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ロボコンガールズ  作者: 蒼原悠
Ⅲ章 ──和を以てチームと成す
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042 反省




 悠香がハンダ鏝を失敬したことは、その日すぐに発覚した。

 厳密には、『誰かが持ち出した』ということまでだ。例の新学年始めのテストの採点がやっと片付いた物理課では、授業の少ない今日を利用して備品のチェックを予定していたのである。

「……一本足りない」

 苦々しい声で高梁は呻いた。どれが、と口々に尋ねる物理課の他の教諭たちに、チェックリストを振りながら告げる。

「ハンダ鏝です。クラスで二人に一人分行き渡るように十五本あったはずなのに、十四しかない」

「実験室から研究室に持っていっていたとかではないんですか?」

「ないだろうな。昨日、うちの研究室も整頓しただろう」

 確かにそうだ、と常願寺は黙り込んだ。だとしても、一体誰がハンダ鏝なんかを。ただ電気を流せば高温になるというだけの棒に、魅力もへったくれもないだろうに。

「ハンダ鏝を使うような実験は、ここ数年間行っていませんしなぁ」

 全学年を受け持った経験のある教諭が、並ぶ机の向こうで首を捻っている。常願寺は高梁の顔色を窺った。そうだろうとは思ったが、高梁には既に大方予想がついていたようだ。

「……呼び出すか」

 彼は、低い声で呟いた。




 かくして、悠香、陽子、亜衣、菜摘、そして麗は、物理課の研究室に召喚されたのである。

「…………」

「…………」

 麗を除いた全員、顔が引き攣っている。体育課をも差し置いて圧倒的な恐怖の権化として君臨する、あの物理課に呼び出しを受けるなんて、可哀想に……。後ろからヒソヒソ囁かれながらここまで来たのである。

「……そもそもこのメンツで顔を合わせるのも嫌なのに……」

 隣の麗にすらも聞こえるかどうか怪しいくらいの声で、亜衣がこぼした直後。厳つい顔をした高梁が、靴音を響かせながらやって来た。

「物理実験室の備品が一つ、行方不明になった」

 仁王立ちになった高梁は、いきなり本題に入った。「ハンダ鏝だ。通常、物理の授業では使用しないものだ。物理部は自前で所有しているから、持ち出した犯人は一般生徒である可能性が極めて(・・・)高い」

 極めて、の部分が特に強調される。お叱りを受けるわけではないのか、と思って一瞬気を抜いていた亜衣だったが、展開は斜め上方向に亜衣の予想を越えていった。盗みなんて、とんでもない。立派な犯罪ではないか。

「……あたしたち、そんなことしてないよね」

 潜めた声で陽子が囁く。当たり前だ、と亜衣は頷いた。菜摘と悠香も亜衣に続く。麗は何もリアクションをしていないが──この中では一番可能性が薄そうな気がする。

「君たちが最も怪しいと、物理課の意見は一致したのだがな」

 高梁の威圧的な声色に、陽子が懸命の反論に出た。「ちょっと待ってください、さすがに決め付けが酷くないですか? あたしたちが怪しいなんて、何を証拠に……」

「以前に備品を破壊した者たちの台詞とも思えんがな」

 陽子は言葉に詰まる。バカだなぁ、と亜衣は思った。こういう時はただ、事実だけをありのままに伝えればいいのだ。

「私たちは、誰も盗んだりしていないです。誓っても構いません」

 真っ直ぐに目を見て言うと、さすがに高梁にも届いたみたいだった。表情は動かないが、瞳が動いた。

 用件はそれだけだろうか。だったら、こんな空間にはもう居たくない。色んな意味で。

「失礼しました」

 声を張ると亜衣はくるりと後ろを向いた。菜摘も陽子も、同じようにしてドアに向き直ろうとした。


「──どうなんだ、君たちのロボットは」


 高梁の言葉が背中を乗り越えてきた。

 その言葉に声を返せた人間は、一人もいなかった。いるはずがない。だって、解散したのだから。

 亜衣がそう思った時だった。悠香の声が、研究室の入り口に響いたのだ。

「順調です!」

……亜衣は思わず我が耳を疑った。何だって? 順調?

「ほう、それなら良かった」

 本気さの一切感じられない声でそう言うと、高梁はもはや用済みとばかりに踵を返した。そして一歩踏み出そうとして──、未だ誰一人として動かずにいた五人に、最後に付け加えた。

「君たちは妙に自信をなくしているようだが、今日返されるだろう物理の答案に関しては、心配はするだけ無駄だぞ。さすがは弱冠中二でロボット製作に挑むメンバーと言ったところか。皮肉は抜きにしても、な」




「なに、アイツ」

 物理課を後にした陽子が、開口一番そう言った。

「心配要らないって何よ、超上から目線じゃん。そもそものっけからあたしたちだって思ってる辺りが、もう……」

「しょうがないよ。私たち、疑われても仕方ないようなことをやらかしたんだから」

 亜衣の言葉に、陽子は渋々口をつぐんだ。それくらい陽子だって分かっている。分かってはいるのだ。

 やけにすたすたと早足で歩く悠香に、次いで後ろから亜衣は切り出した。

「……ハルカ、順調ってどういうこと?」

「順調は順調だよ」

 悠香の声色はいつも通りの暢気さだ。「どうかしたの?」

「いや……何でもないわ」

 それ以上どんな言葉を続ければいいのか分からなくて、亜衣はそこで話を切った。何だろう、上手く言葉に表せないけれど、気分が悪い。違和感と驚きが変な割合で混じったような感覚、とでも表現するのがいいんだろうか。

 亜衣からすれば、ロボットの計画はもう完全に停止しているはずだった。なのに悠香は、『順調』と言ったのだ。悠香はまだ諦めていないということか? それとも……?

──正面切って聞けるわけないじゃん、そんなの。

 悠香に倣ってさっさと歩を進めながら、亜衣は苦い唾を喉に落とした。





 その夜のことである。


「八十八点⁉」

 数学の答案を一目見た母は、絶叫にも似た声で感嘆を表現した。

「すごいじゃないナツミ! どうしちゃったの⁉」

 えへへ、と菜摘は後頭部を掻く。誉められたのなんていったいどれくらいぶりだろうか。

 採点がようやく終わった数学や物理、それに国語などの教科が今日、まとめて返却されたのである。そしてそれらは高梁の予言通り、思っていたよりずっといい結果に終えられていた。物理を除くそのほとんどが、去年の学年末テストと参照しても見違えるほどの向上を見せているのだ。

「ここにある教科、どれも春休み中に頑張った教科だもんなあ」

 答案をばさばさと捲りながら、父も嬉しそうに口元をにやつかせている。

「ちゃんとこうして、結果が出たじゃないか。な、頑張ってよかっただろう?」

「……うん」

 何だか皮肉に思えて、菜摘は苦笑いした。親にやらされた事はこんなに大きな花を咲かせて、自分たちで取り組んだロボットは失敗に終わったんだなぁ。そう思うと、やはり親とは絶対正義なのかと思ってしまう。

「これでナツミも、努力して何かを積み上げることの価値が分かったでしょう? こつこつと地道な努力があって初めて、その先にゴール地点が見えてくるのよ。これからも、頑張りなさいね!」

「継続は力なり、だぞ。ナツミ」

 分かった分かった分かりました、とでも言って耳を塞ぎたい菜摘である。

──ったく、なんでもかんでも説教のネタにするから、こういうのは嫌いなのに。そんなに嬉しいなら早く私を解放してよ。

 両親の満面の笑みに、菜摘の作り笑い。その種類が異なるとはいえ、夕刻の渡良瀬家にここまで笑顔が溢れたのは、いったいどれほど久しい出来事だろう。




「長かった……」

 どさっとベッドに身を投げた菜摘は、たまっていたフラストレーションをその一言に全て詰め込んだ。

 どうにかならないのだろうか、あのクセ。結果を出すたびに延々とお説教では、頑張る価値も半減したように感じる。

 しかしまぁ、機嫌を上向きにできただけでもよかったというものだ。菜摘は答案を頭上に掲げた。プリントの斜め上の隅っこで、軒並み七十の大台を超えた点数たちが燦然と輝いている。名前が呼ばれてこの答案が返ってきた時、これまで感じたことのないくらいの安堵を覚えたのがまだ記憶に新しかった。まさしく空前絶後、望外の喜びだった。

「努力すれば叶う、か……」

 そうかもしれないな。春休み中の苦い記憶を思い出し、今度こそは作り笑いでなく笑うと、

 菜摘はふと真顔に戻った。


 今頃、悠香も努力をしているのだろうか。

 勉強ではない、もっともっと自分本位の『努力』を。


 今日、呼び出されたあの時あの場所で悠香の放った『順調』に違和感を覚えたのは、何も亜衣ばかりではなかった。

 菜摘だってちゃんと、気づいていたのだ。

「まだ……」

 菜摘は起こした上半身を壁にもたれかけると、呟いた。

「……まだ、諦めてないの?」


 努力には、色々あると思う。独りで出来るものと、何人かがいないと出来ないものと、二つ。

 勉強は前者、ロボットは後者だと菜摘は思っていた。単独でロボットを作れるほど、五人には知識も経験も技術も無い。それならば悠香は今、どの作業をしているのだろう?

──もしくは、誰かが手伝ってたりしてね。案外ヨーコとか。

 ないないと手を振りかけた菜摘。ふとそばのカバンを引き寄せて持ち上げた。

 中を開けると、くしゃくしゃになった一枚の紙を取り出す。

 それは、設計図だった。別れたあの日までの進捗状況は、きちんと細かく書き込まれている。


──このロボットに、そんなに魅力が?

 菜摘は首を傾げた。

──みんなが離れていっても未だなお、ハルカが頑張る理由は何だろう。だってこれ、ただ積み木を見つけて拾うだけのロボットじゃん。そんなのにどうして憧れるの?

……もしくは、ロボットそのものに理由があるんじゃないとしたら?

 菜摘は設計図を放り、寝転がった。違う、何かが違う。ロボットを作る行為そのものに、ハルカの望む何かがきっとあるんだ。


 そこまで思いが至ったところで、初めて菜摘は思った。


「……私、なんであのロボットの計画に参加しようと思ったんだっけ」


 そう考えたのは、本当に、初めてであった。気づいた時には計画を知っていて、そして乗っていた。菜摘にとってそれは、自然な流れで『当たり前の事実』へと変わっていたのだ。

──ノリで始めた、っていうのが正解だったのかな。ううん、違う。それだったら私、絶対もっと早い段階で抜けてるはず。或いはみんながやるって言ったから?

 それだ、と菜摘は直感で思った。

 思い返せばいつだって、自分は周りの流れに身を任せているばかりだ。参加するのも、抜けるのも。

 その理由も、今は何となく分かる。自分に明確な目標や夢がないからだ。他人に乗るのはラクだし、簡単だ。まして周りには成績優秀な陽子や亜衣みたいに、CPU部の片隅で燻っている自分の何倍も輝いている人が幾人もいた。羨ましいという気持ちはそのまま、真似して後ろを歩きたいという思いに繋がっていたのではないか。

──そんなんだから、すぐに親にも流されるんだ。したいことさえ、自分で分かっていないから……。

 ため息を吐くと、菜摘はもう一度図面を手にした。

 図面に黄や緑やオレンジの光が差し、昔の記憶を引きずり出した。




──理由なんかどうだっていいよ、今更。思い返せばあの時は、毎日が楽しかったなぁ。


 そう思った時、それまですっかり他人仕様だった菜摘の心にぽつり、ぽつりと疑念が湧き始めた。


──本当に、楽しかったと思うなら。

  なんで私たち、諦めちゃったんだろ。

  なんで、あっさり投げ出したんだろ。

  なんで、自分の心も解らないんだろ。

  なんでみんなに付いていったんだろ。


  ハルカに付いていけばよかったのに。




……間に合わない、とあの日頻りに言っていたのは陽子だ。

 本当にそれが、中断の理由になるだろうか。親の言い分が、そして自分の実績が正しいのなら、たとえ間に合わなくても努力は必ずいい方向に結果を残してくれるのではないのか。どんな結末であれロボット製作の『結果』が出るのは、ロボコンの会場ではないのか。やる前から諦めるのって、悔しくはないのか?

……自分でやればいい、と亜衣は見下し気味に言っていた。

 無茶を無茶と思えないあの悠香のことだ。そんなことを言うと、本当に独りで取り組んでしまうではないか。道を誤った時、行き詰まった時、そばに誰かがいてあげられる環境でなければ、ロボットなんて──いいや、未知の世界のモノなんて作れるはずもないのに。


 今の菜摘はあの日の全ての言葉に、きちんと反応することができた。追従するのではなく、確固たる自分の考えを口に出すことができた。

──『変なの、どうしてそこまで似合わない努力してるのさ。今まで通りでいればいいじゃん』。

 昔の自分が、背中を指差して失笑する。

 追い返すための答えを創るのも、今は簡単だ。


「結果も見ずに中途半端で終わるなんて、嫌だもん」

 菜摘は口にしていた。

「せっかくまだ続いてるなら、最後まで繋げたいじゃん。みんなで目指した努力の結果、ハルカが今も見てる未来、私にも見られるのなら……、少しでいいから、見てみたいじゃん」




 この時、菜摘の心は確りと、その方向性を決めたのだ。






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