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ぺしゃんこに潰された廃車が不気味なオブジェのようにそこらじゅうに積まれている。廃車の山を縫って、ちょっと広い空き地へ出たところで、アンディは急に立ち止まった。
「待たせたな。ジャック」
廃車の影から若い男が歩み出てきた。短い薄茶の髪のその男の手にはショットガンとニードルガン。
「こいつらか。ヴァンパイアはどっちだ?」
アンディはジャックから素早く二ードルガンを受け取ると矢の先端をレイに向けて構えた。
ジャックと呼ばれた男はショットガンの銃口を俺に向けた。
「むろん、この金髪の美青年の方さ。デビィ、その剣をこっちに寄越せ。ベルトもだ。頭を打ち抜かれたくなければな」
くそ。やっぱり罠だったのか。俺は仕方なく剣をアンディの方へ投げた。レイはまったく驚いた様子はなく、薄い笑みを浮かべてアンディを睨んでいる。
「その剣はお前の妹のものか? ハンターさん」
アンディはにやりと笑った。
「勘がいいな、レイ。その通り。お前たちが奪い取ったのは俺の妹の剣さ。バーンズ家に代々伝わるものだ。昨日、妹から俺に電話があってね。剣を持った黒髪の男と長い金髪の男のペアを見かけたら捕まえてくれってな。それで今日は車を走らせてお前たちを探してたってわけだ。お前のお連れさんが剣を振り回してくれて助かったよ。ああ、それから、念のために剣は確かめさせてもらったよ。人違いだったら悪いからな」
「お前の妹は剣の腕はなかなかだが、まだ駆け出しだろう? ヴァンパイアの動きを止めずにいきなり杭を打ち込もうとするハンターは初めて見たぜ」
「まあな。エメラルドの奴は恋人のハンターに感化されてハンターになったばかりだからな。しかし、惜しいな。お前みたいに頭のいい奴を殺すのは」
間髪を入れずにニードルガンの発射音が聞えた。レイの身体が瞬時に地を離れた。と思った途端、その身体はジャックの目の前の宙にあり、バネの利いた右足がジャックの顎を素早く蹴り上げた。
「ぐあ!」
ふいを突かれたジャックはそのまま血を噴いて後ろに飛ばされ、廃車の山にぶつかって派手な音を当てた。。顔を顰めて苦しそうに呻いているところをみると死んではいない様だ。俺は急いでバックパックを投げ捨ててショットガンを拾い上げ、アンディに向けて構えた。
「ジャック! 畜生、やりやがったな!」
「さあ、来いよ」
レイの瞳が青く輝き始めた。圧倒的に不利になったアンディは、しかしながらニードルガンをしっかりと構えなおした。
「俺は……どうしても金が欲しいんだ。お前を狩れば二十万ドルが手に入る。その金さえあれば……」
突然、携帯の呼び出し音が響いた。
「くそっ。こんな時に……」
「出ろよ。終わるまで待っててやるよ」
レイの言葉にアンディは銃を構えたまま携帯を取り出した。
「なんだ、何か用か。……何だって? どういう意味だ? ……分かった。すぐ行く」
電話を切ったアンディは動揺しているのか真っ青な顔をしていた。
「妻が……ケイトが殺される……行かなくては」
そう言った途端、アンディは剣を拾い、ニードルガンを抱えて走り出した。置き去りにされたレイと俺は顔を見合わせた。
「ひょっとすると……。デビィ、俺達も行こう」
「ええっ? な……何でだよ!」
「奴の首のバンダナ、車の中の電話の声、それにさっき見かけた女ヴァンパイア。これが何を意味するか、考えればすぐ分かることだろう?」
すぐ分かるって? まあ、とりあえず考えるのは後だ。俺はショットガンを下に置くとバックパックを拾って後を追った。
廃車置場を出て少し道を戻り、脇道へ入る。その道は先ほどの女ヴァンパイアが歩いていったところだ。その先には大きな廃工場が見える。表の薄汚れたシャッターにはスプレーで色とりどりの落書きが描かれている。アンディはシャッターを拳で思い切り叩いて叫んでいた。
「おい! ここを開けろ!」
ガラガラと音を立ててシャッターが開く。中に入ろうとしたアンディは俺達を見て驚いたようだった。
「お前ら……。何しにきたんだ?」
「さあね。俺を狩ろうとした奴を助ける義理なんてない。でも命を奪われようとしている女を無視するなんてことは、俺のプライドが許さない。それだけのことさ」
レイの言葉にアンディはふっと表情を緩めた。
「そうか……。いや……あの」
「急がないと奥さんが死んじまうぞ、アンディ」
アンディははっとして工場の中へ駆け込んでいく。レイと俺は後に続いた。
工場の中は汚れた大きな窓から入る外光以外に光源はないので薄暗く、得体の知れないゴミが散乱している。放置された巨大な工作機械の陰から男達の野卑な笑い声と鞭の音が聞えた。そして女の悲鳴。
「ケイト!」
アンディの悲痛な声。
そこには五人の男が集まっていた。男達の中心には鎖で手足をがんじがらめに縛られた女がぐったりとして横たわっている。グレーのランニングを着た筋肉隆々の大男がにやにやしながら女の身体を鞭打っている。ビシッという音がする度に女は身体を仰け反らせて苦しげな悲鳴を上げている。女の黒いワンピースはぼろぼろに裂けて血に染まっていた。
「止めろ!」
アンディの叫び声に男達が一斉に俺達のほうを見た。そのうちの二人、鼠みたいな顔の痩せた男とだらしなく太った男はショットガンを構え、あとの二人、体格のいい赤毛男と、中肉中背の巻き毛男はじりじりとアンディの方へ近付いてくる。どいつも同じような黒っぽいTシャツにジーンズで安酒の匂いをぷんぷんさせている。俺はさっきの廃車置場にショットガンを忘れてきたことを思い出した。畜生。どこまで間抜けなんだ。
「やあ、アンディ。ヴァンパイアを女房にするたぁ、いい根性してるじゃねえか」
鞭を握ったまま大男がそう言うと、ショットガンを持った鼠男が下卑た笑い声を上げた。
「まったくな。この女、真昼間からこともあろうに俺に噛み付こうとしたんだぜ。捕まえてよく顔を見たらお前の愛しいケイトじゃねえか。びっくりしたぜ。ハンターの妻がヴァンパイアだったとはな」
「くそっ! ケイトから離れろ!」
アンディは叫ぶとニードルガンを捨てて腰の剣を抜き、大男に向かって走りだした。だが、横から飛び掛ってきた赤毛の男に腹を蹴られ、顔を殴られて、うめき声を上げてその場に倒れてしまった。男はアンディの腹に足を乗せて蟲を潰すように踏みにじった。
「けっ、ざまあねえな。おい、そこのふたり。お前らはこいつの助っ人か? 痛い目に遭いたくなきゃさっさと消えろ」
「そんな奴らはほっとけ」
大男はそう言うと鞭を投げ捨てて、ケイトの身体を足で蹴り、仰向けにした。
鼠男が杭とハンマーを大男に差し出すと、奴は杭を受け取り、女の身体に跨ると敵の陣地を奪い取った英雄みたいに、旗ならぬ杭を高々と持ち上げて見せた。男達が口笛を吹き、期待に満ちた目を輝かせる。断末魔のヴァンパイアの表情はハンターにとって何よりのご馳走なのだろう。相手が女の場合は特に、だ。
「いい女だ。堪んねえな。どんな顔で死んでくれるのか楽しみだぜ」
大男はケイトの顔を見てにやりと厭らしく笑う。ケイトは恐怖で目を見開き、弱々しい声で呟いた。
「助けて……アンディ」
「ケイト――!」
アンディが赤毛の足の下で搾り出すような叫び声を上げ、立ち上がろうともがいた。だが、赤毛はすかさずアンディの鳩尾を強く蹴飛ばした。
その時だ。レイが周りの男達をまったく無視して大男の目の前につかつかと歩み寄った。自分より6インチは高い顔を見上げ、レイは無邪気な笑みを浮かべながら大男のハンマーを持った腕をぎゅっと掴んだ。
「なんだてめえ。カマを掘ってもらいたいのか」
下卑た笑い声が広い工場に響く。
「黙れ」
バキッという鈍い音がした。大男は大きな悲鳴を上げて女の横に倒れ、のた打ち回った。男の腕は変な方向に折れ曲がっている。レイは大男の横に立つと今度は腰骨を力の限りに踏みつけた。めりめりと妙な音を立てて腰骨が砕け、大男が怪獣みたいな悲鳴を上げた。
「き、きさま!」
レイの両端にいた男達のショットガンが一斉に火を噴く。だが、彼らはすぐにレイの姿を見失った。
「くそ! どこ……」
言いかけたデブ男の首に後ろからレイの腕が巻き付いた瞬間、首の骨が砕ける鈍い音がして男の身体はへなへなと崩れ折れた。
「デビィ! 彼女を頼む!」
レイはそう叫ぶとショットガンを構えた鼠男に突進し、渾身の力を込めて左胸を殴りつけた。肋骨の陥没する音と共に噴水みたいに派手に血を噴きながら男が倒れる。俺は急いでケイトに近付き、傷ついた身体をそっと抱え上げた。長い睫毛が苦しげに震える。かなりの美人だ。
「貴様、ヴァンパイアだな!」
赤毛の男が叫び、レイに殴りかかった。レイの身体が素早くしなやかに回転し、流れるような手足の動きに俺は魅せられたように見入っていた。素早い回し蹴りが男の首を直撃した。革靴の踵が首の骨を一瞬のうちに打ち砕き、赤毛は声もなく倒れ伏した。
巻き毛の男は床に落ちていた角材を拾い上げ、叫び声をあげながらレイに殴りかかる。咄嗟によけたレイの袖に角材からいくつも飛び出している釘が引っ掛かって破れ、右腕の断面が露わになった。一瞬、動揺したレイの隙をついて男は角材で腕の蠢いている再生部を思い切り殴りつけた。
「あぅあ!」
レイは悲鳴をあげ、腕を押さえて身体を激しく痙攣させた。がっくりと膝をついたレイを男はすかさず蹴り倒した。
「ヴァンパイアの一番の弱点は再生部だ。ここを攻撃されると身体中に耐えがたいほどの痛みが走る。ハンターのウェブサイトで知ったんだが、覚えていてよかったぜ」
男は角材を持ち直し、ささくれて尖った先端を下に向けるとレイの腕の再生部にずぶりと突き刺した。
顎を仰け反らせて悲鳴を上げ、身を捩るレイ。彼はあまりの痛みに反撃することが出来ないようだ。俺はケイトの身体を床に降ろして、死んだ男のショットガンを奪い取ると男に銃口を向けた。男はレイの腹に跨ると胸を狙って角材を振り上げる。俺は巻き毛男の頭を狙ってショットガンを撃った。
銃声。弾は男の髪の毛をぎりぎりに掠めた。男が俺を睨む。
もう一発。だが、男が咄嗟に身を屈めたので今度の弾は大きく逸れてしまった。
畜生、今度こそ! 身体を狙ってさらにもう一発。……空砲だった。
「弾切れか。運が悪いな、兄ちゃん」
男は俺を見て馬鹿にしたようににやりと笑った。だが、その隙にレイは素早く伸ばした左手の先にあったエメラルドの剣を掴み取り、巻き毛男の身体を脇腹から斜めに刺し貫いた。
「運が悪いのはお前のほうだ」
驚愕で目を見開いたまま男が絶命すると、レイはその身体をゆっくりと押しのけて立ち上がった。
レイは血だらけになった腕をぎゅっと握り締め、動かなくなった男達を蔑むように見下ろした。彼の身体はまだ震えている。やがてレイは俺のほうを見て困ったような笑みを浮かべた。
「ふぅ、やっと痛みが遠のいてきた。こいつはかなりキツイな。デビィ、時間を稼いでくれてありがとう。助かったよ。ああ、でも……また服が破けちゃったな」
「そんなこと気にすんな。お前のせいじゃねえさ」
「もう一着、買ってくれるよね?」
「お前な……」
倒された大男の呻き声がまだ聞えている。レイは、ケイトに近付き、片腕で上半身をそっと抱き起こすと、呻いている大男の身体を足で転がしてケイトのすぐ脇まで近付けた。
「喉が渇いているんだろう? ケイト。遠慮しなくていいよ」
レイが囁くとケイトはうっすらと笑みを浮かべた。瞳が青い光を放ち始めると、ケイトは大男の首筋に頭を近付け、その太い首に長く白い牙を深く食い込ませた。
「ありがとう、レイ、デビィ。あの……それから……すまなかった」
アンディはケイトの身体をしっかりと抱き寄せて頭を下げた。
廃工場の外に出ると空は相変らず濃い灰色の雲で覆われていた。路地に人影はなく、シャッターの閉まった工場の中からは物音一つ聞えない。
「だから言っただろう。お前のお礼なんていらない。彼女を助けたかっただけさ」
「あの、本当にありがとうございます。私、どうしても我慢できなくって……」
「いや、同属を助けるのは当然のことだからね。アンディ、大変だとは思うけど、なるべく彼女の吸血衝動を抑える努力をしたほうがいい。そのうち我慢することが苦痛でなくなってくるはずだ。我慢させずに自分の血を与えてばかりいたんじゃ彼女はいつまでたってもこのままだよ」
「知ってたのか」
アンディは苦笑してバンダナを外した。彼の首には痣のように二つの丸い傷跡がついていた。
「……こいつとはバーで知り合ったんだ。ひと目惚れってやつかな。初めて彼女を見たとき、俺は天使が舞い降りたのかと思ったぜ。付き合い始めてヴァンパイアだということが分かっても、別れることが出来なかった。無論、殺してしまうなんて考えられないことだ。ケイトが何者であっても愛していることには変わりないから。まあ、ハンターとしてはあるまじき行為だけれどね」
「エメラルドは知ってるのか?」
「いや。もし知ったらケイトを殺せというだろうな」
「これからどうするつもりだ、アンディ」
俺の問い掛けにアンディはふうっと溜息をついて答えた。
「とにかく逃げるさ。何処か静かに暮らせるところまでね。もうハンターは辞めるよ。といってもケイトと暮らし始めてからは誰も狩っていない。レイを狩ろうとしたのはどうしても金が欲しかったからだ。彼女を人間にする為のね」
「人間にって、そんなことが出来るのか?」
「ああ、二十万ドル出せば魔術を使った特別な手術でヴァンパイアを人間にしてくれる医者がいるらしい。そいつを探そうと思っていたんだ」
レイがふっと寂しげな笑みを漏らした。
「そいつはガセネタだよ。昔からヴァンパイアに伝わる根も葉もない噂さ」
「何だって? 何でそんなことが分かるんだ?」
「俺もその医者を探したからさ。三十年前にね。あの頃は十万ドルだった」
レイは何か考え込むように視線を落とす。俺はつい昨日まで人間なんてそんなにいいものだと思ったことは一度だってなかったが、今はレイの気持ちが痛いほど分かる。
「ああ……そうなのか。そいつは残念だ……」
アンディとケイトは互いに顔を見合わせた。
「ケイト、ごめんな。何の役にも立てなくて」
「いいえ、あなたは最高よ。ありがとう、アンディ」
ケイトが小さな声で呟いた。
レイはまた雨がぱらついてきた空を見上げた。
「さあ、そろそろ行こう、デビィ。今日も野宿になりそうだけどな」
「いや、俺達もすぐに出発するから途中まで一緒に行こう。今夜中に出来るだけ遠くまで行きたいんだ。今夜は車の中で寝ればいい」
俺達はアンディの言葉に甘えて、車に同乗した。アンディは自宅に戻ると急いで荷造りをすませ、ラズベリー・タウンを後にした。アンディとケイト。俺とレイ。どちらもこの先には大きな困難が待ち構えている。また彼らに会える日は来るのだろうか。
「なあ、どう思う? レイ」
「さあな。神のみぞ知るってやつだろうな。……そろそろ寝かせてくれ、デビィ。俺は疲れた」
やがてレイは俺の肩にもたれて寝息を立て始めた。雨が強くなってきている。本格的な嵐はこれからやってくるのかもしれない。俺もまた車の振動に身を委ねてざわついた心を沈め、深い眠りの底へと落ちていった。