Ensemble
Ensemble=合奏または合唱。複数の奏者が互いの音を聴きながら発っして作る音楽
俺は革の紐に緑の石がついたキーホルダーに下がった二つの鍵を見て溜息をつく。片方はオレの部屋のスペアキーで、一つは凛さんの部屋の合鍵。
何故か俺がもっているかというと、前日引越しの手伝いに行った時貰ったからだ。透さんと俺に『はい!』と渡してきたのだ。透さんは分かるけど、なぜ俺に? と思うのだが、『え? 嫌?』の言いながら首を傾げられると『嫌』とは言えない。
俺なんかが受け取っていいものではないと、言うと笑われて『何かあった時透以外の人も持っていた方がいいから』と言われてしまった。俺がこの鍵使うような『何か』が起こるとは思えないのだが、ツイ勢いに押され受け取ってしまった。無くしてはいけないので先日もらったキーホルダーにまとめておいたのだ。
賄い付きで喫茶店と時給等の条件が同じだからという事で紹介された黒猫。
入ってみたら、酒の名前とか覚えるべき知識も多くオーナーがなんか怖い等の大変なことも多かったが、賄いだけでなく、次の日の朝食になりそうなものまでを帰りに手渡してくれるし、とんでもない高級酒も気軽にくれる。夏には素敵な浴衣までプレゼントされ、更にお古だのはいえパソコンまでホイホイくれる。なんて美味しいバイトだ! と喜んでいたら、【姉】という存在も与えられていたようだ。かといって透さんという【兄】も出来た訳でないようで、透さんは兄貴風吹かすこともなく変わらず俺の良き雇い主として接してくれている。
一人っ子の俺にとって確かに兄弟という存在は憧れだった。友達『兄弟なんてウザいだけ!』『姉貴見ていると、女に幻滅するよ!』とか言いながらも楽しそうに話しているのを見て羨ましく感じていたものだ。
とはいえ突然訳わからない内に出来た姉という存在に正直戸惑っていた。凛さんは全く気にしてないようで、週一から二回は黒猫に来ては透さんにチョッカイ出し、俺に絡みとその時間を楽しんでいるようだ。
そして凛さんは結構な頻度、俺にメールよこしてくる。『〇〇で食べたランチがとても美味しかった。こんど一緒に食べに行こう』とか、『セクシーな下着買っちゃった♪ 見たい?』とか、『朝食たまには作って見たけど大失敗した』とかその内容はどうでもよいことから反応に困ることまで様々だが、凛さんの声そのまま感じる文章はなんか笑えて楽しかった。
『ダイちゃん、ちゃんとご飯食べてる?』
そして姉らしい、そんな文章も、送ってくるのも面白い。
『黒猫で色々食べさせて頂いていますし、自炊もちゃんとしていますから。それよりお姉さんの方こそ大丈夫ですか?』そう返すと『私を舐めないで! やる時やる女だから、料理が出来ない訳でなくやらなかっただけ! 本気出せばスゴイのよ! 多分』そんな返事が帰ってきて、学食で笑ってしまい法学とダイサクに変な顔された。
『もう透さんから聞いていると思いますが、黒猫でクリスマスイベントしますよ!プロのjazz奏者も来るので盛り上がると思いますよ』
そういえばイベントは知らせろと命じられていたのでそう連絡しておく。
『え! イベントってコスプレするの?』
『いえ、それはしません。ネクタイの色が赤く変わるくらいです』
クリスマスは大人なクリスマスムードを盛り上げるコンセプトなので、それを壊す事はしない。
『それはそれでレアバージョンね、ありがと!』
その返事を見て俺はある事を思い出しさらにメールを送る。
『商店街の方の福引きイベントでは、透さんサンタクロース姿でいますよ!
と言っても、キーボくん姿のサンタクロースですが』
期待してガッカリする凛さんを想像してニヤニヤしていたら、直ぐに返事がくる。
『なに! それ! 絶対カワイイじゃない! 写真撮っておいて!』
あの姿でも凜さんのコレクター対象だったようだ。
クリスマスライブといってもクリスマスだけに有名アーチストは仕事が入っていて呼べない。だから演奏するのは学生時代黒猫でライブしていたしていた経験をもつセミプロのミラーズという二人組のバンド。とはいえ何時もより高級ワインも多数用意されるし、もしかしてこれからブレイクするかもしれないアーチストの演奏も聞けるという事で、呑む人も聴く人も嬉しいイベントで盛り上がるようだ。
『ホテルで高級ディナーするより安上がりに特別感もある時間を話術も必要なく盛り上がられるから、カップルも結構くる』と杜さんは人の悪い顔で笑っていたのを思い出す。
まあクリスマスといったら、デートを楽しむ絶好のイベントなのだろう。凛さんも恋人連れてきたりするんだろうか? だとしたらどんな男性なのかも気になる。あの凛さんと、付き合えるならかなり大物に違いないから。
年末になり大学は休みになる。気がつけば世間も商店街も黒猫店内もクリスマスに染まっていた。店内もクリスマスツリーが飾られなんとも赤と緑の暖かい空間が出来上がっていた。ウッディーなヨーロッパ的店内だけに、こういう物がハマるのかもしれない。
商店街の方の仕事も忙しいらしい透さんと、何やらよく分からない仕事が忙しいらしい杜さんの為に、俺は黒猫を早めにきて手伝うことになった。正直予定もないしお金が稼げるのはありがたい。慌ただしい毎日を過ごしている間にクリスマスとなった。
何時もよりお洒落した人達が集ってきて、『メリークリスマス』の挨拶が交わされる店内。確かに特別な日という盛り上がりがある。やはり一線で活躍するジャズ奏者には負けるものの、軽快で明るい音の今日のバンドはクリスマスには合っていた。店に来ているカップルもいい感じに盛り上がっており、それを穏やかに『素敵な聖夜を』と送り出す透さんの言葉を深読みしてドキドキしたのは内緒である。楽しそうなカップルを見ていると結局クリスマスになっても彼女を作ってない事が今になって悔やまれてしまう。カウンターの隅の定番の場所に座っている澤山さんに時々声をかけ何か会話を楽しむ透さんが少し羨ましい。澤山さんも今日は白い清楚なワンピースを着てクリスマスという特別な日を黒猫で過ごしている。デート出来る訳ではないけど、働く恋人を嬉しそうに見つめている。
店内が、最高にもりあがってきた時店の扉が開き、一人の女性が優雅に入ってくる。その華やかさに視線を向けていた俺はそのまま動けなくなる。
艶やかな黒髪を緩く結い上げ、深紅のワンピースに身を包んだ美しい女性。スラリとした足にはその足の美しさをより引き立てるピンヒール。俺と視線を合わすと真っ赤なルージュが引かれた唇が嬉しそうに笑う。
「やっと来れたの! こんな日に限って残業になってしまって嫌になっちゃう」
俺に近付きそう話しかけてきたその女性は凛さん。
「ん? ダイちゃん、どうしたの? ボーとして」
不思議そうに、見上げてくる顔は何時もの凛さんである。元々綺麗な人だけど、こうして着飾ると凶悪な程美しくなるものらしい。
「いえ、お姉さんが余りにも美しくて……見惚れていました」
ホストか! という言葉を言った後悔する。笑われるだろうなと思って凛さんを見ると、目が落ちそうな程見開いて俺を見上げている。その顔がパァ~と華やかな笑顔になる。眩し過ぎて思わず目を細めてしまうくらい輝いた笑顔である。
「ダイちゃんにそう言って貰えたなら、このお洒落してきた甲斐もあったわ!
そう言って貰えて嬉しい! この喜びで二週間はハッピーに過ごせそう♪」
凛さんは上機嫌で、飛び跳ねるようにステップ踏み澤山さんの方へと行き挨拶しているようだ。互いの洋服を誉めあってそのままホノボノ話している様子に少し安心する。ここの関係もあれからは良好なようだ。
夜も更けてくると、恋人達は二人っきりになれる場所へと去り、代わりに都内での仕事を終えたらしいギタリストRYOさんサードラインのベーシスト神津さんとサックスの宮辺さんも集まり、音楽家同士での即興セッションも始まり濃いジャズな空間へと変化する。店内のテンションが上がった為かお酒の注文が増え忙しくてなる。店の中を慌ただしく動いていると目の端に鮮やかな色が映る。隣のテーブルに飲み物を笑顔で運び空いた食器を下げている凛さんが見えた。
「ありがとうございます。助かります」
そう頭を下げお礼を言うと、凛さんはフフと笑う。
「今日の飲み代チャラになり、ダイちゃんとこうして楽しく働くなら美味しい仕事よね」
「透さんと働けるからではなくて?」
凛さんはニヤリと笑う。そこは言うまでもない話なようだ。
元々大学時代小遣い欲しい時は、手伝っていたようで、黒猫の勝手が分かっているだけに凛さんの助っ人は手際は悪くなくかなり助かった。そして大賑わいの店内も時間と共に客もいなくなり、最後の客を送り出したところで俺は大きく深呼吸する。こういう忙しい時は大変ではあるものの、やり終えたという達成感が大きく気持ち良い。透さんが俺に『お疲れさま』と言い、凜さんに『有り難う助かった』と笑いかける。
店内にはまだ演奏を楽しんでいるジャズ奏者達の奏でる音楽がまだ流れている。
身内だけになったことで、まだ熱の冷めない音楽家達を交えての豪華過ぎるプライベートな飲み会へと変わる。ボジョレーの時のように、舞台周りで思い思いの演奏を楽しんでいる様子を肴に酒を呑む。贅沢過ぎる聖夜である。俺の隣で凛さんも楽しそうに赤ワインを呑んでいる。その姿が本当に決まっていてカッコいい。そして隣のテーブルでは根小山夫妻が身体寄せあって仲良く酒を呑みながら演奏を聞き入っている。観客四人で聞くには勿体ないくらいの演奏……としみじみ聞き入っていて、アレ? と思う。透さんは?
澄さんに聞くと、ここ最近の激務で疲れが溜まっているようだから、先に上がって休んで貰っているとの事。
その隣の杜さんの意味ありげな笑みで何か気付いてしまう。帰る彼女に何か囁く透さん。少し顔を赤らめ頷く澤山さんの表情を思い出す。そういう事か。と思っていると凛さんが俺に凭れ腕を絡めてくる。
「お姉さん、酔っ払ってきていますか?」
間近で黒目がちの瞳が俺をみつめてくる。そんな目で見られたら変な気分になって来る。だから自分の姿が人にどう見えるか察して欲しい。
「ん~どうかな~? お酒にというよりこの楽しい空気に酔ってるのかも。最高にHotでイケてる音楽、美味しいお酒、大好きなダイちゃん♪ この最高な時間に」
その言葉に、演奏していた人達は沸く。
「ならば益々頑張らないとな。最高の夜にするために」
RYOさんは神津さんに視線で合図を送り、演奏を再開する。より濃い熱い演奏が続き、心地よい酒酔いの世界を漂い意識も曖昧になっていった。暖かく柔らか温もりを横に感じながら……。
たかはし葵様、コチラの話書く際、色々ご相談に乗って下さりありがとうございました!




