079 焦りは消えた
──「落ち着け、お前ら!」
五人は共に変な顔をした。全員が聞こえているのだ。それも、客席方向から。
──「その運び屋ロボットの速度を落とすんだ! 最初の段階でスピードアップして以来、動きが不安定になっている! 左右にブレブレだぞ!」
はっ、と最初に気づいたのは悠香だった。この声は冬樹のものだ。
──だけど、こんなに音が溢れてるのに、どうして……?
訳が分からず戸惑うフェニックスに、さらに『冬樹の声』は畳み掛ける。
──「いいか! 焦るな! 焦らずにきちんと現実を見ろ! 隣のそのチームは威勢はいいけど、逆に言えばそれしかないんだぞっ!」
ごくり。
五人は息を呑んで、隣のチームを見つめた。
その時、悠香の耳に届いたのは、確かに冬樹の声であった。
「……お前、それは?」
叫び終え席に着いた冬樹に、友弥が呆気に取られたような顔で尋ねてくる。視線の先にあるのは、冬樹が右手で握る不思議な形の機械だ。見かけはただのマイクに近いが……。
「ああ、これ」
冬樹は笑って、何でもない事のように言う。「超指向性マイクロホン」
「?」
「収録した音を一方向に集中して放出する装置だよ。似たような要領で衝撃波を発射するマシンは尿管結石除去とかの医療技術に使われてるし、非殺傷兵器として軍事利用もされてるんだ」
ふうん……としか、友弥は返しようがなかった。
そこも気になったが、友弥の関心はその入手経路にある。そんなもの、どうやって手に入れたのだ?
尋ねると、すぐに冬樹は答えを口にする。「性能低いのなら通販でも売ってるけど、うちの物理部が自力開発に成功したってんで借りてきたんだ。使うかもしれないって思ってさ」
「……何たる先見の明」
ふふん、と冬樹は少し威張るように口元を歪めた。今はその笑顔が、何とも逞しく見える。
「……あいつら、いきなりそばにあんなのが来たから、落ち着きを失ってるんだと思う。ロボットの不調だってたまたまタイミングが悪かっただけで、無関係のはずだ。でもあいつらは焦ってるから、それがあたかも同一の理由から生じた現象かのように考えてしまう。そこに気づかなきゃ、先には進めない」
冬樹の語りには説得力があった。この辺りは端のため、敵チームが少ないのと同様に声援も少ないのだ。不馴れな環境にいきなり置かれたら、やりにくくて仕方なかろう。
「……あなたの言う通りね」
細かに首を振りつつ、長良が後を続ける。
「あの速度なら、何が起こっても仕方がないもの。私たちの作ったロボットだって、想定以上の速度を出したら事故が連発した。安定させるには、スピードを犠牲にするしかない」
「…………」
「最終的には、あの子たちの判断次第ね」
長良はそう言うと手を組み、そこに顎を乗せて静観の構えを取った。
冬樹も友弥も残りの三人も、同じようにした。
「……落ち着こう、みんな」
他の四人を見回し、悠香は言い聞かせる。「深呼吸しよう」
すうっ、はあっ。
長く長く吸い込んだ息は、煙った肺の奥へと染み渡るようだった。思えばスタートから数十分、こうして静かに過ごした事があっただろうか。
「アドバイスの通りに、【エイム】の速度は落とそう。ゆっくりでも、積み上げられないでロスタイムが生まれるよりはいいよ」
停止信号を受けてしんと静まり返っている【エイム】の駆体を撫でながら、悠香はわざとゆっくりと言葉を繋ぐ。何もかもが忙しないこの空間にあって、このフェニックスの陣地だけが宙に浮いたみたいであった。
「……そうだね」
呼応するように口を開いたのは、菜摘だ。
「私たち、遅いのは元から分かってるもん。他所のチームがいくら早くたって、私たちには真似できないし追い付けないよ。そのために【ドレーク】があるんだから」
かく言う菜摘の背中の向こうで、群馬学苑上野の塔は早くも三メートル近くに達しているようだった。このまま野放しにしていては、五メートル突破は時間の問題だ。
だが、今となっては五人に焦りはない。
「一つ一つ、確実にクリアしよう。周りに惑わされちゃダメだよ」
悠香の締め括りに、フェニックスのメンバーは大きく頷いたのだった。
考えてみれば、簡単な事だ。【ドレーク】を修理し、その足で群馬学苑上野の塔を突き崩す。【エイム】と【ドリームリフター】はいつも通り、塔を積み上げる作業を続行すればいいのだから。
「今度は、大丈夫」
その言葉と共に、麗はリモコンを陽子に手渡した。心なしか、少し重さが増しているように感じる。
「ありがとね」
ニッと笑った陽子は、受け取ったリモコンを【ドレーク】に差し向けた。照準、前方の塔。狙いはあれだけだ。
「行けえっ!」
【ドレーク】は急発進し、いつもの速度で群馬学苑上野の陣地に突入した。すぐに陽子は自動操縦に切り替える。改造魚群探知機によって『積み木』の塔を認識した【ドレーク】は、目の前に立ち塞がろうとしたロボットを一撃のもとに塔に叩き付けた。向こうのメンバーが声を上げる間も与えず、直ぐに二度目のアタックに移る。
ガラガラガラ!
三メートルにも及んだ塔は、見事に倒壊した。
「よっしゃ──っ!」
「見たかこのヤロー!」
会心の笑みを浮かべ勝鬨に沸くフェニックスの陣地を前にして、遠賀たち群馬学苑上野『Psycho-don』の面々は、ようやく自分たちが敵に回した者たちの恐ろしさを知った。彼らの──いや、彼女らの操る攻撃ロボットは、その見かけに反し著しく強力なのだ。
「……もう少し、向こうに行くか」
応援団のエールが聴こえているにも関わらず、すっかり力の失せた声で遠賀はそう言った。反対する者は、誰一人いなかった。
競技開始から、まだたったの三十分。
だがそれは、互いのチームを焦らせ、不用意な行動を誘発するには十分な時間だった。
混乱していたのはフェニックスだけではない。このフィールド上に展開するチームのほとんどが、どうしたらいいのかも分からずに路頭に迷っているような状態だった。そんな中を、ロボットだけが指令を忠実に守り、駆けずり回っていた。
そう。
こんな状況下でも確りと未来を見据え、きちんと戦略立てて行動することのできるチームだけが、この混沌の戦争に勝つ。
◆
──何が起こったのか、分からなかった。
本当に、何も分からなかった。
その時、県立船橋工業高校『船工ビクター』メンバーの矢作勇は、リモコンを操作し、『積み木』を担ぎ上げた輸送ロボット【海運丸】を、自陣へと誘導しているところだった。
一瞬の出来事だった。驚異的なスピードで眼前に迫ってきた一台の攻撃ロボットが、何かを発射した。そしてそれが、真っ直ぐに矢作の目の中へ飛び込んできたのである。
「…………えっ?」
矢作には避ける暇はなかった。
状況を読み込んだ時にはもう既に、攻撃ロボット【震電改】のコイルガンが放った弾丸が、左目を深く抉っていた。あまりの痛みに矢作は目を押さえ、その場に崩れ落ちる。
「あぁっ……! くっ……!」
「大丈夫か⁉」
仲間がばたばたと駆け寄ってくる。その中には、【震電改】の誘導にあたっていた『東高軍』のメンバーもいた。
「やっちまった……!」
彼の顔が真っ青に変色してゆく様を、矢作がその目に収める事は、できなかった。
ロボットによる人間への攻撃は、理由の如何に関わらず違反行為と見なし、そのチームは退場とする。
規則違反を起こした『東高軍』には、駆けつけた審判員から即座に退場命令が言い渡された。戦略とは言え、危険な攻撃に走りすぎたのが禍したのであった。
左目を負傷した矢作勇は待機していた救急車に運び込まれ、『船工ビクター』もまた貴重なメンバーの一人を失うことになったのであった。