Tempo Rubato
Tempo Rubato=自由なテンポで演奏すること
一般的に動物は春が恋の季節というが、人間にとって恋の季節というのは夏と冬に来るらしい。そこには恋を盛り上げるイベントが多いから。俺の周りでも友人のダイサクがバイト先の神神飯店お嬢さんに恋をして破れ、俺のバイト先のマネージャーの透さんは夏祭りで一気に距離を縮め彼女さんとラブラブなようだ。
その両者とそれぞれ酒を呑み、話を聞いたりしていると、恋する相手すらいない自分が寂しく感じてくる。幸せそうな透さんは勿論、ハートブレイクで落ち込んでいるダイサクまでが羨ましく感じる。そして真剣に恋しているそんな二人が格好良く見えた。今までノリで付き合い、ノリで別れてきた事ばかりしていただけに、そうして恋焦がれて恋愛した事が無い。それだけに人をそこまで好きになるってどういう事なのだろうか? と思う。
「コレは?」
ハロウィンイベントのお知らせのチラシを渡された俺はそれを見つめる。
「ユキくんのアイデアでハロウィンをウチの店で楽しむ事にしたの♪
当日は私達も仮装してお客様を迎えるのよ!
ビックゲストもきて演奏するので盛り上がるわよ~」
いつものように朗らか笑う澄ママの言葉を聞きながら俺はチラシの出演アーチストの所を見る。
『世界を熱狂させている、アノ人がやって来る♪ この凱旋ギグは外せない』
とだけあり、誰とは書いてない。黒猫らしくなく煽りの言葉があるという事はスゴい人が来るのだろう。
そして十月の間は各テーブルや店の至る所にカボチャのランタンが飾られ、演奏される曲も陽気ながらに怪しいムードのある曲が演奏され、お通しも猫耳の形をしたカボチャサラダが出されハロウィン風ムードを盛り上げていた。その雰囲気の中だけにハロウィンライブの告知もしやすく、当日は楽しく盛り上がれそうに思えた。
そして当日。早めにきて開店準備をしていると、髪の毛をツンツンに立ててマントを羽織った如何にも怪しい青白いメイクをした男が、アイシャドーも濃くバチバチのアイメイクに真っ赤な口紅に濃いチーク、黒いロングコートというド迫力ファッションの金髪外人美女を連れてやって来る。女性の頭から二本の赤い角が見えて、男性の唇から牙が見えている。
俺はひびって動けずにいたけど、澄ママはニコニコと近付いていく。
「Kenjiくんお帰りなさい。そして素敵な恰好ね~♪」
Kenji? 杜さんに殺されて闇に葬られた筈のジャズピアニスト……。生きていたらしい。
「ママ久しぶり~、そしてこのカワイイ小悪魔ちゃんは俺のワイフ」
美女のコートを紳士的に脱がせながらKenjiさんはそう紹介する。しかし彼がしていると紳士には見えないから不思議である。金髪美女のコートの下はボンテージファッションだったようだ。グラマラスなボディーラインが惜しみなく晒される。カワイイ小悪魔というか、魔女そのものに見える。この人達っていくらハロウィンとはいえ、この格好でよく此処まできたと思う。日本ってそこまで大らかな国だったのだろうか?
澄ママや透さんとその吸血鬼と小悪魔夫婦との英語で交わされる会話を聞いてみた感じ、Kenjiさんは殺されていたわけではなく仕事でアメリカに行っていたから黒猫に来なかったようだ。
そして結婚したという相手はイリーナというジャズシンガーらしい。女装しているのではなく正真正銘の女性。そういえばコイツは女もイケるバイだった。
「よぉ~お前まだいたんだ」
いつものマスターの格好にサバトラの猫の被り物して降りてきた杜さんに、澄さんとイリーナさんがメイクして盛り上がってしまったので居場所なくしたのか、Kenjiさんはそう俺に話しかけて近づいて来る。
「貴方こそ、まだ生きてたんですね。今頃海にでも沈んでいるのかと思いました」
Kenjiさんは驚いた顔するが、ニヤリと笑う。
「嬉しいね~心配してくれたんだ。
俺と杜は付き合いも長いダチだぞ! ヤツも流石にダチは殺らないよ」
『ダチは』って何ですか……。ダチでもダチじゃない人でも殺ってはいけません。
「しかし奥さんアンタが、男女関係ないタラシって知ってるんですか?」
俺が心配する事でもないが聞いてみる。
「あ? 分かってるだろ? それは。
元々俺と彼氏と、アイツとアイツの彼女の四人でヤった時、思った以上にアイツと身体の相性が良いんでそれで盛り上がって付き合うようになって結婚だから。
アイツの身体スゲエ最高だぞ。今度三人でヤってみるか?
アイツお前みたいなボウヤを責めるの好きだし喜んで応じてくるだろう。
どうだ? 燃えると思うぞヤルか?」
ダメだ……。コイツと話していたら頭おかしくなりそうだ。俺が汚れていく気がする。しかもこの短い時間でなんで「ヤル」という不穏な言葉を何度も聞かないといけないんだ……。
「小野くん衣装持ってきたんだ。白猫、黒猫どちらが良い?」
透さんが近づいて来て話しかけて助かったと思ったが、透さんの持ってきたもの見て固まる。杜さんの被っている顔の出た猫の被り物、俺達も着ければならないらしい。『澄さんの手作りなんだ……』と捕捉してくる透さん。この黒猫においては澄さんの決定力は強く、あの杜さんですら澄さんのお願いは大人しく聞く。
「どちらもなにも、腹黒なコイツが黒猫だろ?
そして清純なユキくんは白猫」
横で聞いていたKenjiさんが、ニヤニヤそんな口を挟んで来る。俺が腹黒だったらKenjiさんや杜さんは腹どころでなく内臓すべて真っ黒なのだろう。
「何ですか清純って、女じゃあるまいし」
透さんが少しムッとした顔を見せる。
「イヤね、色々体験して心まで荒みきったオジさんには、若くて真っ直ぐな若者が眩しく見えるんだよ」
そう言いながら、透さんの肩に手をまわすなよ! と思う。コイツ懲りてないようだ。
「はいはい。
世界を魅了して最高にイケてて輝いているKenjiさんが、何言っているんですか」
笑顔でそう答え、やんわりと手を外し離れ俺に向き直る透さん。何気に透さん、酔っ払った女の子からの強烈アプローチとか、Kenjiさんのこういったセクハラ流すのが上手い気もする。
「で、どちらが良い? 小野くん」
俺はまだ恥ずかしさの低そうな黒猫を選んだ。
全員猫なのかと思ったら澄ママは黒いドレスにトンガリ帽子で魔女の格好だった。イリーナさんとは異なり、魔女の格好をしていても心優しい存在に見える。イリーナさんがヒロインを苦しめるヴィランの魔女なら、澄ママはヒロインを助け見守る魔女。
俺と透さんの服装はいつもの制服だが、違うのは腰からそれぞれ猫の色に合わせた色の尻尾を垂らしていて、化粧されて頬に猫髭メイクに、目にはシャドーとキャットラインと呼ばれるアイラインも引かれ怪しくなっている。そして杜さんも猫なのだろうが元々髭があるためか猫ヒゲはなくアイメイクに加え頬に何故かリアルな傷メイクがしてあるために『野生の肉食動物の何か』という感じになっていた。




