第1章 3 崩壊
「リオッ!?そっちの状況は!!」
「酷い様だ。もはや人は“進化”している。今…葬送する。」
降り下ろしていく自分のマチェットが赤黒く染まっていく。
肉を力で断つ感触は今でも好きとは言えない。
その切っ先にはもとは人であったであろうモノタチが蔓延っていた。地獄絵図とはこのことを言うのだろう。
______ギェエエエエエエエエエエエッ
腕を食いちぎられたのか片腕をなくしたヤツが俺に飛びかかってくる。
その赤い瞳は瞳孔が限界にまで見開かれ、病的なまでに白くなってしまった肌には紫や緑色の血管が浮き出ていた。
______QBに接触したものは、インセイルに接触または粘液感染を引き起こし”進化“する。
「うぐぉ、おごがぁああああっ…ゥッぅう」
「…。」
人の言葉を忘れ、理性と知性をなくし、自分の家族でさえもその殺戮衝動に従い襲い食い殺してしまう。
「___…アルムルク、片付けた。今からそっちの援護に回る。」
『頼みます。』
『緊急連絡!こちら、王都ルリア地区9番!!多数のQBが侵入した模様ッ!!直ちに応援を求めますっ!み、民間人が複数進化を始めており、最早我々だけでは手に…うゎッ!?もう、こ、ここまでッ!?やめろっ!来るなぁぁぁぁぁぁぁあ!!ウグッ…』
地区内に侵入したQBを始末しきった時、平コンクエスターの切羽詰まった無線が耳の受信機から伝わった。
その直後に耳をつんざくような悲鳴と何かが折れる音、そしてバキバキと何かを補食しているような音が耳元で響いた。
聞き返そうにも無線からはもう何も聞こえずザッザーと無機質な機械音だけが右耳の鼓膜を震わせる。
「なっ…!ルリア地区に侵入!?!?そんなの聞いていないぞ!!すぐに増援を…、リオ?…聞いているのか!!、!リオっ!!!!」
「…ルリア、地区だと…?」
俺の耳に同僚アルムルクの言葉が入ってくることはなかった。
先ほどの無線が…場所が…頭の中をぐるぐると回る______。
『緊急連絡!こちら、王都ルリア地区9番!!多数のQBが侵入した模様!!…~~~っ』
王都ルリア地区
そこはライオンのコンクエスターと家族が優遇され住むことを許された王のお膝元と呼ばれている高級居住区だ。
王都ルリア地区9番…
そこには…俺の…唯一の家族、妹の白儀リィが住んでいる。
(リィっ!!!!)
無線の内容を理解した途端俺は走り出した。片付けたばかりの元人間を踏み、瓦礫を超え、残党をがむしゃらに狩っていく。
(リィッ…リィ、リィ、リィ…)
俺の頭の中はひたすら届くはずのない妹の名を呼び警笛を鳴らす。
ただ逃げてくれ、無事でいてくれ…と。
「アルムルクっ!!俺は今すぐルリア地区に向かう!」
『なっ?!リオッ!!単独行動は許されない!今すぐ作戦内容にもど…っ』
耳に着けていた無線機をグシャリと握り潰しそのまま走り続けた。
ルリア地区へはさほど遠くない。
今から行けば…
この時ばかりほど自分の極東の血を嬉しく思ったことはない。
極東の者は代々スピードがそこそこに速いらしい。力では勝てずとも俺はライオンの中で一番スピードだけは速い自信がある。
器用貧乏の自分にミリ単位で吐出しているとしたら速さくらいのものだろう。
建物の上を跳ねるように移動するし、時にワイヤーを駆使しながら長距離を移動する。
そして、ルリア地区に着いた時俺は自分の目を疑った。
最強の防御を謳っていたはずの外壁は粉々に砕かれもはや原型を成しておらず、辺りは生き物の焼けるような匂いと生臭い鉄の匂い。
白く輝いていたはずの家々の壁は煤と血で汚れきり、足を一歩踏み出せば人の死体とQBの体の一部が転がっていた。
足を踏み出した時ジャリッと音立てたのはガラスの破片だろうか?整備されていたはずの道路をゆっくりと辿っていく。
口元を手で覆い慎重に進む。
いつどこで、進化した人やQBに襲われるかわからない。
見知った建物の跡や歩き慣れた道を何となく歩き家を目指す。折れ曲がった標識を見つけいつものように左折すれば…白く輝く…壁に囲まれた家が…___________
「クソッ…!!!!!!」
しかし、眼前には見るも無残な家らしきものがあった。
果たして家と言えるのだろうか。壁の塗装は血と泥で汚れ美しい造形であったはずの屋根はズレ落ち、その瓦礫が壁にもたれるように積み重なっている。崩れた壁からはメチャクチャになってはいるもののリビングが見えるのは間違いない。
「ッ!?リィッ!!リィ?!いるのか?!返事しろっ!!リィっ」
バラバラに積み重なっている瓦礫を手探りで退かし、手が傷つこうともお構いなしに探しまくった。
「クッソ…どこだ…」
_______リィッ…
そうだ。
もしかしたらリィはもう、避難してシェルターにいるのかもしれない。
安全が確保された場所で、俺の帰りを待っているのかもしれない。
シェルターの中で俺の迎えを待っているのかもしれない。
俺は戦場において一番してはいけない楽観思考に走っていた。
そうだ、きっと…きっとリィは先陣の隊に避難誘導されてとっくに…
「お、お兄ちゃん?… 」
「ッ!?リイか?!どこだッ!!」
微かに…声がした。
かすれてはいるがお兄ちゃんと呼んだその声はリィのもので間違いない。
見落とすまいと辺りにくまなく視線を走らせる。すると瓦礫の影からリィが這って出てきた。
所謂ほふく前進の形で。
俺はその姿を見た途端リィのもとへ走り出していた。無事だった!生きていた!!喜びに浸りながら駆け出し、リィの姿全身を俺は目に捉える。
そこで絶望を目にした。
「なっ?!…り、リィ…」
「ぅつ…お兄ちゃん?…助けにきて、くれた…の?」
建物の瓦礫の影から出たきたリィの体に_______________________下半身はついていなかった。
リィの両目からは血が流れ出て_______
そして、進化しつつある人間の特徴的な異変。
病的なまでに青白い肌とそこから不気味に浮き出た紫色の血管。
瞳孔は散大仕切り、焦点が定まっていない真っ赤な瞳。
リィが這って出てきたのは腰が抜けて恐怖から立てなくなったわけではなかったのだ。
リィには…立つための足がQBに食いちぎられてしまっていたのだった。
「ッリィ!…だ、!大丈夫だ。あぁ…そうだ。…助けにきた。だから安心しろ。今、薬を打ってやるから…」
リ=セイル。
それはインセイルを抑制しインセイルの浸食と人間性を保つ唯一の薬。デイティーが近年発明したインセイルの反対の効果を持つ俺達、人であって人でないコンクエスターの希望であり命綱だ。
コンクエスターは定期的に一定量のリセイルを体に取り込む必要がある。そうして、インセイルの暴走を抑制し、人間性と理性を保つ。
しかし、インセイルに比べてリセイルは供給量が少なく一般人には大抵手が出せない。
コンクエスターは特別手当てとして家族、血縁者に格安で提供されるが、後は上流貴族でもなかなか取引出来ないものだった。
リセイル1つでインセイル50は買える。
それほどの価値の差がある代物だ。
「腕を貸せ、リィ。」
「…っ、ゥッ、げほっ、カハッ!!」
「リィッ!!」
リィの口から鮮血が飛び散る。
明らかにインセイルはリィの体を侵食していた。ビキビキビキと体の中心から末端に向かって血管が隆起していく。
体を弓なりにしならせ陸に上がった魚のようにもがき暴れるリィを強制的に押さえつけリセイルを射つ。
後はもう祈ることしかできなかった。どうか…あぁどうか、俺から家族を…たった一人の家族を奪わないでくれと________。
もう俺には、リィしか残されていないというのに…。
「これで、大丈夫だ。お前は助かる…」
リィを抱えあげて強く抱き締めた。
妹の上半身は熱を持ちとても熱い。よもや人の体温でないそれにくらくらしてくる。
頭がぼうっとして、どこか他人事のようになっている自分がいた。あぁ、そうだきっとこれは夢…なんだと。
リィの呼吸が荒く俺の肩にあたる。浮き出た血管という血管が脈打ち始め耐えきれなかった皮膚が破けそこからまた血が流れ出る。熟れすぎたトマトのように皮膚が裂けていっているのだ。
普段の俺ならリィが助からないこともわかっただろう。誰が見ても一目瞭然、リィはもう、進化しつつあった。
リィの下半身に目を向けるともう血は止まり、逆に新しい体が形成されつつあった。ビキビキと違うナニカがリィの意思とは関係なく蠢き始める。
ひっきりなしにリィの口からは血が壊れた噴水のように吐き出さた。その血を浴びてなお、俺の意識が正常に戻ることはなかった。
ただ、いつものようにおかえりと、いってらっしゃいを言ってほしかったんだ。
うすら冷える朝の空気を窓を開けて呼び込み、起用に朝ご飯を作る。そんな日常を守りたくて…そこにはリィしかいなくて…。
「お、お兄ちゃん?…どこ?…もう、…見えな……げほっ!!暗いよっ…真っ暗、で…おな、か…いたい」
「大丈夫だ、大丈夫。」
誰に向けて言った言葉か。
リィに対して言っているはずなのに俺は自分自身に向けて言っていた。
大丈夫でなくてはならない。だってリセイルを打ったのだから。元に戻らなくてはならないはずだ_____。
「!?おいっ!!!!!…リオッ!?そこにいんのっ、リオか!!!」
「…」
突然名前を呼ばれ、視線をやると赤髪の長い髪の大男がいた。
自分の身の丈ほどもある大剣を片腕に握り、こちらに走ってくる。
それは、コンクエスト、ライオンのリーダー。レイル=モナークだった。
コンクエスター達の頂点に立つ人類いや異形種最強の男。
「レイルか、何の用だ…。」
「アァ?てめぇ…何の用、だぁ?お前と俺が先陣のはずだろが!!んで、こんな端にいんだよ!!
って、そいつ…進化してんじゃねぇかっ!!バカか!!!!!今すぐ離れろ!!」
レイルの大剣の切っ先がリィに向けられる。
その途端俺はレイルの大剣を俺のマチェットで弾き飛ばしていた。
不意打ちだったのか、普段なら投げ出されるはずのない大剣がレイルの手から離れる。そう遠くないところ
に鈍い音を立てて転がった。
「…オイ。リオ…てめぇ。_____何考えてやがる」
「俺の台詞だ、レイル。…リィにそれ以上近づいてみろ。例えお前でも___________殺す。」
「なっ…?!リィ?それ…リィちゃん…なのか?」
「だとしたら?…リィは必ず助かる…もう、リセイルだって投与したんだ。」
効かないはずがない。
俺はうわ言のように繰り返していた。
もう、レイルが何を言っているかなんてどうでもいい。
ただ、俺はリィがまた笑うことだけを考えていた。
「リオ…」
「消えろ…レイル。お前に用はない。」
唖然と立ち尽くすレイルを放置してリィを抱え直した。
「グゥッ!!!!!!!ガッ…ハッ…っ??????」
抱え直したはずだった。
しかし、俺の腹部には熱く重い痛みが襲いかかり、体は宙に飛ばされ瓦礫の、山に叩きつけられた。
何が、起きた?