第一話『鏡』
通り雨が地面を濡らす。信号が黄色から赤に換わる瞬間に、降り出して。赤から青に換わると止んだ。
気まぐれな彼女の悪戯のせいで、肌が蒸れて湿っぽい。
卒業に必要な単位を取ると、急に芸大に興味が無くなった。絵は今でも好きだけど、描きたいものがないのだ。
「先輩も、もうすぐ卒業ですね」
「そうだね、早いなぁ。つい、こないだユリちゃんが入学してきたのにね」
「スタバ、混んでますね。どうします?」
「うーん、待つ」
「言うと思いました。先輩って待つ女ですよね」
「どういう意味で言ってる?ユリちゃん」
半分は、絶妙な毒舌の使い方で、もう半分は絵が理由で私達は仲良くなった。 絵は断然ユリの方が上手い。ユリ曰く、先輩の絵は何にも執着してないから好き、らしい。
二人とも、人付き合いは苦手で、部屋で絵や読書してるタイプで、友達は少ないけど知り合いが、やたらと多い。
目立つ事のない、私の絵でもコンクールに出せば、それなりに評価される。ユリに言わせれば、小手先だけで描いたとバレバレだ。
私は、このユリのスカッとモノを言う正確が嫌いじゃなかった。ただ、ユリが私に抱くような恋愛感情は無かった。だって、それは過ぎ去ってしまえば、骨と皮だけになった憧れでしかないからだ。
私はユリに憧れる。ユリは私に憧れているつもりになっている。
「先輩は結婚しないんですか?」
「何?」
「だって、みんな先輩の事狙ってますよ。いっそ卒業したら、お嫁さんとかいう人生も悪くないと思うんですけど」
お嫁さんだけヤケに可愛く言う過剰な演出。
「お嫁さんは嫌だな」
「またまた〜絶対、卒業式の後に、告白するパターンですよ」
「パターンって何だよ」
すぐに席が空く。既にピークは過ぎ去った午後七時。
甘過ぎて食べれなくなったパウンドケーキを持て余しながら分解する。
「それで、ユリちゃんはどうするの?やっぱり芸大?」
何気無い進路の話。
「あそこに行っても何も無い気がするなぁ。先生と馴れ合って、コネ持って、関係もって縛られて、気付いたら卒業みたいな。あ、すいません先輩も芸大でしたね」
まるで写しとったように、私の心を代弁する。まるで鏡のような彼女。
私は恐れている。いつかユリが私を写さなくなった時、そこに何かが写り込む事を恐れている。 一時間程、くだらないおしゃべりが続いて、ユリの携帯電話が鳴る。
解散の合図。そして二度と今日が訪れない。そんなに感傷的な気分ではなかったけど。少なくとも、頭の中では冷静に自分の哀愁を分析する余裕がある。
昼は長くはなっているが、夕焼けはとっくに沈んでいる。地下鉄の駅へ向かうユリとの距離は少しだけ遠い。
その分だけ、改札までの距離は長い。