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ロボコンガールズ  作者: 蒼原悠
Ⅱ章 ──99%のがむしゃらと、1%の進歩
27/111

025 真面目先生の告白




「──浅野先生」


 理科系の教室の入居する理科棟と、通常の教室棟との間に渡された連絡通路。低い声に呼び止められ、紙の束を抱えた浅野は振り返った。見るからに頭の固そうな男──高梁が立っている。

 嫌な人に会っちゃったな、と浅野は思った。生徒たちほどではないにせよ、『生真面目』の四字熟語を3Dプリンターで印刷したようなこの男が、浅野も好きではなかったのである。まして今日は仕事が忙しい。正直勘弁してほしい。

 とは言え、スルーする訳にもいかないので軽く会釈すると、向こうも小さく頭を下げた。

「どうなさったんですか、高梁さん?」

「ちょっと用件がありまして」

 横を向いて舌打ちでもしたくなった。そんなの分かってるわよ、用事がなかったら話しかけてくる訳ないじゃないの──とばかりに。

 それでも精一杯、普通の顔をする。

「何でしょう?」

「うちの部員から、苦情がありましてね。ロボット部の五人の部屋の使い方が、どうにも悪いと。使った部品の片付け方が違ったり、電気が点いたままだったり」

 悠香たちの事か。浅野はやや姿勢を調え、真面目に聞く態度を取る。

「それは、申し訳ありません。ですが──」

「それでですね、出来れば浅野先生の方から、何か言っておいて欲しいんです。先生は顧問をなさっているそうですし、来年もあの学年を持つのだと聞いたもので」

「……それは高梁さんがご自身で言いに行けばいいじゃありませんか」

 浅野は呆れた声を上げた。「物理実験室でしょう? 物理課の管轄なのですし、注意なんて顔をちょっと出せばいいだけではないですか」

「そうは仰いますがね……」

 こういう時、決まって高梁は言葉をぼかして明言を避けようとする癖がある。

「確かに私は顧問ですけど、春休みに入ってしまいましたし出勤日数も減ってしまうので、手一杯なのは私も同じなんですよ。高梁さんもお分かりでしょう?」

 イライラと怒りを込めた目で睨むと、高梁の堅い顔は塩でもかけたように萎縮する。いや、しかし無表情に近いことに変わりはない。

「申し訳ないとは思っているんですが、私の方も最近はなかなか時間が取れない都合もあるんです。春休み中は物理部も別の場所を使いますし、私も学会発表等の準備がある。それに、あの五人の登校スケジュールは把握していませんから……」

 忙しいを言い訳にする気か、この野郎。罵言は心の中だけに留めておいて、浅野は大人の対応を心掛ける。

「最近になって先生に大きな変化があったというようなお話は、特に聞いていない気がするのですけれど」


 すると高梁は、はは、と口だけで苦笑した。

「厳密には、私ではないんですがね……」

 訝しげに眉根を寄せた浅野をよそに、高梁は斜め上へと視線を移した。話をぼかす気では、なさそうだ。

「うちの物理課に二年前に新しく入ってきた、助手の先生がいるでしょう」

 知っている。

「確か、常願寺先生と仰有いましたよね」

「ええ」

……そこで初めて、浅野は気がついた。高梁は目を逸らしたのではなく、物理課の研究室を見上げていたのだ。

「昨年度から授業も持たせていたんですが、実は常願寺くんが今度開催される例のロボットコンテストに、審査員として出向くことになりましてね」


 ⁉


「……驚かれるだろうとは思っていました」

 驚愕の感情も顕な浅野の顔を見て、高梁は真顔で続ける。「常願寺くんは東都大学ではロボット工学を専攻していまして、そこの教授が今度の例のロボコンの監修をしているそうなんです。それで彼は今、準備の真っ最中でして。忙しくなって受け持てなくなった授業を私が引き受けたので、採点等の分量も倍になってあまり時間が取れないのです」

「…………」

「申し訳ない」


 それでは、と小さく頭を下げると、高梁は立ち尽くす浅野の横を通って行ってしまった。

 浅野はまだ、そこに立ち尽くしたままであった。たった今告げられたことの意味を、掴み切れないまま。




 つかつかと高い靴音を響かせ、高梁が歩いてくる。


「わっ、こっちくるよっ!」

「隠れろ! 早く!」

「偵察を思い出すなぁ」

「しみじみしないでレイっ!」

 小声で大騒ぎしながら、悠香たち四人はトイレの中へと逃げ込んだ。ドタバタ音を響かせたつもりはなかったが、高梁は何か感じたらしい。辺りをキョロキョロ見回している。

「……あっぶねー。さっきの立ち聞きしてたなんてバレたら、また面倒な事になるトコロだった」

 陽子が安堵のため息をつく。

 鍵を返し終えて下の階へと下りてきた四人は、浅野と高梁が廊下で立ち話をしているシーンに見事に出会(でくわ)したのであった。ついでだからと壁に隠れて盗み聞きしていたら、高梁がとんでもない情報を吐いてくれたのである。

「いま、うちの愛好会の顧問って誰になってるの?」

「浅野さん。取りあえずあたしたちの意志が伝わってる人って思って」

「じゃあ、常願寺先生に代えてもらおうよ」

「……それは、会ってみないと何とも言い難いんじゃない?」

 陽子の声は苦い。「出来る人がみんないい人とは、限らないんだから。特に研究一筋とかいう奴だとね……」

「そんなに心配なら、今戻って会ってみればいいじゃん」

 時計を見ながら、悠香が提案した。

「今だったらまだ、いるかもしれないよ?」

「それもそうだね。研究室が閉まる時間はまだ先だし」

 物理課嫌いだけど、と付け加えた亜衣。くすっと笑いながら、陽子と麗も頷いた。

 やれることは、先にやっておきたい。彼女たちに残された時間は、あまりないのだ。


 というわけで。

「失礼しまーす……」

 早くも平身低頭モードの悠香が、再び物理課の扉を開けた。錆び付いた音が廊下にこだまし、鍵の返却時にはなかった緊張がさらに三割増す。

 見るからに人の少ない研究室の景色が広がった。さては、遅かったか?

「……あのー、常願寺先生いらっしゃいますか……?」

 人が少ないと分かっていてもへっぴり腰になってしまう。でも怖いんだよね、と内心呟いた途端。

「僕を呼んだかい?」

 若い男の人が出てきた。

 まだ真新しそうな白衣に、高梁ほどではないにせよ高い身長。件の常願寺(じょうがんじ)弘人(ひろと)先生である。東都大学工学部先進ロボット工学課を卒業してまだ幾ばくも経っていない、新米助手だ。

 キタ! ──目配せしあった四人は、すぐさまずらっと並んだ。

「あ、あの」

 言いかけた悠香を押し退ける亜衣。悠香にこういう説明を任せるのは得策ではないと、もうさすがに悟っている。「突然押しかけてすみません。私たち、中学二年α組の者なんですが……」

「ああ、もしかして」

 手を振って亜衣を遮ると、常願寺は笑って言った。

「物理部に迷惑かけてる団体っていうのは、君たちかい?」

……四人の間に滞留する空気が、見事に凍りついた。

「話は高梁さんから聞いてたよ。ロボット製作をしてるそうだね」

 手招きしながら、常願寺はソファーに腰かける。「それで、今日はどうしたの?」

 その瞬間まで高梁を呪い殺す事ばかり考えていた悠香たちは、答えに詰まる。

「ええっと……そ、それでですね、ご存知の通り私たち、ロボコンへの出場のためにロボットを開発しているんですけど、先生は大学でロボット工学を学ばれていたと聞いたものですから、ぜひご指導頂けないかなーと……」


「僕がかい?」

 常願寺は一瞬ポカンとした顔で目をしばたかせたが……、

 頭を下げた。

「ごめん、僕にはそれは出来ないんだ」

 四人に衝撃が走る。

「大会運営側にいる人間が助言をする訳にはいかないんだよ」

「あっ……」

「僕は内部の人間だから、インサイダー取引と見なされる恐れがあるんだ。内部情報保持のために明文化されて決まっている事だし、そうでなかったとしてもいけないのは分かるだろ? だから僕には、その役目は出来ない」

──そうか、すっかり忘れてた! 常願寺さんは審査員も任されてるんだった……!

 迂闊だったと歯軋りする亜衣。その背中から、「どうしても、どうしてもダメですか……?」と訊ねる悠香の声がした。が、常願寺の表情は引き締まるばかりだ。

「しょうがないんだ、諦めてほしい。ほら、もうすぐ高梁さん帰ってくるから」

 立ち上がった常願寺に急かされ、すっかりどんよりモードの四人も立ち上がる。 やっぱり物理課なんてこんなものなのかな……なんて、考えながら。


「……まあ、しょうがないよ。常願寺も結局、高梁みたいな教師だったってだけの事なんだからさ」

 廊下をとぼとぼ歩きながら、陽子は早速常願寺を呼び捨てにした。

「よく分かんないけど、物理ってどうしても理論重視計算重視じゃん? だから几帳面にならざるを得ないんだよ、きっと」

 その横で、悠香が下を向きながら息を漏らす。

「でもちょっと、期待してたんだけどなぁ」

 悠香のため息は、今の四人の気持ちの全てを代弁していた。

「……とにかく、やるしかないね」

 窓の外を見上げながら言ったのは、亜衣だ。

「教師に無理に頼る必要ないよ、うちには麗がいるんだから。何か問題が起こるまではこのまま頑張ろう。ちゃんと設計図もあるんだし、さ」

「……うん」


 燦々と降り注ぐ夕方の春の光は、暖かかった。






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