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妹に婚約者を奪われたので譲りますが、後始末はお断りです~今さら家族ぶられても、こちらから願い下げです~ 【連載版】  作者: アトハ
1章 ゆずらないと決めた日

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第6話 君はもう、譲らなくていい

「君に嫌われたくないからだ」


 胸の奥が、どくりと鳴った。


「……嫌うわけがありません」

「それは分からない」

「分かります」

「分からない」


 珍しく言い切るように返されて、私は目を瞬いた。

 アシュレイ様は少しだけ眉を寄せる。


「私は、君の前でいつでも正しいことばかり言える人間ではない」


 その言葉の意味を、すぐには飲み込めなかった。


「……アシュレイ様」

「何だ」

「それは、どういう意味ですか」


 問い返す声が、思ったより小さくなる。

 アシュレイ様はしばらく私を見つめ、それから低く言った。


「君を前にすると、思っていたより理性が利かない」


 息が止まった。


「あの夜も、そうだった」

「……」

「君をあのまま帰したくなかった」


 たったそれだけの言葉なのに、胸が詰まる。

 苦しいのに、少しも嫌ではなかった。


「もしまだ、君に無理をさせているのなら言ってくれ」

「無理なんて」

「していないと言い切れるか」

「……少しは、しているかもしれません」

「やはりな」


 低い声に責める色はなくて、私は小さく笑った。


「でも、前とは違います」

「何が」

「ここでの我慢は、失わないためのものではありませんから」

「……」

「頑張りたいから、頑張っているのです」


 アシュレイ様が、じっと私を見る。

 その視線がまっすぐすぎて、今度は私の方が先に耐えられなくなった。


「そんなふうに見ないでください」

「なぜだ」

「……困るからです」

「困っているのは私の方だ」


 思わず顔を上げると、アシュレイ様は本気でそう言っていた。


「君は、時々ひどく無防備だ」

「そうでしょうか」

「そうだ」

「そんなつもりはないのですが」

「なら、なお悪い」


 真顔のまま言われて、とうとう私は吹き出してしまった。

 アシュレイ様は一瞬だけ目を見開き、それから少しだけ目元をやわらげる。


「……やはり、君は笑った方がいい」

「またそれをおっしゃるのですね」

「本当のことだ」


 不意に、胸の奥の緊張がほどけた。

 この人の前で笑っている自分が、少しだけ好きだと思えた。


「アシュレイ様」

「何だ」

「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか」

「言ってみろ」

「私が、まだ誰かを好きになる余裕がない人間だったら、どうなさるおつもりだったのです」


 アシュレイ様は答えるまでに、ほんの少しだけ間を置いた。


「待つつもりだった」

「どれくらいですか」

「必要なだけ」

「ずいぶん気の長いお話ですのね」

「そうでもない」

「そうでもない?」

「待つだけで済むなら、安い」


 冗談でも気障でもなく、本気で言っているのだと分かる声だった。


 どうしてこの人は、こういうところだけ迷いがないのだろう。

 ずるい。


「ずるいです」

「何がだ」

「そんなふうに言われたら、好きになってしまいます」


 言った瞬間、自分で何を口にしたのか分かって、顔が熱くなった。

 逃げるように視線を落としかけた、そのときだった。


 大きな手が、そっと私の頬に触れた。


 反射的に顔を上げる。

 アシュレイ様の指先は驚くほど優しくて、けれど逃がす気のない手つきだった。


「今さら下を向くな」

「そんなことを言われても……」

「言ったのは君だ」

「はい……」

「なら、私も遠慮しない」


 胸が、痛いほど鳴る。


「君はもう、譲らなくていい」

「……」

「欲しいものがあるなら、欲しいと言えばいい。ここでは、それを我慢しなくていい」


 その言葉に、胸の奥のどこかがほどけた。

 ずっと固く閉じていたものが、静かにひらいていくみたいだった。


「では……」


 喉が震える。

 それでも、今だけは言わなければいけないと思った。


「では、あなたが欲しいです。アシュレイ様」


 一瞬、空気が止まった。


 アシュレイ様は目を閉じるでもなく、逸らすでもなく、ただ困ったように私を見つめる。


「そんな顔で言うな」

「どんな顔ですか」

「……これ以上、理性が利かなくなる顔だ」


 あまりに率直で、笑いそうになる。

 けれど次の瞬間には、泣きたくなるほど嬉しかった。


「我慢なさらなくて結構です」

「本気で言っているのか」

「冗談でこんなことは申しません」


 その答えを聞いたアシュレイ様が、ゆっくりと私を引き寄せる。

 強い腕なのに、壊れものを扱うみたいに丁寧だった。


 額が肩口に触れる。

 そのまま抱き締められて、私はそっと目を閉じた。


「……困った」

「何がですか」

「もう、手放せそうにない」


 胸の奥が、いっぱいになる。


「手放さないでください」

「言われなくても、そのつもりだ」


 低い声がすぐ耳元で響く。

 それだけで、どうしようもなく満たされる。


 やがて、アシュレイ様がほんの少しだけ身を離した。

 触れるか触れないかの距離で、私を見る。


 許しを求めるような目ではなかった。

 でも、私の拒絶だけは見逃すまいとする目だった。


 だから私は、自分から少しだけ顔を上げた。


 次の口づけは短く、けれど胸が震えるほど甘かった。

 唇が離れたあとも、アシュレイ様の手はまだ私の頬に触れている。


「……愛している」


 今度は不思議と、ためらわずに答えられた。


「私も、お慕いしています」


 その言葉に、アシュレイ様はほんの少しだけ目を細めた。

 それが、この人の精いっぱいの笑みに見えて、私はまた笑ってしまった。




***


 春が近づいた頃。

 学校への寄付金の使途についてまとめられた書類を見ていた私に、侍女が一礼して告げる。


「奥様、エヴァンズ伯爵夫人とセシル様、それからヴァレントン伯爵令息がお見えです」

「……そう」


 厄介な顔ぶれが揃ったものだと思った。

 きっと、ろくな用ではない。


 侍女も困ったように目を伏せた。


「お約束はないそうですが、どうしても奥様にお会いしたいと」


 ちょうどそのとき、向かいにいたアシュレイ様が静かに口を開いた。


「会いたくないなら断る。ここは君の家だ」

「……いいえ、会います」


 少しだけ考えてから、私は頷いた。


「きちんと終わらせたいのです」

「分かった。無理はするな」


 アシュレイ様は私を見つめ、それから小さく頷いた。


 応接間へ入ると、母がいかにも安心したように立ち上がった。

 セシルは沈んだ顔で座っている。フレデリックはその隣で、硬い表情のまま口を閉ざしていた。


「リディア! よかった、元気そうで」

「……本日はどのようなご用件で?」


 私は勧められるまま腰を下ろし、最初から用件を促した。

 母の笑みがわずかに引きつる。


「そんなに構えなくてもよろしいでしょう。わたくしたちは家族なのだから」

「用件をお願いします」


 きっぱり言うと、母は視線を泳がせ、それから諦めたように息をついた。



「少しだけ、手を貸してほしいの」

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