子供たちの国
先月、アメリカのテネシー州ノックスヴィルで十二歳の少年が銃撃戦に巻き込まれて死亡した。
去年の暮れにやはりギャングの銃撃戦から友達を守ろうとして死んだ十五歳のいとこを追悼した銃規制式典の帰り道だったという。
2014年1月にはパキスタンで十五歳の少年が一人、自爆テロに巻き込まれて死亡した。
テロリストは学校で自爆しようとしていて、そのころ校庭には朝礼で生徒全員が集まっていた。
その少年はテロリストが校庭に入るのを制止しようとして、しがみつき、級友をかばう形で爆死した。
彼らは氷山の一角だろう。
だが、単純がゆえに純粋化された子供たちの正義や犠牲を前に、わたしたち大人は何もできない。
世界をずっと素晴らしいものにする方法が分からず、途方に暮れている。
銃規制やテロ撲滅は複雑な迷路に迷い込み、出口を見つけたころには、すっかりくたびれはてて、「何をやっても変わらない」という諦観を見出すばかり。
せめて、彼らのために永遠の王国があると信じたい。
何の悩みもなく、暴力もなく、彼らの勇気は一つとして漏れることなく反映され、ずっと素晴らしい世界をつくっていく。
ささやかな美徳を嘲笑う皮肉主義も、いかなる努力にも価値を見出せない諦観もない、悪い大人たちが彼らに理不尽な暴力や犠牲を強いることのない永遠の王国。
そう考えること自体が、大人の弱さを露呈しているとしても、そう考えるくらいしかできないのが哀しい。