閑話【エリカ=ファインブルケ=カーナック】
閑話 (エリカ=ファインブルケ=カーナック)
リオ様がラビットの本部を後にしてから2日が経ち、何となくの寂しさをシリルをいじることで紛らわす日々が始まりました。
「はぁあ…。」
「?エリカ嬢…また随分と大きなためいきですね?」
コーヒーの温かな香りが漂う談話室でマグを磨いているルイズが声をかけてきた。
私の前にも香り立つコーヒーが置かれていたけれど、だいぶ時間も経ってしまったせいか最初ほど芳しい香は放っていない。
「当然でしょう。だってリオ様がいらっしゃらないんですのよ?それにライオンに呼び出されたと聞いて平静でいられるほどエリカは大人ではないんですの。」
「ふふッ…恋、していますね。」
「笑い事じゃありませんわ!!!!」
死活問題だ。
1日でもリオ様のお顔を見ることができないなんて…
脳裏に浮かぶのはぶっきらぼうでいつもむすっとした顔ばかり。その癖、優しい時はとても懐深く表情が柔らかくなるのだから。
ズルイ…とエリカは呟いた。
「エリカ嬢とリオの出会いは確か…リオに助けられたんでしたっけ?」
「そうよ…。リオ様はそれはそれは颯爽としていて、あの時の感動をエリカ、忘れたことないんですの…。」
冷めてしまったコーヒーのマグを両手でキュッと握る。
ほんのりと温かさを伝えてくれるマグに目を細めた。
そうあれは、私が14であった頃。
父の仕事の関係で「外回り」という視察に来ていた時だった。
私はとてもじゃないけどスラムなんていかにも危ない場所に行きたくなくてゴネてばかりいた。外回りといっても馬車の中からスラムの状況を観察し、まだマシな地区を見つけては父の貿易関係の労働者たる人間を引き抜きにきたのだ。スラムの人間は仕事を求めているし、お父様は安い人件費で使える労働者を求めている。
ウィンウィンの関係だ。
 
一応スラムだし、馬車の周りにはそこそこに護衛もつけていて…、そんな屈強な男達に囲まれた馬車を誰が襲うとも予想しなかった。
「あら?…あれは、…お父様?あそこにいる方なんてどうですの?ガタイもよく、力仕事にはむいて________」
馬車の窓から見えた男に目を向け、お父様に報告しようと振り返った瞬間だった。
馬車が突然グラリと傾きそのまま横倒しになったのだ。突然変わった視界と体制に全てが追いつかない。
「クッ…!!!ッ何だ!!!???何事か!!!」
「カーナック様!!!どうかお逃げ下さい!ドリフがっっ!!、グァッ!!!?!」
お父様の腕に抱かれた中で騎手が勢いよく扉を開けて逃げろという。
________ドリフ?
訳が分からずお父様の腕を握る力を強くすると次の瞬間、騎手は目の前から消えていた。
「オーラ見ろよぉ?…上等な獲物じゃァねぇーか?」
「ヒッ…」
血走った目に血に濡れている大きなナイフ。
その血をペロリと舐めて人にしてはどこか鋭い歯をチラつかせた男が馬車の入り口に立っていた。
それは、私が馬車の窓越しに見た男だった。
…どうやって道を隔てたこの距離をあの一瞬で縮めたのか…理解できなかった。
それに護衛達はどうしたのだろう________。
考えるだけ無駄なことかもしれないけれど…。
「いーやまさかこんな大物に会えるなんてなァ?…カーナックさんよぉ〜」
「き、貴様…何が目的だ、」
ナイフを器用に弄びながらこの狂った男はニタリと口を歪めた。お父様も強がってはいるがガタガタと震えているのが腕越しに伝わってくる。
「目的ィ?んなもん金だよ金。俺たちコンクエスターの逸れもんはよぉ〜、使えねぇってついにリセイルの支給も断ち切られて殺されるんだぜ?そこをほら、あー…うまく逃げて金のある奴から金をとってリセイルを買う。まぁーぁ?自給自足ってやつだアア!!!!」
「戯言を…守るべき市民に刃を向けてコンクエスターの恥さらしめ…」
「アッヒャヒャヒャヒャ!!!!ハァーァ?アーンタ、頭おかしいんじゃねェの〜?最初に俺らを怪物に変えたのは…お前らだろうがよぉ〜〜???」
「…何を言って…」
この男が言っていることの意味が私には理解できなかった。
私たちがこんな狂人を生み出した、など言われて納得できることでもない。恐怖に縮こまりながら男の言葉の意味を考えた。
「おーやおやおやァ???こりゃまた可愛らしいお嬢さんで、いいねいいねいいねいいねぇえええ???パパ殺した後にアンタで遊んでやるよ…ヒヒッ」
「ッ…」
「貴様ッ!!!娘に手を出してみろ…ただじゃおかないぞ…」
「アァン???テメェに何ができるんだよオッサン!!!」
「グァッ…」
背中を勢いよく蹴られたのか、お父様越しに鈍い衝撃がして広い馬車の中を転げた。
痛いけれどそれどころではない…。痛みで緩んだお父様の腕から私の体が引き剥がされる。狂気に歪んだ顔で伸びてくる腕で私を捉えて離さない。
必死にお父様にしがみついていたけれど、ナイフで切りつけられては従わざる得なかった。
「イヤッ…た、たすけ…」
「エリカッ…!!!」
「ヒャッヒャァアーーーー!!!!タッッマンないねぇーーー????」
傷だらけのお父様が手を伸ばしてくれるけれどその手が届くはずもなく私は背中から抱えられた状態で首には血のついたナイフがピタリとつけられていた。
「ンーーーだ、アッそうだ。お前のパパの前でテメェのことぶち犯してやんよ?ナァ???」
「ヒッ…なっ、なにを」
ベロリと顎から頬にかけて長い舌で舐められ、男が言った言葉が頭に入ってこない…
今、何て…?
「なっ!?!?…やっやめろ!!やめてくれ!、!金ならいくらでもやる!!!だから!」
「アーーそうそうその顔ですよォオオ????いいねいいねいいねいいねぇえええ???」
男の腕に力が入ったかと思うと次の瞬間私の胸元の布がビリビリと縦に裂けていた。
パァンと弾け飛んだボタンや装飾、刺繍がほつれ破かれる。
そこまできてやっと今からナニをされるか理解が追いついた。
人間本当に怖いと思った時、声どころか呼吸さえもままならないようで、私の口からはか細い息しかもれなかった。
男の手が向かってくるのがまるでスローモーションのように克明に見える。
父の声も男の笑い声も何も聞こえなくて、何も考えられなかった。
生理的に流れた涙が頬を伝った時男の後ろからぼんやりと人影が見えたような気がした。
見えたと思った瞬間、寸前まで来ていた男の腕は消え、姿さえも見えなくなった。
次の瞬間聞こえてきたのは男のくぐもったうめき声と、馬車の床がメキメキと軋む音、________そして、
「無事か…」
漆黒の髪と海の底のような青い瞳だった。
***
「それがリオ…だったんですね。ヒーローじゃないですか」
「ヒーローなんて曖昧で希望しかくれないようなものじゃないですわ。ヒーローなんかよりも…そうね、…
もっと確実性があって、そう…ハンター…?いいえ、違うわ…もっとこう…何かしら?
それこそ、コンクエスターそのものと言えるかしら…?」
「ハハッ…すごい評価ですね。」
凄いどころかこれでも足りないくらい。
リオ様は私にとってそれほどの衝撃だった。
息を飲むとは本当にあの感覚なのだと、時を止めたような、あの青い目を見た瞬間まるで自分が本当に獲物になったかと錯覚した。恐怖とはまた違う、自ら自分を捧げてしまうような、そんな強制力があったようにも思った。
あの狂った男…通称『ドリフ』というらしいモノはコンクエスターの中でもはぐれ者で禁忌を犯したり制御できなくなって凶暴性が増し、手に負えなくなったモノの総称らしい。業界ではよく使われている名称のようで私も保護されてからわかったことだった。
ドリフの頭を鷲掴み地に沈めただ、淡々と対象の安否を問う。
そこにはかけらも心遣いとか優しさはなかったけれど、一番に自分を救いにきたという目的がはっきりとわかった。
「吊り橋効果と人は言うけれど、私はそうは思わないわ。」
「…はい。」
新しくコーヒーを淹れなおしたルイズがエリカにマグを渡す。ぬるくなってしまったコーヒーをルイズに渡し、新しいコーヒーを受け取ったエリカはゆっくりと息を大きく吐いた。
「…いい香り」
「嬉しいですね、ゆっくり飲んでください。リオの帰りを一緒に待ちましょう?」
「えぇ、そうね…。待つのもまた恋の楽しみの一つですわ。」
どこか大人びた表情をふと見せる少女にルイズは驚き、こんな表情をさせている本人を思い浮かべた。
(罪な人だなぁ…)
本人は自覚していないが実はリオはラビットの女性構成員から密かに人気を集めている。
ミステリアスな雰囲気もそうだが、寡黙でここら辺では見ないようなテイストの顔立ち。艶やかな黒髪の間から覗く静かな青い瞳。
ライオンにいた時はそれは周りが煌びやかすぎて目立つことはなかったが、ラビットに降格してからは目鼻立ちのこともあり静かに熱狂的なファンがいる。
ほうっとミルクたっぷりのコーヒーを飲みながらここにはいない人物に想いを馳せる少女を微笑ましく見守った。
今はちょうど2時を過ぎたところでゆっくりとした時間が流れている。静かな時間の中でエリカの惚け話がまた始まった。




