なるほどね~、そっちの方もかわいいと思うよ」

「そ、そうですか……」

「それと……ええと、そちらはどなた? 2人かと思っていたんだけれど」

 茶髪の女性が小泉さんに視線を向けて言う。小泉さんが名刺を差し出して答える。

「小生は小泉榛名というものです。新聞記者をしていて、お二人の活躍を取材しているのであります」

「それはご苦労様ね。私は松代葵、そしてこっちが千曲流子。よろしくね。さあ、行こうか」

 松代さんは車を発進させた。川沿いに、青梅街道を西へと走る。奥多摩湖からは南に道を変え、小菅村を通過して大月へと抜ける予定だという。

「いいの、こんな得体のしれない人まで乗せて……」

 千曲さんが言う。

「いやいや、彼女のおかげでいろいろ助かったんですよ」私は言った「彼女が無線を聞いていたおかげで、警察にも補足されずに済みました」

「そうなのであります。警察無線の通信量が増えたことはわかったのです。それに西武の鉄道無線はアナログなので、内容を聞いてちゃんと安全であることも確認できたのであります」

「それは運がよかったね。東京の同志からの情報では、G案件だの、国分寺駅への出動だの、そんな内容が飛び交っていたそうだし」

 G案件とはゲリラテロのことである。というか、この人たちの仲間は傍受した警察無線を復元できるということか。

「あの、同志というのは……」

「ああ、私たちの仲間よ。情報収集のために東京に潜伏している人がいるんだよ。無線の傍受なんかをしているよ」

「ちょっと葵、話しすぎよ」

「いいじゃない。今は協力関係にあるんだし」

「協力関係、というと、あなた方は丹生谷とは直接関係ない……」

 私が呟くように言った。

「あれ、聞いていなかったの? 私たちのこと詳しくは?」

「ええ、まあ。迎えを用意した、とだけ……」

「はああ、そうかあ」松代さんが言った「私たちは『上諏訪解放戦線』のメンバーだよ。知っている?」

「上諏訪解放戦線……?」

 聞いたことあるような、ないような名前である。

「あっ、思い出したのであります!」その時唐突に小泉さんが声を上げた。にわかに震えている「上諏訪解放戦線といいますと、あの……」

「おっ、さすが記者さん、よく知っているね」

「水澤さん、浅葱さん、これはとんでもないのであります。上諏訪解放戦線という組織は……」

「極左テロ組織、と言いたいんだよね?」

 小泉さんの顔が引きつった。

「ちょっと待ってください、極左テロ組織と言うことは……」

「そう、暴力革命による資本家の搾取からの解放と天皇制打倒を目指している、といったところだね」

「そうよ」千曲さんが言った「だから、本当は別物とはいえ天皇を戴いている丹生谷に協力するなんてあり得ないんだけど……」

「暴力革命……なんというおぞましい」みどりさんが青ざめるようにつぶやく。

「ははは、何を言っているんだい? 実際に反乱を起こして自衛隊と交戦している人の言うこととは思えないよ」

 松代さんが笑って言った。私もつられて笑ったが顔が引きつっている。


 ここで上諏訪解放戦線とはいかなる組織か解説しておこう。


 上諏訪解放戦線について十分に理解しようとすれば、まず前史として学生運動や、その後の新左翼の歴史を理解しなくてはならない。理解しなくてはならないのであるが、しかし、新左翼の歴史というものは大変込み入っており、それを解説するだけで一冊本が書ける。だいいち、ここで共産主義者同盟と革命的共産主義者同盟が全く別の組織であることや、連合赤軍と日本赤軍の違い、新左翼と日本共産党の対立などを細かく論じても仕方がない。そういったことは別の書物に譲るとして、ここでは最低限の事実関係を確認しつつ、上諏訪解放戦線の成立までを述べたい。

 戦後、我が国の左翼には二つの派閥があり、それが共産党と社会党であった。このうち当初学生運動を指導していたのは共産党であったが、1955年に共産党が暴力革命路線を放棄、そして56年にスターリン批判が伝えられると、最前線で闘争を担っていた学生に動揺が走る。

 ここで57年に成立するのが、革命的共産主義者同盟(革共同)である。これは日本トロツキスト連盟を前身とした団体で、ここから分離したのが革マル派や中核派となる。

 また58年には過激派の学生が共産党を離脱し、またまた名前が似ていてややこしい共産主義者同盟を結成した。これは単にブントとも称される。これが60年安保闘争において全学連を指揮した。なお全学連とは国会突入事件などを起こしているがもともとは大学公認の学生自治会であった。ブントは「安保が倒れるか、ブントが倒れるか」を掲げ60年安保闘争を戦い抜いた末、その宣言通り安保に敗れ瓦解した。

 60年代後半の学生運動においてブントは再び結成されるが、もはやそれは運動の主体と言うわけではなかった。成果を残せない全学連に辟易した学生らは全学共闘会議、すなわち全共闘を結成していた。これは前者とは異なり非公認の組織である。そして第二次ブントや中核派、社青同といった諸勢力が内ゲバを繰り返し主導権を争ってはいたものの、この学生運動の主体となったのはノンセクト・ラジカルといわれる特定の党派に属さない学生であった。

 結局70年代に入り学生運動も下火となり、残った人々は先鋭化していく。内ゲバによる死者が出るのも70年以降が圧倒的に多い。たとえば、ブントの最左翼であった赤軍派は、大菩薩峠事件による一斉検挙や、よど号ハイジャック事件による北朝鮮亡命で大きく勢力を減じ、その残党が日本共産党革命左派神奈川県常任委員会(注:日本共産党とは関係ない組織である)と合流し連合赤軍が成立する。連合赤軍はご存じの通り、山岳ベースでの「総括」や浅間山荘事件を起こし壊滅した。なお余談だがこの赤軍派で連合赤軍に入らなかった人々がイスラエルで結成したのが日本赤軍である。テルアビブ空港乱射事件などを起こしたグループだ。

 ノンセクト・ラジカルの大多数は学生運動が退潮すると運動から離れていったが、残った中から新たに生まれた派閥がある。その一つが三菱重工爆破事件や昭和天皇暗殺未遂事件を起こした東アジア反日武装戦線である。これは日本帝国主義の悪行のみならず、過去に蝦夷や琉球を征服し成立した日本という国そのものを否定し、日本民族は生まれながらにして征服者としての原罪を有しており、日本は滅びるべきだという反日亡国論を展開した過激派である。その反日たるべき歴史はるか上代までさかのぼり、日本民族は大陸かどこかからやってきて日本の原住民を隷属化したというのである。

 私の意見を述べるなら、この思想は神話の書き写しでしかない。なぜなら天孫がと豊葦原瑞穂国に降り立って、もともといた神々や人々を「まつろわせた」神話が前提にあると考えないと話が成り立たないのだ。

 そしてその神話と信仰と、過激派が、長野県のある場所で交わりあった。

 現在、諏訪の祭神とみなされているのは建御名方神である。大和民族の神話が語るところによれば国譲りにおいて建御雷神に敗れた建御名方神が諏訪の地に隠遁したという。しかし諏訪の神官に伝わる話によればこの建御名方神こそ諏訪の地を征服した神であり、もともといた土着神からかの地を奪い取った。

 その土着神の名を洩矢神という。ミシャグジ様とも呼ばれることがある。

 そしてこの神こそ、弥生人=大和民族に征服された、縄文人の神であったというのだ。

 そして東アジア反日武装戦線の生き残りが、同じく反天皇、反大和民族といった点で諏訪にいた、洩矢信仰復活を掲げる地下組織と協力関係を結んだ。そうして成立したのが上諏訪解放戦線であったのである。


「すなわち、そちらの成立過程からして、根本的には私たちと協力するなんて、全くあり得ない、ということですね」

 松代さんから上のような、上諏訪解放戦線についての説明を聞かされたみどりさんは言った。

「丹生谷であろうと、天皇なんて認められない、と」

「それはそうよ」千曲さんが言った「あなたたちは東京の天皇がまるで簒奪者のように言っているけれど、私たちから言わせれば、あなたたちも簒奪者なのよ。原住民から不当に土地や自由を奪った、そんな大和政権の末裔なのだから」

 鋭い眼光でこっちを睨んでいる様子がバックミラー越しに見えた。どこかで聞いたことあるような内容であった。どこで誰から聞いたかは思い出せなかった。

「流子、言いすぎじゃないかな。今は協力関係にあるんだし。それに今は全員が全員そういう思想でもないじゃない」

「どういうことですか?」私が尋ねた。

「成立当時はさっき言ったような思想だったのだけれどもね。一部は縄文文化復活を掲げるネオナチに転向したり、また行き場所を失った左派を吸収したりして、設立当初とは全然ちがった組織になっているの。私も1年前に合流したばかりだし。今は表現の自由なんかがイシューね‥‥‥まあこれは表向きだけれど。もちろん非合法なこともしているよ」

「‥‥‥例えば?」

「警察無線の傍受。これ、音声データがマニアに高く売れるの。活動資金の一部ね」

「‥‥‥他には?」

「エロ動画のモザイクを外す作業もしているよ」

「そうですか……」

 名前とやってきたことの割には、今は案外地味なことをやっているのであった。

 その時だった。車のスピーカーから警報音が鳴り響いた。何事かと思っていると、助手席の千曲さんがグローブボックスを開け、ヘッドホンを取り出した。同時に何かの無線機のようなものも取り出す。

 彼女はダイヤルを回しながらヘッド音の音声を聞く。

「戻った方がいい」彼女は言った「大月で検問をしているみたい。このままいけば引っかかる」

「じゃあ仕方ないわね、青梅街道方面へと戻りましょう」

 車は松姫トンネルを抜け小菅村から大月市へと入ったところであった。ダムの駐車場でUターンすると、またトンネルの方へと戻る。そして小菅村役場前を左折すると、国道411号線――青梅街道方面へと向かったのである。

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