第2話 観光ガイド、決断する
走馬灯を見ていた。
一番最近の仕事ーーイタリアでガイドをした俺とクロの姿が浮かぶ。
数え切れないほど訪れたイタリアの知識を活かし、情報豊かなガイドをする俺。
堪能な言語力と笑顔で打ち解け、リピーターを獲得するクロ。
我ながら、絶妙なコンビネーションだと思った。
こうしてハルキ・クロエコンビは一躍人気のツアーガイドになった。
お客様満足度は現在、業界トップの驚異の98.8%。
俺とクロが笑いあう。
そんな景色を最後に、夢は溶けるようにうっすら色を明るくして……。
「ここ……どこだ?」
かたん、かたん……
旅客機の飛行音ではない、ゆっくりした音で俺は目を覚ました。
目を開くとそこに見えたのは板張りの床。
規則的な音に合わせて床が軽く上下し俺の顔を叩く。
それに加え、たまに聞こえてくる馬のいななき。
周囲の空間を布で囲まれているため全容は把握できないが……
察するに幌馬車の中か?
体を起こすと、目の前に座っている誰かが「あ」と声を漏らした。
「やあ、起きたみたいだね」
1人の女性が凛々しく微笑みかけてきた。
聞き覚えあるハスキーな声。
端正な顔に浮かんだ穏やかな雰囲気。
そして、その裏に隠れた深読みせずにいられない何か。
誰だっけ。混乱してて思い出せない。
なんか嫌な思い出があるような……と。
彼女が不意に頭を振って、鎖みたいに連なる三つ編みが揺れた。
腰に差した長物が床板に軽くぶつかってかちん、と鳴る。
ーー瞬間。
気絶前の記憶がフラッシュバック。
「お、お前はさっきのハイジャーーっとぉ⁉︎」
思わず後ずさるが、タイミングよく馬車がガタン! と揺れて転びそうになる。
「慌てない。大丈夫?」
「お、お前、何のつもりだ⁉︎」
「とにかく落ち着いて。彼女が起きてしまうよ?」
彼女は俺をなだめるように言って、馬車の端を指さす。
その先に見えたのは宝石みたいに輝く1束の金髪。
それを辿っていくと……いた。
俺がいる場所と対角線上の隅っこに。
「すー、すー……んむぅ、しぇんぱい?」
金髪碧眼ハーフでおなじみのクロだった。
碧色の瞳がゆっくり開いて俺をぼんやり見つめる。
やがて周りの様子がおかしいことに気づいたのか、ぐるっと周囲を見回して視線を俺に戻した。
「どこの空港ですか?」
「空港だったらどれほどよかったか……ほれ、そっちの人」
「あ、あれ? さっきの?」
「明答。今のうちに自己紹介しておこう」
そう言いながら謎の三つ編み美人は俺たちの2人の前に出る。
反射的に身構えてしまうが、彼女は意外にも床に膝をついて頭を下げた。
「謝罪。まず手荒な真似をしてしまったこと許してほしい」
「お、おう」
「は、はい」
「私はエルカナ。エルカナ・シャーネリーだ。エルと呼んでくれていい」
「どうも……俺は又吉春樹」
「白鳥クロエです。クロって呼んでください」
一旦会話が途切れた瞬間を狙って俺は口を挟んだ。
「とりあえず聞きたいことが多すぎる」
「当然。君たちの不安は想像に難くない」
「ここはどこだ? 君は何者? 何で俺たちはここにいる?」
「尚早。詳しいことは私の主が話すことになっている。少し待ってほしい」
「俺たちは今すぐ知りたいんだけどな」
「了承。ここはどこか、という質問には答えよう」
言いながらエルはすっと立ち上がり、馬車の幌を掴んだ。
少しだけペラっとめくって俺たちを手招き。
「ここは私の地元、城壁都市パルコム。そして君たちにとっては……」
開け放たれた幌の外に広がる景色を覗き込んで。
目を奪われた。
「異世界、と言うのが手っ取り早い」
まず目に飛び込んできたのは、活気のある巨大な市場。
日よけの布が広げられた下に露店が連なり、客引きの声がよく響く。
店先で豪快に積み売りされているのは見たことのない果物や野菜。
露店も並ばない場所には屋台が並び、市場の空気に家庭料理の匂いを充満させていた。
市場の向こう中景には、家が密集している区域が見えた。
どれも古代ローマ帝国時代のような石造りの家。
大きな物になると立派な城のような建物まである。
まるでファンタジーの世界だ。
そして一番驚かされたのは……遠景。
天高くそびえ立つ城壁だった。
まるで巨人の進撃を防ぐかのようにぐるりと町を囲っている。
正確な高さはわからないが、万里の長城を真下から見上げたような迫力だ。
世界中を旅している俺たちだが、こんな町は見たことも聞いたこともない。
「信じてくれたかい?」
映画のセットでも見ているような気分の俺とクロは、エルの声で我に返った。
この賑やかな街並み。
このどこか懐かしい雰囲気。
加えてエルが言うことを総合して考えると……
認めざるを得なかった。
「ここは……俺たちの知っている世界じゃない」
「どひゃーっ!」
クロの反応も、しょうわのかほりを漂わせていた。
★★★★★★★★★★
なんでも俺たちは、わざわざ「喚び出された」らしいのだ。
「そういうわけでさー。こっちもピンチなんだよねー」
へらへら笑う表情の奥が、深くて見えない。
こっちの世界唯一の観光旅行会社、その社長室にて。
エルが主と呼ぶ若い男性ーーリヒテン・レッシュ社長は、いまいちピンチ感の伝わってこない声で状況説明を締めくくった。
「えーっと、ちょっと待て」
俺の方から聞いといて失礼だが、その情報量に圧倒されてしまう。
頭の中を整理しがてら横にいるクロに話を振ってみた。
「クロ、どう思う?」
「信じられないです……」
「俺もだ」
「もっとエルちゃんの主は年配だと思ってました」
「そっちかい」
クロの天然に癒され、すっかり落ち着きを取り戻す俺。
一息ついてから、聞いた情報を言葉にして噛み砕く。
「確認するぞ。あんたのやってる会社ーーレッシュ観光社はこの世界で唯一、旅行業を取り扱っている」
「うんうん」
「主な仕事はあの……城壁? の外にある観光スポットへのツアーガイド」
「その通り」
「でも経営が立ち行かず、早速潰れそうになっている」
「『ガイド』のノウハウがわかんなくてさー」
「それで、旅行業の盛んな世界からプロの俺たちを召喚したと」
「お願いだよー。少しだけでいいからココで働いてくれないかなー?」
レッシュ社長の緊張感なき表情はやっぱり変化がなかった。
しかし話はわからないでもない。
ガイドは専門職。
専門の訓練と経験を積んでようやく1人前になれるシビアな職業なのだ。
だから、プロをスカウトするという選択は正しい。
……正しいんだが、それはあくまでそっち側の都合で。
俺は、今1番心にかかっていることをついて話す。
「そっちが苦労しているのはわかった。でもな、俺たちにも仕事がある」
「だろうね。ハルキっくんがニートだったらスカウトなんてしないよ」
「茶化すな。俺は向こうの世界の住人だ。外国旅行と異文化交流は仕事にするほど好きだが、こっちに移住するつもりはない」
「じゃあ、こっちと向こうの仕事が両立できればいい、と?」
「それができるなら検討するが、そう簡単にも行かなーー」
「うんいいよー。その条件、乗った」
「は?」
実にあっさりとレッシュ社長は言ってくれた。
困惑する俺をよそに、レッシュ社長は椅子にふんぞり返りながら足を組む。
「これでも僕は上級の《スキル》を持っているからね。2人を仕事に間に合うよう元の世界に帰すことも朝飯前なんだよー」
「《スキル》?」
「そう、この世界限定で使える特殊能力みたいなものかな」
見せた方が早いね、と言いながらレッシュ社長は近くの紙切れを指差す。
指さしたままの人差し指をパチンと鳴らす。
瞬間ーー紙切れは消えた。
まるで最初からそこに存在しなかったみたいに。
「は⁉︎」
「ふぇっ⁉︎」
「5秒後のハルキっくんの手に転送するよ」
1……2……3……4……5。
ぼんやぁり、と。
俺の手の中に紙切れの姿が浮かび上がった。
くしゃ、という感触。
起きたことが信じられなくて、息を呑む。
「信じてくれた?」
「……あ、ああ」
「一応言っておくと、ハルキっくんにもクロエっちゃんにも《スキル》の気配がするから何か持ってるかもねー。気に留めておくといいよ」
ネックになっている問題を簡単に解決され、拍子抜けしてしまう。
それどころか何かすごげな《スキル》まであるだって?
レッシュ社長の話を邪険に断る理由はなくなってしまった。
いやむしろ、魅力的ですらある。
地球人の誰も知らない世界を旅できる。
今までしたことのない経験ができる。
自分のガイドがこっちでも通用するか試してみたい。
そして少しだけ首を傾げながら悩んで……
「せんぱいせんぱい、やってみましょうよ」
「え?」
口を挟んできたのはもう1人の当事者……クロ。
期待に瞳を輝かせ、ウキウキした表情で俺を見上げていた。
「せんぱい、昔から『誰も知らない場所を1番最初にガイドしたい』って言ってましたよね? これってチャンスじゃないですか?」
「それはまあ、昔からの夢だけど」
「じゃあ迷うことなんでないですよ。やりましょっ!」
「俺はそれでいいかもしれないけど……クロは」
「クロはもちろん、せんぱいの相方としてご一緒します!」
「で、でもな……」
「見てみたいんですっ! せんぱいの夢が叶うところ!」
そこまで強く、ガツンとクロの意見をぶつけられて。
ふと、大切なことを思い出す。
俺たちガイドにとって1番大事なのは……チャレンジ精神。
失敗を恐れず、万全の下準備と最大の努力で異文化に立ち向かうこと。
……そうだ。
だったら、迷うことなんてない。
最強で最高の相方に後押しされ、俺は1歩前に進む。
「安全は保障してくれるんだろうな?」
「もちろん。ウチで最強の護衛をつけるよ。ねぇ、エルっちゃん?」
「御意。このエルカナが命に代えても2人を守るよ」
「……じゃあ」
一旦言葉を区切ったのは、レッシュ社長に手を差し伸べたから。
少しの間も開けず、ガシッとその手は握られる。
「しばらく世話になるぞ、レッシュ社長」
「うんよろしく、ハルキっくん。クロエっちゃん」
こうして俺とクロは。
こっちの世界をしばらくお試し体験してみることになった。